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チェス世界選手権争奪史(64)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 番勝負と大会の戦い方はいろいろな点で大きく異なっていて明らかなものもあれば微妙なものもある。大会ではある日ひどい負け方をしても次は新たな選手が相手で、ある程度心機一転して立ち向かえるところがある。番勝負では昨日自分を負かした相手が今日もまた目の前にいる。そして気持ちを立ち直らせて彼を負かすことができると確信できるためには意志の力がいる。だから敗北の影響は積み重なるかも知れず、番勝負の初めの方で2、3敗すると惨敗を引き起こすかもしれない。確かにラスカーはマーシャルよりも強い選手だったが、成績が示すほど強さに差があったわけではない。マーシャルの述懐について付け加えるならば、明らかに自分より弱い相手とのいくつかの番勝負では勝っていた。

 ラスカーは当然ながら他にもっとふさわしい挑戦者がいるにもかかわらずマーシャルを選んだことに対して手厳しく非難された。例えばハンガリー人のゲザ・マローツィを挑戦者にできたかもしれない。彼は1904年のモンテカルロ、1905年のオーステンデ、1905年のバルメンというように大きな大会で3回連続優勝を飾っていた。そしてもちろんタラシュは必ず考えなければならない相手だった。

 タラシュとの番勝負は1904年にもう少しで実現するところだった。既に暫定的な合意がなされていたようだったが結局ご破算になった。次いでマローツィとの交渉が始まり彼との番勝負の仮の規約が1905年に「ラスカーのチェス雑誌」に発表された。しかしその番勝負はたぶんマローツィが土壇場で撤回したために行なわれなかった。それでマーシャルが残り番勝負が比較的容易にまとまった。その理由は対局地が米国で、米国人のマーシャルの人柄の良さが多くのスポンサーを集めることができたためだった。同じ相手に対してラスカーにタラシュの成績を上回ろうという気があったとしたら彼は確かに成功した。

(この章続く)

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2009年10月19日 08:41に投稿されたエントリーのページです。

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