第2章 ビルヘルム・シュタイニッツ(続き)
このような状態になったわけは極めて単純で、たった一語、「お金」、で言い表してもよい。ラスカーはシュタイニッツへの挑戦のための支援をどうにか見つけていた。彼は1893年に米国を訪れ当地でいろいろな人たちに強い印象を与えて、ニューヨーク、フィラデルフィアそれにモントリオールで番勝負を行なうための賞金3千ドルを最終的にかき集めた。
それによって1894年3月15日からニューヨークで試合が始まった。26歳のラスカーはシュタイニッツより32歳も若く(世界選手権戦の歴史で最も離れた年齢差)シュタイニッツは見るからに体調が悪かったにもかかわらず-通風のせいで歩行が困難で松葉杖をついて歩かなければならなくなっていた-チャンピオンが防衛するだろうというのがもっぱらの衆評だった。持ち時間は15手につき1時間で、最初に10勝をあげた者が勝利者と決められた。
(この章続く)