「Chess Life」2001年10月号(1/3)
米国チェス史上最年少でIM(インターナショナル・マスター)になったヒカルが表紙を飾りました。
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表紙の説明の文章
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ヒカル・ナカムラはチェス界の最年少スターの1人だが、写真の被写体としても興味ある対象である。
彼はおとなしく座っているのはどうしても性に合わない。活発な13歳の少年なのだからやることのできることで最も気が乗ることではない。勿論チェスを指している時はその限りではない。
しかし彼は協力的な人間だった。そして表紙の写真の撮影の時にはわざわざお気に入りのジャンパーを着てくれた。
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目次のページに米国のそれぞれの選手権者の顔写真が掲載されています。2001年米国ジュニア選手権者となったヒカルの写真も掲載されています。
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本誌で3ページに渡ってヒカルの特集記事が掲載されました。
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チェスのプロフィール
ヒカル・ナカムラが米国最年少のインターナショナル・マスターに
インタビューと写真 ブライアン・キリグルー
ヒカル・ナカムラは 1998 年突如米国チェス界になだれ込んできた。その時彼はまだ10歳79日でわずか3年の棋歴で米国チェス史上最年少でマスターになった。
翌年彼はGMアレグザンダー・ストリプンスキーを破って、正規の持ち時間の試合でグランドマスターを破った最年少の選手の1人となった。これまでに全国学校選手権に8回優勝している。2001年には土壇場で参加を決めた2001年高校選手権でも優勝した。世界青年選手権には過去4年間米国の代表の1人として出場し2001年には4位に入賞した。
2001年2月にハンガリーのエゲルで3度目のIM基準を達成し現在は米国最年少のIM称号保持者となっている。
ヒカルは瞬く間にこれほどのことを成し遂げたがまだ13歳の少年である。彼の部屋の4フィート(約1.2メートル)と5フィート(約1.5メートル)の優勝トロフィーの間にはスポーツのポスター、ゲームの詰まった道具箱、それから自分で組み立てたレゴのテニスコートが置いてある。近くで誰も聞いていない時には彼はスポーツのアナウンサーになったつもりで架空のマイクロフォンに向かってひいきのフットボールチームのテネシー・タイタンズの実況中継をやっている。
この若い才能が記録破りのペースを続けることができればボビー・フィッシャーの持つ米国最年少グランドマスターの不滅の記録も射程距離に入るだろう。
ブライアン・キリグルー「チェスを初めて指し始めたのはいつ頃ですか?誰かに教わったのですか、それとも自分で覚える気になったのですか?」
ヒカル・ナカムラ「自分で覚えようと思いました。その頃父(FMスニル・ウィラマントリー)と兄が真剣にチェスを指していて、僕がよくその回りにいたからです。」
ブ「それは何歳の時でした?」
ヒ「7歳です。」
ブ「何でこんなに早く強くなったのですか?」
ヒ「覚えたての頃父がいろいろ教えてくれました。僕がマスターになれるまで本当に一緒に猛勉強しました。」
ブ「最初の頃の大きな節目は97年にマーシャル・チェスクラブでインターナショナル・マスターのジェイ・ボーニンを負かした時ですね。それはマスターを目指すことに役立ちましたか?」
ヒ「父は最年少のマスターを目指してはどうかと言ってくれました。実際そこまで行けるとは思いませんでした。でもやってみる価値はありました。それで本当に必死で勉強しました。1998年版の『世界記録のギネスブック』にはビナイ・バートが10歳176日で米国の最年少マスターになった記録が載っていました。僕が目指したかったのはその記録でした。でも僕がビナイの記録を破った後ギネスはその記録を載せなくなってしまいました。」
ブ「記録を破った時どんな気持ちでした?」
ヒ「大きな出来事でした。でも公式に発表されるまでは全然確信がありませんでした。なぜならかなりの差で破ったのにその後の大会の成績が悪かったので。レイティングが発表され本当になった時はとても嬉しかったです。」
ブ「マスターになった後突然メディアから多くの注目を受けるようになったけど、人前に出ることにはどのように対処しましたか?」
ヒ「あんなに注目されるとは全然予想していませんでした。少し落ち着きませんでした。あんなに記者が来るとは。たちどころにでした。CBSニュースのゲーリー・アップルが僕にインタビューするためにホワイト・プレーンズのリッジウェー小学校にやって来ました。僕は全部の大ネットワークやたくさんの新聞や雑誌に出ました。『危険!』という番組の問題にさえ名前が出ました。何ヶ月か後にテレビでヤンキースの試合を見ていたらニューヨーク・タイムズのコマーシャルが流れました。画面に僕と兄のアスカと母の写真が映った時には信じられない気持ちでした。僕たちが新聞の1面に載った時の写真でした。」
ブ「『リージスとキャシー・リーと一緒に生で』にも出ましたね。」
ヒ「はい、でもそれまでトーク・ショーには出たことがなかったので少し不安でした。リージスは僕を落ち着かせようとしてくれました。一度は僕の靴ひもがほどけているよと言って観客をみんな笑わせました。チェスではある駒は他の駒よりもっと価値があることを彼が分かっていなかったことを覚えています。ショーに出たことはとても楽しかったです。」
ブ「チェスの勉強はどのようにしているのですか?」
ヒ「勉強にはコンピュータを使っています。それから定跡や自分の試合の棋譜を研究しています。コンピュータ相手に試合をすることもあります。」
ブ「負けた試合は調べますか?」
ヒ「はい、ひどい負けの場合は特にそうです。」
ブ「負けた時はどんな気持ちですか?試合に負けたことで落ち込みますか、それとも何か学ぼうとしますか?」
ヒ「それはどのくらいひどい負けかどうかによります。接戦で手も足も出なかったのでなければ少し気持ちがぐらつきます。でも完全に圧倒された時は普通は試合から何か学ぼうとします。」
ブ「大人と指すのと比べて子供と指すのは気持ちの上で何か違いますか?」
ヒ「米国内では大人と指す時の方がずっと手ごわいです。でも世界ユースのような国際大会で指す時は同じくらいの年の子供だけしかいません。国内では同じくらいの強さの子供と指すことはそれほど多くないのできついです。ヨーロッパの大会に出てくる子供は皆強いので指すのは大変です。」
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(この号続く)