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チェス世界選手権争奪史(71)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 第16局でタラシュが時間に追われてとんでもないポカをやって番勝負が終わった。最終結果はラスカーの8勝3敗5分だった。お決まりの世評は「タラシュが何年か前の全盛期にラスカーと対戦していたら・・・」だった。しかし46歳でタラシュの棋力が目だって落ちた兆候はない。そして時に高くついた柔軟性のなさは全盛期にも付きまとっていた。彼は機会がありながらそれを生かせなかっただけだった。

 ラスカーは1909年にサンクトペテルブルクでの大きな国際大会に参加し、自分を負かした若いポーランド人のアキバ・ルビーンシュタインと共に同点優勝した。両者の間の番勝負は話だけで進展しなかった。もっともラスカーは1909年から11年にかけてダビド・ヤノフスキーと2回、カルル・シュレヒターと1回番勝負を行ない3度のタイトル防衛を果たした。

 ヤノフスキーとシュレヒターほど好対照をなす対戦相手と個性の二人は考えにくい。ヤノフスキーはポーランド生まれだがパリに移住していた。すらりとして敏捷でこざっぱりとして華やかで、盤上でももっと通常の場面でも常習的なギャンブラーだった。彼は長年の間モンテカルロ大会に毎年参加しいつも賞金を、バカラやルーレットをしてカジノの主催者に返していた。彼の攻撃的な棋風はもちろん観戦者をとりこにした。ウィーン生まれのシュレヒターも小柄で繊細だった。しかし生活は極端に控えめでチェスは用心深かった。生涯をとおして引き分けの名人として広く知られ、はるかに格下の相手とも点を分け合って満足するのが普通だったが彼を負かすのは至難の業だった。彼にはいかにもウィーンっ子らしいところや上品なところがあり、旧世界の騎士道を重んじて彼を知るみんなから敬愛された。

(この章続く)

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2009年10月26日 08:27に投稿されたエントリーのページです。

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