第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)
ラスカーがこの大会の結果を自分が真の世界選手権者に値することを証明したと受け取ったとすればシュタイニッツは自分がまだ最も正当な挑戦者であると受け取ったことだろう。この大会を開催する資金を拠出した人たちは直ちに同意し両者の再戦がすぐに準備され1896年の11月から開始されることになった。1896年の7月から8月にかけて開催されたニュルンベルク大会の結果はラスカーがまた優勝しシュタイニッツは6位で第2次番勝負の前の両者の相対的な実力をより正確に表した。
2回目のラスカー対シュタイニッツの番勝負については二通りの考え方がある。一つには絶対やらせるべきではないと断言するものである。シュタイニッツはその時60歳を超えていて肉体的に病気を抱えていて、タイトル喪失で失った名声を取り戻そうとして精神的に崩壊寸前に追い込まれていた。もう一つは長い間保持していた王座を奪回する機会をラスカーが与えなかったらこの上ない不公正だとみなされ実際そのとおりだというものである。だから第2次番勝負は行なわれるべくして行なわれた悲劇の一つだと考えるのが妥当なところだろう。
(この章続く)