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チェス世界選手権争奪史(57)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 シュタイニッツを破って世界選手権を獲得した後ラスカーは自分が最強であることをとりわけタラシュと彼の信奉者たちに対して示す必要があった。1895年の夏にヘースティングズで開催された大きな大会に出場したのはそれを念頭においてのことだったのはいうまでもなかった。そのためチェス史の中で恐らく最も意外な番狂わせの優勝を遂げた22歳の米国人ハリー・ネルソン・ピルズベリーと手ごわいチゴーリンの後塵を拝して3位になったことはとても満足できるものではなかった。しかし4位のタラシュと5位のシュタイニッツよりは上位だった。

 1895年から1896年にかけての冬にサンクトペテルブルクで開催された競技会の結果ははるかに満足できるものだった。この大会にはヘースティングズ大会の上位5人が招待された。医学博士のタラシュは本業に戻らなければならないため辞退したがピルズベリー、チゴーリン、ラスカー及びシュタイニッツはロシアの冬をものともしなかった。この大会はのちに「番勝負競技会」と呼ばれた。即ち各選手は各対戦相手と短い番勝負-この大会では6試合-を戦った。そして得点を合計して優勝者が決まった。ラスカーが11½点で1位になりシュタイニッツが9½点、ピルズベリーが8点、チゴーリンが7点だった。

(この章続く)

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2009年10月12日 08:23に投稿されたエントリーのページです。

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