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チェス世界選手権争奪史(62)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 いずれにせよ当時の数学研究の成果は1902年にエルランゲン大学から授与された博士号に結実した。そして1903年までに米国に戻りチェス雑誌を編集した。1904年にはペンシルベニア州のケンブリッジスプリングズという当時の有名な保養地でその年の夏に開催された大きな大会で実戦に復帰し3位に入った。この大会の優勝者はちょっと意外にもフランク・J・マーシャルだった。

 フランク・ジェームズ・マーシャルは1877年8月10日にニューヨーク市で生まれた。世紀の変わり目頃には米国の最も好成績の世界的選手になっていてそれが30年も続いた。1909年には米国選手権を懸けた番勝負でジャクソン・W・ショウォールターを破って、1936年に自発的に返上するまでそれを保持した。いくつもの感嘆の妙手の張本人で少なからぬ重要な大会の優勝者である彼は世界チャンピオンも含めた誰にとっても容易ならぬ相手としてみなされていたのは確かだった。それにもかかわらず主としてケンブリッジスプリングズでの見事な優勝のゆえに世界選手権の番勝負が取り決められ行なわれた時、ラスカーが8勝0敗7分で勝ってしまった。

(この章続く)

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2009年10月17日 09:12に投稿されたエントリーのページです。

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