「Chess Life」2003年7月号 (2/2)
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ヒカル・ナカムラはチェス界の王子様
ロバータ・ファインバーグ
ニューヨーク市のホワイトプレーンズに住む15歳の国際マスターのヒカル・ナカムラが2003年1月25日から2月5日にかけて開催されたバーミューダ国際大会で最後のグランドマスター基準を獲得した。
ヒカル・ナカムラは1987年12月9日に日本で米国人の母と日本人の父との間に生まれた。15歳58日でヒカルは米国最年少でグランドマスターになり、ボビー・フィッシャーが1958年に作った15歳185日の記録を破った。ボビー・フィッシャーは1943年3月9日の生まれで1958年9月にポルトローシュ・インターゾーナルでグランドマスターになった。
口数が少なくまじめでおとなしいヒカルが好きなのはハリー・ポッター、スポーツ(レンジャーズ[訳注 アイスホッケーのチーム]のウェイン・グレツキー、野球-ニューヨーク・ヤンキースの熱烈なファンである)、それからポップ・ミュージックを聴くことである。FIDEレイティングは2520である。最近のバーミューダでの12選手による総当りの大会で彼は7.5-3.5の成績で単独2位になった。この大会はラトビアのグランドマスターのダニエル・フリッドマン(2572)が8点で優勝した。
ナカムラは最後の4戦で3.5点を挙げて圧倒的な強さを発揮した。最後の2試合では米国のIMのウィリアム・パスカルとマイケル・ムルヤルを負かした。この大会で最も勝った試合の多かったのはヒカルで6勝3分2敗だった。ヒカルは最も良く指せた試合は第3回戦でのスペインのIMハビエル・モレノ・カルネロ戦だと言っている。最終局のIMマイケル・ムルヤル戦も2度のみごとな駒捨てをおりこんだ熱戦だった。
ヒカルのチェスの特徴は何だろうか。義父のスニル・ウィーラマントリは「攻撃的、攻撃一徹」と言う。彼は若者の著名なチェス教師で全国チェス基金の設立者である。
この若いチェスの天才はたった10歳79日で米国チェス連盟最年少で国内マスターになって全国で評判になった。それもチェスを指し始めてたった3年である。ヒカルが初めてインターナショナル・マスターに勝ったのは10歳の時の大会の試合で相手はジェイ・ボーニンだった(ナカムラはカリフォルニア州サン・ホセに住むビナイ・バートの記録を破った)。
どのようにして彼は勝ち続けるのか。盤上で全力を傾け試合中に注意と集中力を保ち続けることによって負けから逃れているように見える。
この若いマスターの活躍はメディアの関心を引き付けた。そして新聞やテレビで取り上げられた。米国ではCBSのニュースでインタビューを受け、『リージスとキャシー・リーと一緒に生で(Live with Regis and Kathie Lee)』に出演し、ある年の『危険(jeopardy)』というクイズ番組の問題に彼の名前が出た。彼の写真は「Chess Life」誌の表紙に3回掲載された。
1999年2月に通常の持ち時間の試合でグランドマスターのアレックス・ストリプンスキーを11歳2ヶ月の記録で破った時は世界中で話題になった。ヒカルはその後も急成長を続けはるかに高いところを狙っている。13歳の時にはボビー・フィッシャー以来の米国ジュニア選手権も取った。同じ年には米国最年少でインターナショナル・マスターになった。
エリック・シラーは自分の「天才少年がチェスを教える(Whiz Kids Teach Chess)」という本の中で次のように書いている。『ヒカルがチェスを指している時彼の顔に真剣さを見ることができる。敵意があるのは否定できない。そしてそれは盤上盤外にはっきりと現れる。彼は熱心にチェスを研究し全ての側面を学んでいる。』
この文章を書いている時点で米国チェス史上最年少のGMは市を離れている。母のキャロリンがこの新米のグランドマスターをスペインのリナレスに連れて行っている。そこで彼は最高の盤上競技に必要な鋭い戦術、複雑怪奇な序盤、中盤での攻撃法、堅実で効率の良い終盤などの技法を磨く途上にある。
ヒカルの母は学校の教師で自分の才能のある息子を自宅教習している。それで彼は秋から春にかけて国際大会への遠征に専念することができる。「旅行に飽きた」とヒカルは時折認めた。これまでの年月の間にこの少年選手が行ったのはカンザスシティ、フィラデルフィア、タルサ、ミルウォーキー、バーミューダ等々に加えて外国はスペイン、ハンガリー、スロベニアである。
称号を得た王子様の究極の目標は何か。兄のアスカ-彼も熟達したチェス選手である-によると「世界選手権を考えているかもしれない」とのことである。
アスカの記憶によるとヒカルは元世界選手権者のカスパロフに深く心酔していて、ある同時対局でその頃は初心者だったがカスパロフと写っている写真を持っているそうである。
兄も勝利と無縁ではない。アスカは全国学校生選手権で全部で13回優勝した。1局も引き分けや負けを含まずに41連勝した時もあった(1992年から1999年までの全国学年別選手権)。アスカは1996年の世界青少年選手権10歳未満と1998年の汎アメリカ少年選手権12歳未満の米国代表に選ばれたことがある。1997年にはアスピス賞を授与された。これは13歳未満の最高レイティングの選手に毎年授与されるチェスの奨学金である。
ヒカルとアスカは恵まれたことに25年の有名なベテランコーチのスニル・ウィーラマントリを義父に持っている。アスカによると義父は「子供たちと交流するコツを身につけている」そうである。FIDEマスターのスニルは才能に恵まれた次男をとおして自分の夢を実現させようとしている。ウィーラマントリ氏は1978年にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された世界チェス・オリンピアードでスリランカ・チームの主将を務め14試合で10点というすばらしい成績をあげた。全体の主将の中では4番目の成績だった。義理の息子が彼を追い越したがそれでもこの父親は大会に出てIMになろうと頑張っている。
ヒカル(米国チェス連盟の2619というものすごいレイティングでずっと最上位選手の一覧の先頭にいる)はますますチェスの実戦に精を出し毎日最低2時間はチェスの勉強に当てている。アスカの方は学業に専念している。このオールAの学生は非常に学業に秀でている。アスカは「ある雑誌でボビー・フィッシャーの学校での成績にはCやDがあったと読んだことがある」と語っている。
でき過ぎのこの家族には1人もスターがいない。それはまるで明るい光を放つ星座のようなものである。チェスの達人の世界では若者は年長者と共に自分の位置を確固と占めていることを示している。
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2003年1月付けのFIDEレイティングの米国上位50名が発表されています。IMナカムラは2520で23位でした。
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(この号終わり)