東公平著「升田幸三物語」の66ページに次のような文章
がありました。これを読むと朝日と毎日の将棋名人戦共
催が前代未聞の考えというわけではなさそうです。
『「名人戦」について少し記しておく。初の実力名人決定
戦は昭和八年ごろ、当時の将棋連盟顧問だった中島富
治氏(元イギリス駐在武官)が中心となって立案し、関根
金次郎名人が相談に応じて勇退を決意し、中島氏が主
催社を「毎日」単独と決め、昭和十年にスタートした。「朝
日」とせり合った毎日(当時は東京日日新聞)の学芸部
に、愛棋家の阿部真之助氏(のち評論家)と黒崎貞治郎
氏(後述)がいて熱心に交渉したのが”独占権獲得の勝
因”とされる。当初、中島氏は複数社の共同主催を腹案
としていたのである。』