第4章 ホセ・ラウル・カパブランカ(続き)
(1911年サンセバスティアン大会での自分の試合の評価についてカパブランカは次のように書いていた。「収局の腕前は最高の水準に達していた。それまで並ぶ者がいないと評されていたラスカー自身よりも私の方が上であると言う選手もいたが、上回ってはおらずちょうど同じだったと思う。」)
気落ちし慣れない気候にも悩まされていたに違いないラスカーは抵抗する気持ちも萎えてしまった。第11局は成すところなく負け、第12局と第13局は引き分けたが第14局ではとんでもないポカを出してしまった。
この局面でラスカーは 29.Kh2? と指し 29...Ng4+ から 30...Ne5 で簡単に交換損になってしまった。対局終了後ラスカーは主催者に近づき、体調不良により番勝負を放棄することを認めて欲しいと申し入れた。この要請は拒否するわけにはいかなかった。それで10年間待った末の番勝負の結果カパブランカがついに世界選手権者になった。口さがない大衆の中には「信じられないほどつまらない」と思った者もいた。新選手権者は後年にチェス全般について同じような意見を表明した。
(この章続く)