第2章 ビルヘルム・シュタイニッツ(続き)
シュタイニッツがチゴーリンとガンズバーグとの番勝負に明け暮れている間にチェス界には二人の新しい名前が聞かれ始めていた。それはジークベルト・タラシュとエマーヌエル・ラスカーである。どちらもドイツ人で、タラシュは1862年生まれでラスカーより6歳年上だった。そして1884年にはもう国内マスターの称号を得ていた。1889年には故郷のブレスラウで初めての国際大会での優勝を成し遂げていた。その大会にはラスカーも参加していたが、下の方の部門でマスターの称号を得た。それからタラシュには優勝が相次いだ。1890年のマンチェスター、1892年のドレスデン、そして1894年のライプチヒ。1894年までには明らかに世界の最強選手になっていた。
これに対してラスカーは1894年までにいくつかの比較的小さな栄誉を得ることができただけだった。1892年にタラシュに番勝負を挑んだが、挑戦の労をとったイギリス人ジャーナリストのサミュエル・ホファーはタラシュからの回答が非常に思わしくなかったのでそれをそのままラスカーに伝えることをしなかった。それにもかかわらず1894年3月にシュタイニッツが世界選手権への新しい挑戦者をむかえた時相対していたのはタラシュではなくラスカーだった。
(この章続く)