第2章 ビルヘルム・シュタイニッツ(続き)
それゆえに番勝負は20試合で争われることになっった。当時ほとんどの番勝負が引き分けは数えず勝数で勝者が決められていたことを考えれば変わった取り決めだった。ともかく番勝負は1889年1月20日から始まった。チゴーリンはエバンズギャンビットでは互角の成績をあげた。シュタイニッツはチゴーリンにエバンズギャンビットを7回指させ、ギャンビットされたポーンを維持するために自殺行為にも似た譲歩をし、驚異的な受けの技術でいくつかの絶望的な局面を救うことができた。しかしチゴーリンは他の戦型では惨敗し10½-6½で番勝負に負けた。シュタイニッツの技量の相手と戦った経験がチゴーリンに良い効果を与えたことはその年の後半に開催されたニューヨークでの強豪の大会で同点2位になったことに表れた。そしてタイトル再挑戦の機会を得た。
しかしチゴーリンとの再戦の前にシュタイニッツはニューヨークでほとんど記憶されていないガンズバーグとの番勝負に臨んだ。それは1890年12月9日に始まり1891年1月まで続いた。ガンズバーグは生まれはハンガリー人でイングランドに移住していた。1889年ニューヨークでの大会では3位に入った。その後のチゴーリンとの番勝負では9-9で引き分けた。彼はあまりぱっとしないが非常に堅実な選手だった。英国言論界の敵による全く反対の見解にもかかわらず当時の誰とも同等の世界選手権獲得の機会にふさわしかった。番勝負はシュタイニッツの勝ちに終わったが6勝4敗9分の僅差だった。
(この章続く)