第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ(続き)
ホセ・カパブランカ(1888年11月19日生まれ)は番勝負当時33歳で、ある評者によると「中くらいの身長でほとんどきゃしゃに近く極めて気品があり髪は直毛で真っ黒、細く白い筋で等分にぴんと分けられている」、いわば一種の知的なルドルフ・バレンチノだった。彼なりの「スプレッツァトゥーラ」以上の人物として最も簡潔に描写されているようである。このイタリア語は通常は「無関心」と訳されるが実際は技巧を隠し「何の苦労もなくほとんど何も考えずにやったり言ったりしているように見せる」技法を意味している。これはカパブランカにして初めてできることだった。著書の『私のチェス履歴』の序章でどのようにしてチェスを覚えたかを書いているが、ちょっとほほえましいものがある。
『たまたま父の書斎に入ったところ父がある紳士とチェスを指しているのを見たのはまだ5歳にならないときだった。それまでチェスを見たことはなかった。チェスの駒は私の興味を引き付けた。翌日また二人の対局を見に行った。三日目のことだが超初心者の父がナイトを白枡から白枡へ動かすのを目撃した。相手も明らかに下手な選手でそれに気づかなかった。父が勝って私は彼の所に行きペテン師呼ばわりし笑った。ちょっと口論になりその間もう少しで部屋から追い払われそうになったが父に彼のしたことをやって見せた。父はどのようにしてチェスを覚えたのかと聞いた。私は父を負かせると答えた。父は私が駒を正しく並べられないくせに自分を負かすことはあり得ないと言った。本当かどうかやってみると私が勝った。それが始まりだった。』
それからは自分の人生の平穏を乱すような小さな挫折もほとんどなく順風満帆だった。キューバ政府が彼に外交官の業務の名誉職を与えてくれたので物質面の心配もいらなかった。彼はめったに負けなかったので著書の『チェスの基本』にはそれまでの敗局の「すべて」、全部で8局、を載せることができた。ラスカーの類まれな棋歴にもかかわらずカパブランカがタイトル奪取の大本命だった。もしチャンピオンの試合への取り組みが一般に知れ渡っていたらなおさらそうだったに違いない。ラスカーは頑固な人間で一度タイトルを放棄しカパブランカに譲っていたので明らかに番勝負を単なる儀式とみなしていた。親友のオシップ・ベルンシュタインはハバナへ向かう少し前のラスカーと交わした会話をずっと後になってこう記している。
「試合に備えて何か準備したか」
「いや」
「休息を取ったか」
「いや」
「少なくとも航海中にチェスを研究するために盤駒を持って行くだろうな」
「いや」
「自分の指す定跡の見直しとカパブランカの試合の研究はしたんだろうな」
「いや」
「それじゃ気違い沙汰だ」と私は言った。返事はなかった。
[オシップ・ベルンシュタイン『ラスカーとの出会い』チェスレビュー1955年5月号]
(この章続く)