2009年11月07日

囲いの崩し方022

YKA022.JPG 白の手番

「Chess Informant 9」
Combinations
18. LORENZ - ESPIG, DDR

1.Bxh6! gxh6 2.Qd2 Rc7 3.Qxh6 Rg7 4.Nh5 Qe7 5.Ng5 +- [△6.Nf7] 5...fxg5 6.hxg5 Rh7 7.gxh7+ 1-0 [7...Qxh7 8.Nf6+ Rxf6 9.gxf6+ Kh8 10.Qg7+! Qxg7 11.fxg7+ Kg8 12.f6 △13.f7+ +-]

チェス世界選手権争奪史(83)

第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ(続き)

 ほとんどのチェス愛好家にとって1920年代前半は退屈以外の何物でもないように思われたに違いない。実際は大違いで、チェスの考え方に一種の革命が起きていたことが広く感じられる。一群の新世代のマスターたちが第一次世界大戦後登場していて、シュタイニッツとタラシュがずっと以前に勝利に不可欠と断言した棋理に合った布局の指し方の原則すべてに背いているように見えた。振り返って見れば、彼らの教義の最も明快な解説である『チェスの現代思想』を書いた一番巧みな主唱者のリハルト・レーティの著作を通してこれらの「超現代派」(50年後の今では変な用語に見える)は驚くほど短い期間に今日我々が知っているようにチェスになくてはならない多くの考え方を確かに創案した。そして彼らの出現は明らかにチェスの発展において転換点を成した。これはもちろん真実の部分もあるが、関係者たち自身によるのと同じくらい時代の状況によって助長された幻想の部分もある。

 ジークベルト・タラシュがシュタイニッツの教えの普及に乗り出した(即ち広く流布しようとした)とき彼は真の天才的な教育のやり方でそれを行なった。それは主として単純化の天才と言うべきものである。彼は一般的な原則を明解な表現による命令という形で教え込んだ。つまり「ビショップより先にナイトを展開せよ、序盤で同じ駒を二度動かすな」など精選された例によって例示したのである。彼の影響力はコントラクトブリッジのチャールズ・ゴーレンとほとんど同じだった。ゴーレンは熟達者の手札評価方法をいくつかの簡単な規則に変換した点数制を普及させたという意味で同じだった。両者の結果は同様だった。以前より多くの人たちがそれぞれの競技を理解し易くなり楽しんで行なうようになった。そのやり方が作り出した愛好者たちを利用して生活の糧を得る人たちが受けた恩恵は数え切れないほどである。しかし彼らの教え方は本質的に教条主義の傾向を持ち込むことにもなった。二人ともある程度「理屈を規則で置き換えることによって」大衆を教化した。そしてある段階を越えて上達するためにはどちらの競技も規則の背後にある理屈を見抜くことが必要である。

(この章続く)

2009年11月06日

「ヒカルのチェス」(149)


「British Chess Magazine」2009年8月号(1/2)

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「ナカムラがサンセバスティアンで優勝」

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編集長の言葉

 スペインのサンセバスティアンでは世界選手権への夢を抱く別の若い選手が現れた。それは21歳のヒカル・ナカムラで、25歳のルスラン・ポノマリョフを優勝決定戦で下した。フィッシャー以来の最も有望な米国人世界選手権者候補という期待が高まっている。カパブランカと符合する点がある。カパブランカも大西洋を渡って来たスターで、ほぼ100年前にサンセバスティアンでの大会でヨーロッパに初めて気概を知らしめた。

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目次

408ページ サンセバスティアン 現在最も有力な世界選手権挑戦候補の若者は誰だろうか。マグヌス・カールセンだろうか。それともヒカル・ナカムラだろうか。ここに吟味する魅力的な資料がたくさんある。

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サンセバスティアン

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 1911年2月にスペインのバスク地方のサンセバスティアン市が大きなチェス大会を主催した。優勝したのはルビーンシュタインとビドマールに半点差をつけた22歳のカパブランカだった。これはこのキューバ人の初の大きな大会での優勝で、恐らくいずれラスカーの後を継いで世界チャンピオンとなる最初の明快な兆候でもあった。

 今年また手ごわいチェスの天才が大西洋を渡って同じ市(今日ではよくバスク名で「ドノスティア」とも呼ばれる)の栄えある大会に参加し同じく優勝した。ヒカル・ナカムラは1911年のカパよりも約6ヶ月若い。だから彼の未来もばら色だと言わなければならない。ナカムラは元FIDE世界選手権者のルスラン・ポノマリョフと同点1位になったが彼が同点優勝戦を戦うところを見たことがある者ならば誰でもこの米国人の勝ちに乗っただろうし2-0でやはりそうなった。

 面白いことにカパ/ナカの類似性はそれぞれの大会の始まりにまで及ぶ。どちらも初戦から5/6の成績だった。カパの初戦はオシップ・ベルンシュテイン戦で名局賞を受賞したが、ナカは伝説的チェス選手の元世界選手権者アナトリー・カルポフを破っているのでたぶんキューバ人の業績を上回っているだろう。

     12345678910合計
1ヒカル・ナカムラg米国2710½½½1½1½11
2ルスラン・ポノマリョフgウクライナ2727½½½1111½½
3ピョートル・スビドレルgロシア2739½½½½½1½½1
4ルスタム・カシムジャーノフgウズベキスタン2672½½½½½01½15
5フランシスコ・バリェホ・ポンスgスペイン269300½½½½1115
6セルゲイ・モブセシアンgスロバキア2716½0½½½½½½1
7マクシム・バシエ=ラグラーブgフランス27030001½½½11
8フリオ・グランダ・スニーガgペルー2647½0½00½½1½
9パブロ・サン・セグンドgスペイン25700½½½0½00½
10アナトリー・カルポフgロシア26440½00000½½
ドノスティアGM-Aグループ、サンセバスティアン(スペイン)、2009年7月7-16日 平均レイティング2682、第18水準、決着率20/45(44%)

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(この号続く)

チェス世界選手権争奪史(82)

第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ(続き)

 (1911年サンセバスティアン大会での自分の試合の評価についてカパブランカは次のように書いていた。「収局の腕前は最高の水準に達していた。それまで並ぶ者がいないと評されていたラスカー自身よりも私の方が上であると言う選手もいたが、上回ってはおらずちょうど同じだったと思う。」)

 気落ちし慣れない気候にも悩まされていたに違いないラスカーは抵抗する気持ちも萎えてしまった。第11局は成すところなく負け、第12局と第13局は引き分けたが第14局ではとんでもないポカを出してしまった。

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この局面でラスカーは 29.Kh2? と指し 29...Ng4+ から 30...Ne5 で簡単に交換損になってしまった。対局終了後ラスカーは主催者に近づき、体調不良により番勝負を放棄することを認めて欲しいと申し入れた。この要請は拒否するわけにはいかなかった。それで10年間待った末の番勝負の結果カパブランカがついに世界選手権者になった。口さがない大衆の中には「信じられないほどつまらない」と思った者もいた。新選手権者は後年にチェス全般について同じような意見を表明した。

(この章続く)

2009年11月05日

チェス世界選手権争奪史(81)

第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ(続き)

 このつまづきにもかかわらずラスカーがひるんだ気配はみじんもなかった。そして次の4局は引き分けだった。第10局でラスカーは序盤から優勢になって16手目のあと次の局面になった。

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 ラスカーはここで 17.Bxd5 と指したが優勢になれなかった。カパブランカの番勝負中負ける危険性は全然なかったという豪語に触発されて後に広範な研究が行なわれたが 17.Bxf6 でも白に勝ちはないことが明らかにされた。もっとも黒の受けは次のように非常に難しい。17.Bxf6 Nxf6 18.Ng6! Rfe8(18...fxg6 19.Rxe6 Bc4 20.Rxe7 +/-)19.Rxe6! fxe6 20.Bxe6+ Kh7 21.Nf8+ Kh8 22.Qh7+! Nxh7 23.Ng6#
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だから黒は 17...Bxf6 と取らなければいけないが 18.Bxd5 exd5 19.Qf5 のあと 19...Bc6
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で受け切れる局面である(20.Ng4 Bg5 21.f4 g6!)。本局の総譜は次のとおりである。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 ラスカー
黒 カパブランカ

1.d4 d5 2.c4 e6 3.Nc3 Nf6 4.Bg5 Be7 5.e3 O-O

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6.Nf3 Nbd7 7.Qc2 c5 8.Rd1 Qa5 9.Bd3 h6 10.Bh4 cxd4

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11.exd4 dxc4 12.Bxc4 Nb6 13.Bb3 Bd7 14.O-O Rac8

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15.Ne5(15.Qe2!)15...Bb5! 16.Rfe1 Nbd5 17.Bxd5 Nxd5 18.Bxe7 Nxe7 19.Qb3 Bc6 20.Nxc6 bxc6 =

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21.Re5 Qb6 22.Qc2 Rfd8 23.Ne2(23.Na4!)23...Rd5 24.Rxd5 cxd5 25.Qd2 Nf5

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26.b3(26.g3!)26...h5 27.h3?(27.Ng3! または 27.g3!)27...h4! -/+ 28.Qd3 Rc6 29.Kf1 g6 30.Qb1 Qb4

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31.Kg1 a5! 32.Qb2 a4 33.Qd2 Qxd2 34.Rxd2 axb3 35.axb3 Rb6

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36.Rd3 Ra6 37.g4 hxg3e.p. 38.fxg3 Ra2 39.Nc3 Rc2 40.Nd1 Ne7

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41.Ne3 Rc1+ 42.Kf2 Nc6 43.Nd1

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43...Rb1(43...Nb4 44.Rd2 Rb1 45.Nb2 Rxb2 46.Rxb2 Nd3+ 47.Ke2 Nxb2 48.Kd2 =)44.Ke2? Rxb3 45.Ke3 Rb4 46.Nc3 Ne7 47.Ne2 Nf5+ 48.Kf2 g5

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49.g4 Nd6 50.Ng1 Ne4+ 51.Kf1 Rb1+ 52.Kg2 Rb2+ 53.Kf1 Rf2+

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54.Ke1 Ra2 55.Kf1 Kg7 56.Re3 Kg6 57.Rd3 f6 58.Re3 Kf7

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59.Rd3 Ke7 60.Re3 Kd6 61.Rd3 Rf2+ 62.Ke1 Rg2 63.Kf1 Ra2

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64.Re3 e5 65.Rd3 exd4 66.Rxd4 Kc5 67.Rd1 d4 68.Rc1+ Kd5 白投了

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(この章続く)

2009年11月04日

世界のチェス雑誌から(56)

「Chess Life」2009年10月号(2/3)

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教育界

すごいぞロブソン(続き)

 次の試合はIMサム・シャンクランドが本誌のために特に解説してくれたものである。この試合には本大会に特徴的な多種多様な要素が現れていてこの大会をよく象徴している。その要素とは順位に関係のない激しく妥協のない戦い、重要な、時には直感で、決断が要求されるいくつかの急所の局面、相手の読みの積極的な妨害、別の作戦を選ぶ柔軟性、そして最も大切と思われるお互いへの敬意と協力的な真理追究の雰囲気で対局後の検討を行なうことである。サムの解説は分かり易くて読むのが楽しい。

自戦解説 IMサム・シャンクランド

シチリア防御スヘーファニンゲン戦法 (B84)
白 FMエリオット・リュー (2359)
黒 IMサム・シャンクランド (2553)
2009年米国ジュニア選抜大会第6回戦、2009年7月15日

 この大会はかなり出来が悪かった。この試合は2連敗後の対局である。最初の負けはルーク得でポカを指したことによるもので、次の負けは相手の22手の布局研究にはまったためである。エリオットも不調で、直前まで3連敗していた。しかしこのような状況でも我々はなんとか非常に面白い戦いをすることができた。

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 a6

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 このナイドルフ戦法が私の好きな定跡である。

6.Be3 e6 7.Be2!?

 これは良い手であるが全然別方向のスヘーファニンゲン戦法に行ってしまう。7.f3 b5 8.Qd2 Nbd7 9.O-O-O(9.g4 h6 10.O-O-O b4)ならほぼ主手順の範囲内である。

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7...Qc7

 この融通性のある手はカスパロフの好んだ手である。黒は 7...b5 と指したいのだが今のところは無理である。...Qc7 は黒がいつでも指したい手だが、b8のナイトはc6とd7のどちらが良いのかまだ不明である。7...b5? は 8.Bf3! e5(8...b4 9.e5 dxe5 10.Nde2 は白の戦力得になる)9.Nf5 で白が明らかに有利である。

8.a4

 この手は黒からの ...b5 を止めている。

8...b6

 黒がこの手を指さずに 8...Be7 9.O-O O-O 10.f4 Nc6 と指せば局面はスヘーファニンゲン戦法に移行する。

8.f4 Bb7 9.Bf3 Nbd7 11.Nb3

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 黒は ...Nc5 でe4のポーンを取る手を狙っていた。

11...Be7 12.O-O O-O 13.g4

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 このような手はこの種の戦型では普通の手である。白は自分のキングが何も切迫した状況にないのでキング翼の陣地を広げることができる。

13...Nc5

 この手はもう一つのナイトがd7に来れるようにするためである。

14.Nxc5

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14...bxc5!?

 14...dxc5 と取る手もあるが次のようにつまらない局面になるようである。15.e5 Rfd8 16.Qe2 Nd5 17.Nxd5 Bxd5 18.Bxd5 Rxd5 19.c4 Rd7 20.Rad1
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こうなれば引き分けの可能性が非常に高い。

15.g5 Nd7 16.Bg2

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 白は Rf3-h3 から Qh5 と指すつもりだが手数がかかる。

16...f5?!

 これは着想は良いのだがタイミングが悪かったかもしれない。私の見るところ白の唯一の現実的な作戦は Rf3-h3 から攻撃をかけることで、白ルークが既にその変な位置にいれば ...f5 がもっと効果的になる。しかし黒としても白の方から f5 と突いてくる可能性を常に警戒していなければならない。そこでその芽をすぐに摘むことにしたのだった。

 16...Rae8 なら 17.f5 exf5! 18.exf5(18.Rxf5 は 18...g6 19.Rf1 Qd8 20.h4 f6
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となって黒の十分満足できる局面だろう。この後 21.Nd5 fxg5 22.Nxe7+ Qxe7 23.Bxg5 Qe5 となれば黒が優勢である。)18...Bxg2 19.Kxg2 Qb7+ 20.Kg1 Qxb2 21.Nd5 Bd8
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となるがこの局面が非常に気に入らなかった。理由はd5のナイトが非常に強力だしキング翼の白陣の広さが攻撃の可能性を高めていると考えたからである。しかし実際にはあまり恐れることはなくて、この局面は黒の方が少し優勢かもしれない。

17.Qe2!

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 この手待ちは良い手だった。白は Qc4 を狙っている。

17...Rae8

 黒の狙いは ...fxe4 である。黒はすぐに 17...fxe4? と指したいのだが次の手順でうまくいかない。18.Bh3! e5(18...Rf5 黒は ...d5 と指せるならばこの交換損の犠牲が有効なのだがそれができない 19.Bxf5 exf5 20.Qc4+ Kf8[20...Kh8 は 21.Qf7 で白が良い]21.a5! 黒のナイトにb6に来させない。白が優勢である。代わりに 21.Nd5? は 21...Nb6! 22.Nxc7(22.Nxb6 は 22...Qxb6 で黒が ...d5 と指せて優勢である)22...Nxc4 23.Nxa8 Nxe3 24.Nb6 Nxc2
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で黒が二重に交換損だが2個の連結パスポーンと双ビショップが強力で白のルークはどちらもすぐには働かない。黒が優勢である。)[訳注 「18.Bh3! e5」のあとの手順ないしは解説が抜けています。]

18.Rae1 fxe4

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19.Nxe4

 19.Bxe4? d5 この手は ...dxe4 と ...d4 の両にらみである 20.Bxh7+ Kxh7 21.Qh5+ Kg8 22.Rf3
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白の攻撃は強力そうである。直感では黒が守り切れて勝つと思っていたが黒の次の手は気づかなかった。22...Bxg5! 23.Qxg5(23.fxg5 Rxf3 24.Qxf3 d4 白は指し切っていて駒損になり対角斜筋が弱い。完全にだめである。)23...d4 これで黒が駒損を取り戻す。ナイトがf6に行けばすべての弱点をカバーする。

19...d5 20.Ng3 Bd6

 黒は何か手がありそうに見えるが白が Qg4 と指した後では指し方が難しい。

21.Qg4

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21...Nb6

 21...d4 これがコンピュータの推薦手で黒が優勢だそうである。実戦ではビショップを強制的に下がらせて白ルークの利きを通させ白ナイトに恒久的なe4の安住の地を与えるのは良くないと考えていた。しかし具体的な手順を見るとそうでない。22.Bxb7 Qxb7 23.Bc1 Qd5 24.Ne4 c4
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このあと黒は ...Nc5 と指して優勢である。

22.Bc1 Bc8 23.b3 e5

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24.Qh4

 これは積極性に欠けた手だった。24.f5!? なら a5 から Bxd5+ が狙える。以下 24...e4 25.g6!(25.c4 は Bxg3! 26.hxg3 g6 で黒も指せる局面のようだがまだまだ難しい。)25...hxg6(25...h6 は前の変化でg6の地点が使えないことが決定的に違う。26.c4 で白が主導権を握る。)26.Qxg6 Be5 27.c4
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となって難解な局面である。

24...exf4 25.Rxe8 Rxe8

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26.Bxf4!

 エリオットが a5 突きで賭けに出なかったのは正しい判断だった。例えば 26.a5 fxg3 27.axb6 gxh2+ 28.Kh1 Qxb6!-この手は局後の検討で見つかった。初めは二人とも黒がd5を守るために ...Qc6 か ...Qb7 と指さなければいけないと思っていた。-29.Bxd5+ Be6-白が指せているように見えるが実際は黒には何の危険もなく白の負けである。-30.Be4 g6 31.Bb2 c4
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これで Bxg6 にはいつでも ...Bd5+ がある。...Qg1# があるので白はルークを最下段から動かすこともできない。黒は戦力的に優勢で、最初はそう見えないかもしれないが白キングの方が黒キングよりはるかに危険な状態である。

26...Bxf4 27.Qxf4 Qxf4 28.Rxf4

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 あとはもう指す余地がほとんどない。

28...a5 29.Kf2 Re5 30.h4 Be6 31.Bf3 Nc8 32.Bg4 Bxg4 33.Rxg4 Nd6 34.c3 c4

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35.bxc4

 局面の均衡を崩すなら 35.b4 が最後の機会だがうまくいかないようである。35...axb4 36.cxb4 c3 で黒の方が完全に速い。

35...Nxc4 引き分け

 激戦が平和的に終結した。

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(この号続く)

チェス世界選手権争奪史(80)

第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ(続き)

 付け加えればカパブランカも特に準備しなかった。何となれば彼は一度もそういうことをしたことがなかった(マスターの棋力になるまでチェスの本を開いたことがないことが彼の自慢の種だった)。それにそもそも他のいくつかの有利な点があった。対局地は自分の地元だった。そこではチェス愛好家たちが彼を崇拝し彼の慣れた気候だった。それに年も20歳若かった。それでもラスカーの出だしは上々で最初の4局は優勢だったが全部引き分けに終わった。その後の第5局で不運に見舞われた。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 カパブランカ
黒 ラスカー

1.d4 d5 2.Nf3 Nf6 3.c4 e6 4.Bg5 Nbd7 5.e3 Be7 6.Nc3 O-O 7.Rc1

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7...b6

 対局当時この手は既にいくらか旧式になっていて 7...c6 に人気を奪われていた。そのあとの通常の手順は 8.Bd3 dxc4 9.Bxc4 Nd5 10.Bxe7 Qxe7 11.O-O Nxc3 12.Rxc3 e5!
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で、この解放の捌きはカパブランカによるものである。

8.cxd5 exd5

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9.Qa4

 この番勝負の第1局でカパブランカは 9.Bb5 と指した。しかし 9...Bb7 10.Qa4 a6 11.Bxd7 Nxd7 12.Bxe7 Qxe7 13.Qb3 Qd6!
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となって優勢になれなかった。最善手はたぶん 9.Bd3 で実戦例は 9...Bb7 10.O-O c5 11.Qe2 c4 12.Bb1 a6 13.Ne5 b5 14.f4 +/-
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である(ビドマール対イェーツ、ロンドン、1922年)。

9...c5

 カパブランカが1914年モスクワでの対ベルンシュタイン戦でこの局面の黒番を持った時は 9...Bb7 と指し、以下 10.Ba6 Bxa6 11.Qxa6 c5 12.Bxf6 Nxf6 13.dxc5 bxc5 14.O-O Qb6 15.Qe2
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と進んだ時 15...c4 で黒も指せる局面になった。本譜の手はポーンを犠牲にする。

10.Qc6 Rb8 11.Nxd5

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11...Bb7

 11...Nxd5 は 12.Qxd5 Bb7 13.Bxe7 Qxe7 14.Qg5 Qxg5 15.Nxg5 cxd4
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となって恐らく黒にポーン損の十分な代償がある。

12.Nxe7+ Qxe7 13.Qa4

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13...Rbc8

 ここで 13...Bxf3 14.gxf3 cxd4 15.Qxd4 Ne5 16.Be2 Rbd8 17.Qf4 Rd6
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と指していたら黒は反撃に期待が持てただろう。本譜の手は思わぬ逆(さか)ねじを食らわされた。

14.Qa3! Qe6 15.Bxf6! Qxf6 16.Ba6!

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16...Bxf3

 16...cxd4 は 17.Rxc8 Rxc8 18.O-O で白がはっきりとポーン得になる。

17.Bxc8 Rxc8 18.gxf3 Qxf3 19.Rg1 Re8 20.Qd3 g6

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21.Kf1 Re4 22.Qd1 Qh3+ 23.Rg2 Nf6 24.Kg1 cxd4

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25.Rc4!

 25...Rg4 には 26.Rc8+ Kg7 27.Rxg4 +/- の意図である。

25...dxe3 26.Rxe4 Nxe4 27.Qd8+ Kg7 28.Qd4+ Nf6 29.fxe3 Qe6 30.Rf2 g5 31.h4

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31...gxh4?

 31...Kg6 の方が良い受けで 32.hxg5 Ne4 33.Qd3 Qg4+ 34.Rg2 Qh4 35.Qb1 Kg7
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でポーンが取り返せて、引き分けに通じる反撃も保持している。しかし本譜の手でも白は容易でない。

31.Qxh4 Ng4 32.Qg5+ Kf8 Rf5

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34...h5

 34...Qxe3+ は 35.Qxe3 Nxe3 36.Rf2 で白の楽勝になる。

35.Qd8+ Kg7 36.Qg5+ Kf8 37.Qd8+ Kg7 38.Qg5+ Kf8 39.b3 Qd6

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40.Qf4 Qd1+ 41.Qf1 Qd7 42.Rxh5 Nxe3 43.Qf3 Qd4 44.Qa8+ Ke7 45.Qb7+

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45...Kf8?

 これは敗着となるポカだった。45...Ke6 か 45...Kf6 なら黒は致命的なクイーン交換を避けられた。実戦はルーク対ナイトの収局になって絶望的である。

46.Qb8+ 黒投了

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(この章続く)

2009年11月03日

囲いの崩し方021

YKA021.JPG  白の手番

「Europe Echecs」 Novembre 2009
Faites-Vous La Main ! 9
Kasparov - Short, Zurich 2001

18.Bh6!! gxh6 19.Qd2! f5 20.exf6e.p. Bd8 21.Qxh6 Ra7 22.Ng5 Qxb5 23.f7+ Rxf7 24.Nxf7 1-0

チェス世界選手権争奪史(79)

第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ(続き)

 ホセ・カパブランカ(1888年11月19日生まれ)は番勝負当時33歳で、ある評者によると「中くらいの身長でほとんどきゃしゃに近く極めて気品があり髪は直毛で真っ黒、細く白い筋で等分にぴんと分けられている」、いわば一種の知的なルドルフ・バレンチノだった。彼なりの「スプレッツァトゥーラ」以上の人物として最も簡潔に描写されているようである。このイタリア語は通常は「無関心」と訳されるが実際は技巧を隠し「何の苦労もなくほとんど何も考えずにやったり言ったりしているように見せる」技法を意味している。これはカパブランカにして初めてできることだった。著書の『私のチェス履歴』の序章でどのようにしてチェスを覚えたかを書いているが、ちょっとほほえましいものがある。

 『たまたま父の書斎に入ったところ父がある紳士とチェスを指しているのを見たのはまだ5歳にならないときだった。それまでチェスを見たことはなかった。チェスの駒は私の興味を引き付けた。翌日また二人の対局を見に行った。三日目のことだが超初心者の父がナイトを白枡から白枡へ動かすのを目撃した。相手も明らかに下手な選手でそれに気づかなかった。父が勝って私は彼の所に行きペテン師呼ばわりし笑った。ちょっと口論になりその間もう少しで部屋から追い払われそうになったが父に彼のしたことをやって見せた。父はどのようにしてチェスを覚えたのかと聞いた。私は父を負かせると答えた。父は私が駒を正しく並べられないくせに自分を負かすことはあり得ないと言った。本当かどうかやってみると私が勝った。それが始まりだった。』

 それからは自分の人生の平穏を乱すような小さな挫折もほとんどなく順風満帆だった。キューバ政府が彼に外交官の業務の名誉職を与えてくれたので物質面の心配もいらなかった。彼はめったに負けなかったので著書の『チェスの基本』にはそれまでの敗局の「すべて」、全部で8局、を載せることができた。ラスカーの類まれな棋歴にもかかわらずカパブランカがタイトル奪取の大本命だった。もしチャンピオンの試合への取り組みが一般に知れ渡っていたらなおさらそうだったに違いない。ラスカーは頑固な人間で一度タイトルを放棄しカパブランカに譲っていたので明らかに番勝負を単なる儀式とみなしていた。親友のオシップ・ベルンシュタインはハバナへ向かう少し前のラスカーと交わした会話をずっと後になってこう記している。

 「試合に備えて何か準備したか」
 「いや」
 「休息を取ったか」
 「いや」
 「少なくとも航海中にチェスを研究するために盤駒を持って行くだろうな」
 「いや」
 「自分の指す定跡の見直しとカパブランカの試合の研究はしたんだろうな」
 「いや」
 「それじゃ気違い沙汰だ」と私は言った。返事はなかった。
 [オシップ・ベルンシュタイン『ラスカーとの出会い』チェスレビュー1955年5月号]

(この章続く)

2009年11月02日

チェス500名局(110)

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第1部 開放型

第5章 ルイ・ロペス

第110局

白 ラスカー
黒 カパブランカ
(サンクトペテルブルク、1914年)

 世にも名高いこの試合で白はこの上ない効率的な手段で可能な最大限の効果を収めた。

 白の12手目の 12.f5 はそれだけで黒陣全体を封鎖したと言えるかもしれない。

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Bxc6

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 この手はラスカーの十八番(おはこ)である。

4...dxc6 5.d4 exd4 6.Qxd4 Qxd4 7.Nxd4 Bd6

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8.Nc3

 これは純粋な展開の手である。もっと積極的な 8.f4 には 8...f6 と応じてくる。8.O-O や 8.Be3 のような穏やかな手に対しては黒は支障なく 8...Ne7 と指すことができる。

8...Ne7 9.O-O O-O

 黒は柔軟性に富む 9...Bd7 でどちらにキャッスリングするか態度を保留して敵を疑心暗鬼に陥らせるようにすることもできた。

10.f4

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 白は手の内を半分示した。

10...Re8

 この手は 11...Bc5 12.Be3 Nd5 を狙っている。しかしすぐに 10...Bc5 と指す方が簡明だった。

11.Nb3

 機先を制して上述のビショップの展開を阻止し逆に 12.e5 を狙っている。

11...f6

 黒は窮屈な陣形に甘んじた。しかし 11...f5 では 12.e5 Bb4 13.Ne2 Ng6 となってあまり感心しない(白のeポーンがパスポーンになっているため)。だから黒はこの機会に 11...Be6 で戦闘配置につけるべきだった。

12.f5

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 これは大胆なポーン突きである。長所(黒のクイーン翼ビショップの押さえ込み、黒のナイトの封鎖、自分のクイーン翼ビショップの利きの伸長)が短所(eポーンがむき出し)を上回っている。ここから激闘が始まる。

12...b6 13.Bf4

 この手で敵から唯一働いている駒を奪う。

13...Bb7

 13...Bxf4 14.Rxf4 c5 15.Rd1 Bb7 と指す方がもう少し駒が自由に動けた。

14.Bxd6

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 この手は一貫性に欠けるように見えるが-敵の二重ポーンを解消させる-黒陣の弱点を増加させる。

14...cxd6 15.Nd4 Rad8

 相手の意志に魅入られたかのように黒は受け一方にまわった。しかし 15...Bc8(16.Ne6 を防ぐため)としてから ...Ra7 としていればいくらか活動の自由が望めた。

16.Ne6

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 敵陣に侵入したナイトが敵をかく乱する。

16...Rd7 17.Rad1 Nc8 18.Rf2 b5 19.Rfd2 Rde7 20.b4

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 この手は黒が 20...c5 でビショップを自由にするのを防いだ。

20...Kf7

 クモの巣にかかったような状態の黒はたとえ交換損の犠牲を払っても 20...Rxe6 21.fxe6 Rxe6 で自由を確保した方が良かった。そうなれば白の勝ちは確実とはいえない。

21.a3 Ba8 22.Kf2 Ra7 23.g4 h6 24.Rd3

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24...a5

 この反撃策は黒の苦境を深めるだけである。ここでも 24...Rxe6 が比較的最良の手だった。

25.h4 axb4 26.axb4 Rae7 27.Kf3 Rg8 28.Kf4 g6 29.Rg3

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 この手は Rdg1 から g5 の準備である。

29...g5+ 30.Kf3

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30...Nb6

 黒はこの「誘いの隙」の手よりもともかく 30...gxh4 31.Rh3 d5 と打って出るべきだった。

31.hxg5

 白はh列を開けて貴重な資産を手に入れた。31.Rxd6 は 31...Nc4 で黒に ...Ne5+ からの反撃を許してしまう。

31...hxg5 32.Rh3 Rd7 33.Kg3

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 白は白枡の対角斜筋を空けて 34.e5 を狙っている。

33...Ke8

 黒は白のポーン突きの狙いをかわしたが一時的なしのぎにすぎない。

34.Rdh1

 35.Rh8 でビショップを取る狙いがある。

34...Bb7 35.e5

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 この「枡を空ける犠牲」のあと事態は急進展する。

35...dxe5 36.Ne4 Nd5 37.N6c5

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37...Bc8

 この手は仕方がない。37...Rc7 は 38.Nxb7 Rxb7 39.Nd6+ でひどいことになる。

38.Nxd7 Bxd7 39.Rh7 Rf8 40.Ra1 Kd8 41.Ra8+ Bc8 42.Nc5 黒投了

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 白からの三通りの狙い 43.Rd7+、43.Nb7+、43.Ne6+ に対して黒はどうすることもできない。例えば 42...Nb6 なら 43.Rb8 でナイトが取られるし 42...Ne7 なら 43.Ne6+ で白の勝ちになる。

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チェス世界選手権争奪史(78)

第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ

 人間の精神の多くの限界の中でも現代の世界で最もしばしば明らかなのは、いかなる規模の出来事も漠然としか理解できないということである。第一次世界大戦では850万人が亡くなった(ベルダンの戦いだけでほぼ50万人)。しかしこれらの統計はその規模ゆえにピンと来ない。しかし我々は意義をいくらか理解できる個々の事例に光を当て象徴化することによって補っている。純粋に人間の言葉では1918年のクリスマスにカルル・シュレヒターが地元のウィーンで餓死したことはすべての統計よりも意味あることかもしれない[訳注 正しくは12月27日にブダペストで肺炎のため死去]。

 戦争期間中を米国で過ごしたカパブランカは1919年9月にヨーロッパに戻りヘースティングズ戦勝大会で優勝した。ラスカーとの交渉は速やかに再開されほとんど同じくらい速やかに決裂した。番勝負をオランダで行なうことを念頭に開かれたいくつかの会合も無駄になった。その後ラスカーによると1920年6月17日にブエノスアイレスのあるチェスクラブから5月15日付で同市での番勝負を開催する提案の手紙が届いた。ラスカーは返事で自分の条件を繰り返した。ブエノスアイレスの主催希望者は条件は挑戦者に不公平であるというカパブランカの主張を支持した。これに対してラスカーは降参してタイトルを放棄しカパブランカを後継チャンピオンに指名した。

 このタイトル放棄を額面どおりに受け取るわけにはいかない。それでもラスカーが本気だったという有力な証拠がある。いずれにしてもカパブランカとの論争で相手の方にほとんどまんべんなく同情が集まったことに憤慨していたのは明らかである。チェス界はもちろん番勝負を行なえとわめき続けていた。そしてハバナ・チェスクラブがカジノ賭博場と協同して、開催に2万ドル、チャンピオンに1万1千ドルの保証金を提案した時ラスカーは受諾した。勝者は先に8勝をあげた者で、試合数はさらに短く24局で、チャンピオンの当初の他の要求は黙って取り下げられていた。

(この章続く)

2009年11月01日

チェス世界選手権争奪史(77)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 1912年の終わり頃にラスカーはルビーンシュタインとの交渉を始めた。しかしルビーンシュタインの驚くべき一連の優勝にもかかわらず対戦をまかなうための資金は獲得できなかった。それは彼が目立たない性格で富裕な後援者がほとんどできなかったためだった。それでもドイツ、ポーランドそれにロシアのいろいろなチェスクラブがなんとか十分な資金を集めることができれば、1914年のいつか番勝負を戦うというところまで合意ができた。

 1914年の4月にラスカーはサンクトペテルブルクの大きな大会で実戦に復帰した。参加者にはカパブランカとルビーンシュタインも含まれていた。対戦方式は少々変わっていた。まず11選手が1回戦総当たりを戦った。それからそのうちの上位5選手だけが2回戦総当たりの決勝戦に進んだ。予選の結果は決勝にそのまま持ち越された。第1段階が終わってカパブランカが8点、ラスカーとタラシュが6½点、アリョーヒンとマーシャルが6点、ルビーンシュタインは同点6位で決勝に進めなかった。ラスカーの逆転優勝の偉業は劇的なカパブランカとの最終戦の勝利によるもので、チェス史上の決定的瞬間の一つに数えられるものだった。老練なチャンピオンにとってささやかな個人的満足という程度のものではなく、大会期間中両者の間で醸成されてきた名ばかりの和解によってもほとんど薄められるものではなかった。

 やや不満足な結果に終わった大会だったがカパブランカはサンクトペテルブルク大会で一つの小さな勝利を収めた。それは世界選手権戦を規定するために彼が策定した一連の規定がラスカーを含めた他の参加者たちによって原則的に承認されたことだった。同じ年のもっと後にこれらの規定がマンハイム総会の投票にかけられやはり承認された。内容は次のようなものだった。

 1.チャンピオンはタイトル獲得後1年以内に、その後は1年おきに挑戦を受けなければならない。

 2.世界選手権戦での持ち時間は15手につき1時間とする。

 3.番勝負の勝者は6局または8局勝ち越した者とする。どちらにするかはチャンピオンが決める。

 4.番勝負の賞金は1千ポンドを下回らないものとする。(これらの規定を後述する1922年ロンドンでの番勝負での規定と比較してみるとよい)

 ルビーンシュタインとの番勝負の資金がまだ集まらなかったのとこの両者が会ってもまだ言葉を交わす程度の仲だったので、ラスカーとカパブランカの対戦の交渉を真剣に始めた方が論理的だった。しかし論理は次の4年間に世界で起きた出来事に成すすべがなかった。1914年8月14日オーストリアのフェルディナント大公がサラエボで暗殺され、チェスのすべての国際的な活動だけでなく他の多くのことが完全に止まってしまった。

(この章終わり)

2009年10月31日

チェス世界選手権争奪史(76)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 世界中のチェス愛好者にこのニュースが知れ渡る前に同程度の衝撃が1912年に起こった。それはアキバ・ルビーンシュタインがサンセバスティアン(短い期間毎年開催されていた)、ピエシュチャニ、ブレスラウ、ワルシャワそれにビリニュスで大きな5大会連続優勝したことだった。これは空前絶後の偉業だった。ルビーンシュタインはロシア領ポーランドの小さな町出身のずんぐりした陰気な人物でタルムード[訳注 ユダヤの律法と注解集大成本]学者としての経歴を捨てていた。最初の重要な大会に参加したのは1907年でそれから優勝につぐ優勝を重ねた。カパブランカとルビーンシュタインのような二人の若手の出現は、ある有力権威者たちの言うところの西欧文明の残りが老衰の断末魔にいる時にチェス界に最も強烈な興奮をもたらしたに違いない。

 カパブランカにせよルビーンシュタインにせよもちろん当然の挑戦候補だった。そしてまもなくカパブランカがチャンピオンに番勝負の条件を提示するよう要求した。ラスカーはそれに応じて提示したが、当初の条件はまともな挑戦者ならとても飲めないような代物(しろもの)だった。番勝負はタイトル保持者の指定する年月日と場所で行なうことになっていた。試合数は最大30局で先に6勝した方が勝者だった。30局終了した時点で互角の成績または一方が1勝しか差をつけていないならば番勝負は引き分けでチャンピオンのタイトル防衛だった。実際番勝負が互角で終了した場合は、チャンピオンが特権で額を決める賭金は出資者に返金され、チャンピオンが挑戦者に彼の勝局ごとに250ドル、引き分けごとに75ドル払い、番勝負の出版権はすべてチャンピオンに属することになっていた。ラスカーの案には他にも議論の的になる点があった。それは挑戦者が2千ドルの違約金(!)を供託することと持ち時間が12手につき1時間と異常に長いことだったが、2勝差で勝利者が決まるという例の規定はもちろんその最たるものだった。

 しかしカパブランカは十分な時間があれば2点差でラスカーを負かせる自信を持っていた。主として異議があったのは30局という制限で「この条件の不公平さは明らかである」と返事を書いた。ラスカーは新聞での声明で反論しカパブランカの言葉を「不快で無礼である」と決め付けた。それで交渉は当分の間沙汰やみになった。

(この章続く)

2009年10月30日

「ヒカルのチェス」(148)

「Chess Life」2009年10月号(1/1)

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2009年ワールドオープン

ジェリー・ハンケン

 今年のワールドオープンはこれまでのように7月4日の週末にかけてフィラデルフィア(立派なシェラトン・シティーセンター)で開催された。しかし今回は今までと変わったところもあった。オープン部門で98選手中37名がグランドマスターというように非常に上が厚かった。これは2400未満の部門に強豪が集まった結果だった。同点優勝は米国選手権者のGMヒカル・ナカムラと、3年連続で同点1位のロシアのGMエブゲニー・ナイェルだった。去年ナイェルは一発勝負の優勝決定戦を制したが今年は優勝決定戦ができなかった。台風の目のヒカルが来たのは金曜日で、忙しい3日コースで5試合中4½点をあげ、大西洋に発つ前に二日間しかいなかった。月曜日からスペインでの素晴らしいサンセバスティアン大会で対局する予定だったので、最後の2局を不戦の半点ずつにしてこのスケジュールで試合をするしかなかった。(時差ぼけには影響を受けなかったようで、初戦で元世界チャンピオンのカルポフを破り優勝決定戦の快速チェスでこの一流の大会に優勝した。何ということだ!)この大会でヒカルは二日目に世界レベルのGMイリヤ・スミリンと引き分け、第7回戦でナイェルを順当に破った。これがその試合である。

フランス防御 (C10)
白 GMエブゲニー・ナイェル (2714)
黒 GMヒカル・ナカムラ (2787)
ワールドオープン第7回戦、フィラデルフィア、2009年7月4日

 私の記憶によればこの試合は米国のチェスの中で傑作の部類の一つである。ヒカルが黒で対戦したのは去年まで2年連続ワールドオープンで優勝した相手だった。ヒカルは翌日の2試合を不戦にしてあるのでこれが最後の試合であることは分かっていた。そして「大金」を獲得する可能性を残すためには勝たなければならなかった。選んだ戦法は一種のカロカンで、クイーン翼にキャッスリングした。

 驚いたのはクイーン翼にキャッスリングして収局に勝つことができたことだった。米国チャンピオンが魔法をかけるところを見てみよう。

1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nd2 dxe4 4.Nxe4 Bd7 5.Nf3 Bc6 6.Bd3 Nd7 7.O-O Bxe4

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 これが最初の大きな驚きである。ささやかな手得のために双ビショップを譲ってしまった。

8.Bxe4 c6 9.c4 Ngf6 10.Bc2 Qc7 11.Qe2 O-O-O

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 これが第2の驚きである。クイーン翼にキャッスリングした。

12.Rb1 h6 13.b4 g5 14.Rb3 g4 15.Nd2 h5

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16.c5

 どうしてd5の地点を敵のナイトに譲るのだろうか。私なら 16.b5 と指したい。

16...Nd5 17.Ne4 Nb8 18.Bg5 Be7

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 これまた驚きである。このビショップを交換すると白のナイトがd6の地点に跳び込める。

19.Bxe7 Nxe7 20.Nd6+ Rxd6!

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 これはずっと先まで見通した交換損である。私のスーパーコンピュータのリブカは白がプラス・オーバー・マイナスと判定している。ヒカルは読みだけでなく直感で指している。彼にはナイトの絶妙な連係が分かっている。

21.cxd6 Qxd6 22.Rd1 a6 23.a4 b5

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 これでキングに対する現実的な危険が鈍り、b4が弱点として固定される。

24.h4 Nd5 25.axb5 axb5 26.Be4 Nf4 27.Qc2 f5 28.Bd3 Kb7 29.Bf1 Na6 30.Qd2 Nd5

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 「ナイトが家に帰って仲間と一緒にbポーンに狙いをつけている。」ここで明らかになったのは黒はキング翼を狙っているのではなく収局を目指しているということである。

31.Re1 f4 32.Re5 Naxb4 33.Qe1 Rh6 34.Rg5 Kb6

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 黒キングは全く安全でeポーンはよく守られている。

35.Qb1 g3

 絶好のはがしである。

36.fxg3 fxg3 37.Re5 Rf6 38.Rxg3 Rf4 39.Qd1

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 リブカは白が優勢と考えてきたがここへ来てようやく「心」を入れ替えた。

39...Nf6 40.Qe1 Ng4

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 この跳ね回る畜生をよく見ているがよい。白のビショップは傍観者で、白がすぐ破滅するのを避けるためには交換損を返さなければならない。

41.Rxg4

 41.Rxh5 は 41...Qxd4+ 42.Kh1 Nc2 43.Qb1 Nf2+ 44.Kh2 Rxh4+ 45.Rxh4 Qxh4+ 46.Rh3 Nxh3 47.gxh3 Qf2+ 48.Bg2 Ne1 49.Qe4 Qxg2+ 50.Qxg2 Nxg2 51.Kxg2 b4
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で良くない。

41...Qxd4+ 42.Kh2 hxg4 43.Rxe6 g3+ 44.Kxg3 Rxh4

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45.Qe5

 45.Qe3 は 45...Nd5 46.Qxd4+ Rxd4 となって連結パスポーンで勝利が決まる。

45...Qg4+ 46.Kf2 Qf4+ 47.Qxf4 Rxf4+ 48.Ke2 Nc2 49.Rg6 b4 50.g3 Rxf1

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 気持ちのよい決め手が出た。残ったナイトがルークを圧倒しgポーンは役に立たない。

51.Kxf1 b3 52.Rg8 Kc5 53.Rb8 Nb4 54.Rd8 b2 55.Rd1 Kc4 白投了

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 あとの速度計算は自分でできるだろう。この試合は真の傑作である。

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(この号終わり)

チェス世界選手権争奪史(75)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 シュレヒター戦からチェスでの成功の秘訣は相手を慎重に選ぶことだと学んだことを示すかのようにラスカーが1910年11月にまたもタイトルを防衛した時の相手はヤノフスキーで結果はラスカーの8勝0敗3分だった。

 世界選手権の出来事とは別に第一次世界大戦直前の2、3年はチェス界が沸き立った年だった。ロシアの20歳のアレクサンドル・アリョーヒンが1910年夏のハンブルク大会で国際的にデビューしたことはほとんど注目されなかったが(同点7位だった)、23歳のキューバ人のホセ・ラウル・カパブランカが1911年にサンセバスティアンで始めてヨーロッパに登場したのはそうではなかった。

 カパブランカは既に12歳の時の1900年にフアン・コルソとの番勝負に勝ってキューバチャンピオンになった時少し評判になっていた。しかしそれからしばらくは真剣なチェスを指さなかった。そしてニューヨークのコロンビア大学在学中にそこの界隈で評判になり1909年にフランク・マーシャルとの番勝負が設定された。結果はカパブランカが8勝1敗14分であっさり勝った。

 マーシャル戦での圧勝によりカパブランカはサンセバスティアン大会に招待された。他の参加者の中には異議を唱えるものもあり、その中のオシップ・ベルンシュタイン博士は彼を参加させることには何のメリットもないと主張した。それはたぶんマーシャルが試合を放棄したのかという懐疑のうわさがあったためだった。しかし若きカパブランカは真のフランク・メリウェル流に初戦でベルンシュタインを負かした。その試合は後に名局賞をとり、カパブランカは大会に優勝した。[訳注 フランク・メリウェルは第二次世界大戦中の米国の准将で、彼の指揮下の兵士たちは中国、旧ビルマ、インド方面のジャングル戦が巧みだった。]

(この章続く)

JCAの間違い捜し(7)

「第101回チェスネット競技会」

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 白が逆転するには単刀直入に 1.Nxf7 と黒キングを取ってしまうのが一番簡単です。

2009年10月29日

チェス世界選手権争奪史(74)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 1点勝ち越したが残りわずか5局で、シュレヒターがすべてを投げ打っても失うものは何もないと考えたとしてもごく当然で、もう1勝目指して神風攻撃のように指し始めた。ラスカーはチェスで一番簡単に負ける方法は引き分けを目指して指すことだということは知り抜いているので正面からぶつかって戦う以外になかった。その結果はさらなる4引き分けだった。

 第10局が一層わけの分からない内容になったのはそのような状況で指されたことを知らないと理解できない。

スラブ防御
白 ラスカー
黒 シュレヒター

1.d4 d5 2.c4 c6 3.Nf3 Nf6 4.e3 g6
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(この手は後にスラブ防御のシュレヒター戦法として知られるようになった。もちろん黒には他に5、6手候補手があるがそれらよりも攻撃的で危険を伴う。)5.Nc3 Bg7 6.Bd3 O-O 7.Qc2 Na6 8.a3 dxc4 9.Bxc4 b5
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10.Bd3 b4 11.Na4 bxa3 12.bxa3 Bb7 13.Rb1 Qc7 14.Ne5
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14...Nh5(14...Nd7? 15.Rxb7!)15.g4(15.O-O!)15...Bxe5 16.gxh5 Bg7 17.hxg6 hxg6 18.Qc4 Bc8
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19.Rg1(19.Bxg6 は 19...Be6 20.Bxf7+ Bxf7 21.Qxa6 Bd5 で黒の攻撃がきつい。)19...Qa5+ 20.Bd2 Qd5 21.Rc1 Bb7 22.Qc2 Qh5
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23.Bxg6?(23.Bc4 なら白が大いに優勢だった。)23...Qxh2 24.Rf1 fxg6 25.Qb3+ Rf7 26.Qxb7 Raf8!
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27.Qb3(27.Qxa6? Rxf2 28.Rxf2 Rxf2 29.Qc8+ Kh7 30.Qg4 Rxd2 31.Qf3 Rg2 +-)27...Kh8 28.f4 g5! 29.Qd3 gxf4 30.exf4 Qh4+
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31.Ke2 Qh2+ 32.Rf2 Qh5+ 33.Rf3 Nc7 34.Rxc6 Nb5! 35.Rc4
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35...Rxf4?(35...Rd8! 36.Be3 e5! -/+)36.Bxf4 Rxf4 37.Rc8+ Bf8 38.Kf2! Qh2+ 39.Ke1
YFMF074I.JPG
39...Qh1+?(39...Qh4+ なら黒はまだ引き分けにできた。以下は 40.Kd2! Qh2+ 41.Ke3 Rxf3+ 42.Kxf3 Qh3+ から 43...Qxc8 =)40.Rf1 Qh4+ 41.Kd2 Rxf1 42.Qxf1 Qxd4+ 43.Qd3 Qf2+ 44.Kd1
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44...Nd6(ここから白はゆっくりだが確実に戦力得に物を言わせて勝ちきった。)45.Rc5 Bh6 46.Rd5 Kg8 47.Nc5 Qg1+ 48.Kc2 Qc1+ 49.Kb3 Bg7
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50.Ne6 Qb2+ 51.Ka4 Kf7 52.Nxg7 Qxg7 53.Qb3 Ke8 54.Qb8+ Kf7
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55.Qxa7 Qg4+ 56.Qd4 Qd7+ 57.Kb3 Qb7+ 58.Ka2 Qc6 59.Qd3 Ke6
YFMF074M.JPG
60.Rg5 Kd7 61.Re5 Qg2+ 62.Re2 Qg4 63.Rd2 Qa4 64.Qf5+ Kc7
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65.Qc2+ Qxc2+ 66.Rxc2+ Kb6 67.Re2 Nc8 68.Kb3 Kc6 69.Rc2+ Kb7 70.Kb4 Na7 71.Kc5 黒投了
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(この章続く)

2009年10月28日

世界のチェス雑誌から(55)

「Chess Life」2009年10月号(1/3)

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教育界

すごいぞロブソン

米国ジュニア選手権戦に優勝してIMレイ・ロブソンが世界ジュニア選手権戦と2010年米国選手権戦への出場資格を獲得した

記 FMアレックス・ベタネリ

YCM0055B.JPG サルビユス・バーシス

YCM0055C.JPG サム・シャンクランド

YCM0055D.JPG アレックス・レンダーマン

YCM0055E.JPG エリオット・リュー

YCM0055F.JPG マックス・コールマン

YCM0055G.JPG マイケル・リー

YCM0055H.JPG レイ・ロブソン

YCM0055I.JPG ジョエル・バナワ

 米国ジュニア選抜選手権戦が今年の7月12日から17日にかけてウィスコンシン州ミルウォーキー市で開催された。この都市はチェスの伝統が豊富で、有名な大会は少なくとも50年前までさかのぼる。1957年にボビー・フィッシャーが北部中央オープンで優勝して、大人の大会で快挙を収めた最初の頃の一つとなった。ウィスコンシンは歴史に残る偉大なチェス界の功労者たちの名前にちなんだ大会を開催して彼らをたたえている。例えばアーパド・イーロウ記念は今日まで少し修正して用いられているレイティングシステムを考案した物理学博士にちなんでいる。だから今度「イーロウ・レイティング」の「イーロウ」とは何かと聞かれたらわけの分からない頭字語だ答えるのはよして、レイティングの発明者のことを話して質問者を感心させて欲しい。

 平均レイティングが2454のこの大会は14歳の国際マスター(IM)のレイ・ロブソンが難なく優勝した。13歳で優勝というフィッシャーの記録には及ばないがそれでも大したものである。2751という実効レイティングをあげてレイは今年アルゼンチンで開催される世界ジュニア選手権戦の代表の座を獲得し2010年選抜米国選手権戦への出場資格を得た。これに加えて優勝賞金千ドル、米国チェス連盟のレイティング20点増加、それに2500の壁を楽に突破するFIDEのレイティングを付け加えればレイの満足度が十分に分かるというものである。

 レイ以外の参加者はもう二人のIM(サム・シャンクランドとサルビユス・バーシス)、一人のGM(アレックス・レンダーマンは次のFIDE総会で称号が承認されるのを待っているところである)、三人のFIDEマスター(ジョエル・バナワ、エリオット・リュー及びマイケル・リー)それに2008年米国ジュニアオープンの優勝者(マックス・コールマン)で、総当たりのリーグ戦で行われた。この大会は米国の参加者限定にもかかわらず国際大会のような雰囲気があった。つまりアレックスはロシア出身であり、サルビユスは家族と共にリトアニアから移住してきたし、ジョエルはフィリピンからやってきた。参加者はみな国際的な言語のチェスを最も流暢に話したのはいうまでもない。

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(この号続く)

チェス世界選手権争奪史(73)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 それどころか試合内容はつまらないどころではなかった。ほとんどの場合二人の強豪が相手の読みを出し抜こうとして死力を尽くし、もう少しのところで勝ちを奪えなかった。最初の4局はシュレヒターがほとんどの間主導権を維持していたが引き分けに終わった。第5局は今回はラスカーが攻めたがずっとまたしても引き分けに終わるように見えた。

ルイロペス
白 シュレヒター
黒 ラスカー

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 Nf6 4.O-O d6 5.d4 Bd7 6.Nc3 Be7
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7.Bg5(ここは 7.Re1 が決まりきったような手だがラスカーはサンクトペテルブルク大会で実戦の珍しい手を指したことがあった。)7...O-O(この手は不当な批判を受けてきた。前述の1909年サンクトペテルブルク大会のラスカー対コーン戦では 7...exd4 8.Nxd4 O-O 9.Bxc6 bxc6 10.Qd3 と進んで白が少し有利だった。)
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8.dxe5(ここで 8.Bxc6 は 8...Bxc6 9.dxe5 dxe5! 10.Qxd8 Bxd8 11.Nxe5 Bxe4 12.Bxf6 Bxf6 13.Nd7 Bxc3 14.Nxf8 Bxb2
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となって明らかに黒に交換損の代償がある。)8...Nxe5 9.Bxd7 Nxd7 10.Bxe7 Nxf3+ 11.Qxf3 Qxe7
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12.Nd5 Qd8 13.Rad1 Re8 14.Rfe1 Nb6 15.Qc3 Nxd5
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15.Rxd5(16.exd5 は半点に終わるといっても時期尚早でない。白陣の広さによるわずかな優位を生かそうとしても自滅までは行かなくとも自分の陣形を悪くするだけである。)16...Re6 17.Rd3 Qe7 18.Rg3 Rg6 19.Ree3 Re8 20.h3 Kf8 21.Rxg6 hxg6
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22.Qb4 c6 23.Qa3 a6 24.Qb3 Rd8 25.c4 Rd7 26.Qd1 Qe5
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27.Qg4 Ke8 28.Qe2 Kd8 29.Qd2 Kc7 30.a3 Re7 31.b4 b5!
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(ここでは黒が少し優勢である。そして黒が勝ちを目指し始める。)32.cxb5 axb5 33.g3 g5 34.Kg2 Re8 35.Qd1 f6
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36.Qb3 Qe6 37.Qd1 Rh8 38.g4 Qc4 39.a4
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(白が傍観していれば黒はじっくりと陣形を強化し ...c5 でクイーン翼から敵陣突破を図ることができる。実戦のポーンの犠牲はまたとない好機で、両者にとって非常に難解な戦いになる。)39...Qxb4 40.axb5 Qxb5 41.Rb3 Qa6 42.Qd4 Re8
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43.Rb1 Re5 44.Qb4 Qb5 45.Qe1 Qd3 46.Rb4 c5
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47.Ra4 c4 48.Qa1 Qxe4+ 49.Kh2 Rb5
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50.Qa2(50.Ra7+ は 50...Kd8 51.Rxg7 Qe5+ で黒勝ちの収局になる。)50...Qe5+ 51.Kg1 Qe1+ 52.Kh2 d5 53.Ra8 Qb4 54.Kg2
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54...Qc5?(このポカが敗着となった。54...Rb7 なら白が2ポーン損を補えるかどうかまだ怪しかった。)55.Qa6 Rb8(55...Rb7 は 56.Qe6 で白が勝つ。黒は 55...c3!? でクイーンを取らせるのが実戦的に最も有望だった。)56.Ra7+ Kd8(56...Qxa7!?)57.Rxg7 Qb6 58.Qa3 Kc8 59.Qf8+ 黒投了
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あと2手で詰む。

(この章続く)

2009年10月27日

チェス世界選手権争奪史(72)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 しかしこの二人を対戦相手として見た時の一番の違いはヤノフスキーの方がずっと弱かったということだった。彼がなんとかラスカーとの対戦にこぎつけたのはピエール・ナルデゥスという裕福な後援者を持っていたからだった。ナルデゥスはどういうわけかヤノフスキーを天才だと思っていた。ラスカーがサンクトペテルブルク大会からの帰途パリに立ち寄ったときナルデゥスが彼と接触しどんな条件ならヤノフスキーとタイトルを懸けて戦うかと聞いた。ラスカー(身なりのよい人物を品定めしながら頭の中ですばやく計算している様子が想像できる)は途方もない要求を持ち出したが、たぶん彼も驚いただろうに交渉は終わりにならなかった。最終的に一種のお好み試合として4局戦うことで合意が成立した。その意図はもしヤノフスキーが善戦すれば今度はタイトルを懸けてもっと長い番勝負のためにお金が用意されるということだった。無邪気な人たちには大きな驚きだったがヤノフスキーは大健闘し2勝2敗で世界チャンピオンと互角に渡り合った。それから両者はタイトルを懸けて対戦しラスカーが7勝1敗2分で勝った。

 シュレヒター戦は全然異なる経過をたどった。交渉はタラシュ戦のあとまもなくゆっくりと進められた。最初はロンドンで30番勝負、お金がなかなか集まらないのでそれが15番勝負になった。最後はウィーンとベルリンで10番勝負にするしかないと決められた。そして1910年1月7日からシュレヒターの地元で始まった。

 世界選手権を懸けてたった10局の番勝負を戦うのは明らかに異例である。しかしシュレヒターの辛抱強い性向を考慮すれば、挑戦者がタイトルを奪うためには2点勝ち越さなければならないという規定を用心にも用心を重ねて盛り込まなければラスカーは全くの愚かだろう。シュレヒターは自分の課題が不可能にも近いことを十分分かっていたがそれを受け入れるしかなかった。このようにして待望の対決が真剣勝負というよりもお好み対局の性格を帯びるようになった。

(この章続く)