第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)
シュレヒター戦からチェスでの成功の秘訣は相手を慎重に選ぶことだと学んだことを示すかのようにラスカーが1910年11月にまたもタイトルを防衛した時の相手はヤノフスキーで結果はラスカーの8勝0敗3分だった。
世界選手権の出来事とは別に第一次世界大戦直前の2、3年はチェス界が沸き立った年だった。ロシアの20歳のアレクサンドル・アリョーヒンが1910年夏のハンブルク大会で国際的にデビューしたことはほとんど注目されなかったが(同点7位だった)、23歳のキューバ人のホセ・ラウル・カパブランカが1911年にサンセバスティアンで始めてヨーロッパに登場したのはそうではなかった。
カパブランカは既に12歳の時の1900年にフアン・コルソとの番勝負に勝ってキューバチャンピオンになった時少し評判になっていた。しかしそれからしばらくは真剣なチェスを指さなかった。そしてニューヨークのコロンビア大学在学中にそこの界隈で評判になり1909年にフランク・マーシャルとの番勝負が設定された。結果はカパブランカが8勝1敗14分であっさり勝った。
マーシャル戦での圧勝によりカパブランカはサンセバスティアン大会に招待された。他の参加者の中には異議を唱えるものもあり、その中のオシップ・ベルンシュタイン博士は彼を参加させることには何のメリットもないと主張した。それはたぶんマーシャルが試合を放棄したのかという懐疑のうわさがあったためだった。しかし若きカパブランカは真のフランク・メリウェル流に初戦でベルンシュタインを負かした。その試合は後に名局賞をとり、カパブランカは大会に優勝した。[訳注 フランク・メリウェルは第二次世界大戦中の米国の准将で、彼の指揮下の兵士たちは中国、旧ビルマ、インド方面のジャングル戦が巧みだった。]
(この章続く)