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チェス世界選手権争奪史(77)

第3章 エマーヌエル・ラスカー(続き)

 1912年の終わり頃にラスカーはルビーンシュタインとの交渉を始めた。しかしルビーンシュタインの驚くべき一連の優勝にもかかわらず対戦をまかなうための資金は獲得できなかった。それは彼が目立たない性格で富裕な後援者がほとんどできなかったためだった。それでもドイツ、ポーランドそれにロシアのいろいろなチェスクラブがなんとか十分な資金を集めることができれば、1914年のいつか番勝負を戦うというところまで合意ができた。

 1914年の4月にラスカーはサンクトペテルブルクの大きな大会で実戦に復帰した。参加者にはカパブランカとルビーンシュタインも含まれていた。対戦方式は少々変わっていた。まず11選手が1回戦総当たりを戦った。それからそのうちの上位5選手だけが2回戦総当たりの決勝戦に進んだ。予選の結果は決勝にそのまま持ち越された。第1段階が終わってカパブランカが8点、ラスカーとタラシュが6½点、アリョーヒンとマーシャルが6点、ルビーンシュタインは同点6位で決勝に進めなかった。ラスカーの逆転優勝の偉業は劇的なカパブランカとの最終戦の勝利によるもので、チェス史上の決定的瞬間の一つに数えられるものだった。老練なチャンピオンにとってささやかな個人的満足という程度のものではなく、大会期間中両者の間で醸成されてきた名ばかりの和解によってもほとんど薄められるものではなかった。

 やや不満足な結果に終わった大会だったがカパブランカはサンクトペテルブルク大会で一つの小さな勝利を収めた。それは世界選手権戦を規定するために彼が策定した一連の規定がラスカーを含めた他の参加者たちによって原則的に承認されたことだった。同じ年のもっと後にこれらの規定がマンハイム総会の投票にかけられやはり承認された。内容は次のようなものだった。

 1.チャンピオンはタイトル獲得後1年以内に、その後は1年おきに挑戦を受けなければならない。

 2.世界選手権戦での持ち時間は15手につき1時間とする。

 3.番勝負の勝者は6局または8局勝ち越した者とする。どちらにするかはチャンピオンが決める。

 4.番勝負の賞金は1千ポンドを下回らないものとする。(これらの規定を後述する1922年ロンドンでの番勝負での規定と比較してみるとよい)

 ルビーンシュタインとの番勝負の資金がまだ集まらなかったのとこの両者が会ってもまだ言葉を交わす程度の仲だったので、ラスカーとカパブランカの対戦の交渉を真剣に始めた方が論理的だった。しかし論理は次の4年間に世界で起きた出来事に成すすべがなかった。1914年8月14日オーストリアのフェルディナント大公がサラエボで暗殺され、チェスのすべての国際的な活動だけでなく他の多くのことが完全に止まってしまった。

(この章終わり)

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2009年11月01日 08:31に投稿されたエントリーのページです。

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