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ヒカルのチェス アーカイブ

2006年07月11日

「ヒカルのチェス」(1)

USCF(米国チェス連盟)の機関誌「Chess Life」に掲載さ
れたGMヒカル・ナカムラ(Hikaru Nakamura)関係の記事
を年代順に古いほうから和訳して掲載していきます。ヒカ
ル本人だけでなく家族に関する話題も訳します。ヒカル
の経歴の概略は「フリー百科事典」の「ヒカル・ナカムラ」
の項目を参考にして下さい。URLは次のとおりです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%A9

1995年

初回の今回は1995年5月号の「1994 North American
Open」大会の報告記事からです。ヒカルは1995年から
チェスの大会に出始めたそうなのでこの年にはまだヒカ
ル本人のチェスに関する記事はありません。ここに掲載
されているのは彼の義父にあたるスニル・ウィーラマント
リ(Sunil Weeramantry)の話題です。

何の話題かというとこの大会で結婚式を挙げたことです。
彼はFM(FIDEマスター)で米国でも名の通ったチェスのコー
チです。彼自身この大会に出場していて結婚式の時の
対局は不戦扱いにしたそうです。相手は以前から婚約し
ていたキャロリン・ナカムラ(Caroline Nakamura)で、もちろ
んヒカルの実の母親です。次の写真の向かって左が兄の
アスカ(Asuka)で右がヒカル(Hikaru)です。正式の四人家
族となって皆うれしそうな様子がうかがえます。

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次の試合は披露宴の直後の第4回戦の試合です。スニ
ルはまだタキシードを着たままで対局したそうです。ヒカ
ルの父親のチェスを見てみるのも興味深いと思い掲載し
ます。

************************

キングズ・インディアン防御(King's Indian defense)
ゼーミッシュ・パノ(Saemisch Panno) [E84]
白:国内マスター ロナルド・ペレス(Ronald Perez)
黒:FIDEマスター スニル・ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)
1994 North American Open

自戦解説 スニル・ウィーラマントリ

  1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.f3

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相手がゼーミッシュにするのを見た時ほっとした。勝負が
つくまで手数のかかる戦型は結婚式の晩には御免蒙りた
かった。

  5...O-O 6.Be3 Nc6

KID ゼーミッシュに対してパノ戦法を採用した。黒は時機
を見て ...e7-e5 でセンターの黒枡を攻撃するのが狙いである。

  7.Qd2 Re8 8.Nge2

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白は d4 の地点を過剰に守って、黒の主要な戦略を遂行
させない。黒はd4 の支配が緩んだ時にセンターでの進
攻を実行する。それまではじっと待たなければならない。

  8...Rb8

ルークを e8 と b8 に配置するのはGMウェステリネン
(Westerinen)の得意とした戦型である。他の戦型はルー
クをどちらか一方に置いて早く ...a7-a6 とポーンを突く組
み合わせである。どちらのルークの組み合わせでもそれ
ぞれ重要な戦法になっている。

  9.Nc1 e5 10.d5 Nd4 11.Nb3 c5 12.dxc6e.p. bxc6

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この進行なら 8...Rb8 の顔が立っている。b 列を支配し
b2 の地点を圧迫しているのが肝要である。

  13.Nxd4 exd4 14.Bxd4 d5

白はポーンを得したが黒はセンターから反撃できる。黒
の代償は白がまだキャッスリングしていない点にある。

  15.cxd5 cxd5 16.Bb5

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16.e5 の方が良い。本譜の手は先手で利かそうという手
だが、予期しない黒の一連の大捌きが待っていた。

  16...Rxb5 17.Nxb5 Nxe4 18.fxe4 Rxe4+ 19.Kf2

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GMリー(Ree)の指摘では 19.Kd1 に逃げる方が安全だっ
た。

  19...Qh4+ 20.g3 Rxd4 21.Qe3

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白はクレイドマン(Kraidman)対ウェステリネン戦(ルガノ
(Lugano)オリンピアード、1968年)のように 21.gxh4 と指
すべきだった。それでも白の引き分けの可能性はあまり
ない。

  21...Qf6+ 22.Kg2 Re4 23.Qd2 Bh3+ 24.Kxh3 Qe6+
  白投了

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白のルークが最後まで遊び駒のままだった。

******************************

ペレスが投了した時スニルは「結婚祝いをありがとう」と
言って破顔一笑したそうです。

このころは「Chess Life」1月号に全会員のレイティング一
覧が掲載されていました。それによると兄のアスカのレイ
ティングは1993年1月号では 1350、1994年1月号では
1493、1995年1月号では 1665 でした。居住地もアルファ
ベット2文字で示されていますが、1993年1月号と1994年
1月号では CA(カリフォルニア)、1995年1月号では NY
(ニューヨーク)となっていました。

2006年07月14日

「ヒカルのチェス」(2)

1996年

「Chess Life」1996年1月号

会員のレイティング一覧によるとナカムラ一家のレイティ
ングは次のとおりです。
WEERAMANTRY, SUNIL 2327
NAKAMURA, ASUKA 1913
NAKAMURA, HIKARU 1296


「Chess Life」1996年4月号

「1995 USCF Yearbook」(1995年記録年鑑)に「National
School Grade Championship」(学年別選手権戦)の優勝
者の名前が掲載されています。

1992年 1年生の部 Asuka Nakamura
1993年 2年生の部 Asuka Nakamura
1994年 3年生の部 Asuka Nakamura
1995年 4年生の部 Asuka Nakamura

また「Top Under 13」(13歳未満)のレイティング上位者氏
名でアスカが 14 位にランクされています。

14 Nakamura, Asuka 9歳 1877


「Chess Life」1996年5月号

「The 1995 National K-12 Grade Championships」の結
果の報告記事が載っています。高校3年生から幼稚園
児までの学年別の順位を競う大会です。行なわれたのは
前年(1995年)の12月1日から3日までです。場所はニュー
ヨーク州のシラキュース(Syracuse)です。試合は6回戦で
参加者は773名です。

2年生の部でヒカルが 5 ポイントで同率2位(2-4位)に入
賞しています。

4年生の部でアスカが 6 ポイントで単独優勝しています。


「Chess Life」1996年10月号(1)

「The 1996 National Elementary Championships」の報
告記事が載っています。小学生の選手権戦です。参加
者は1712名です。レイティング大会としてはそれまでの
記録の1986年ワールド・オープンの1506名を上回って新
記録だったそうです。「Tucson Convention Center」(ア
リゾナ州)で5月3日から5日まで開催されました。

セクションは1学年ずつでなく「K-6」(小学6年生以下)、
「K-5」(小学5年生以下)、「K-3」(小学3年生以下)および
「Kindergarten」(幼稚園)に分かれています。そしてそれ
ぞれがレイティングによってさらに分かれています。例え
ば「K-5」の個人戦は「Open」「Under1400」「Under1200」
「Unrated」に分かれています。

「K-5 Open」セクションで本命のアスカが7戦全勝で単独
優勝しています。

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ニューヨーク州のホワイト・プレーンズ(White Plains)のリッ
ジウェー(Ridgeway)小学校に通っているそうです。

ヒカルが兄と同じセクションに出場していて同率24位(24-
35位)に入っています。

アスカの棋譜が解説付きで載っているので掲載します。
相手は6ポイントで同率3位(3-9位)に入っています。

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ニムゾ・インディアン防御(Nimzo-Indian defense) [E51]

白:Chaene Kingrey (1423)
黒:Asuka Nakamura (1969)
1996 U.S. Elementary Championship

解説 Robby Adamson

  1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.Nf3 d5 5.e3 O-O
  6.Be2 c5 7.O-O

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  7...Bxc3?!

この手では 7...cxd4 8.exd4 dxc4 9.Bg5 Nbd7 10.Bxc4
と指す方が普通である。以下の進行の一例は 10...Bxc3
11.bxc3 Qc7 12.Bd3 Qxc3 13.Re1 b6 14.Re3 で白は十
分にポーン損の代償がある。

  8.bxc3 b6 9.cxd5 exd5 10.Re1

10.Ne5 又は 10.c4!? の方が積極的だった。

  10...Ne4

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  11.Bb2

ここでも 11.Qc2!? の後 12.c4 と指す方が積極性があった。

  11...Be6 12.Nd2 Nxd2 13.Qxd2 Qc7

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  14.Bf3

この手では 14.dxc5! bxc5 15.c4! の後 16.Qc3 を狙う方
が良かった。この手順中 14...Qxc5 と取れば 15.c4 dxc4
の後 16.Qc3! と指すのが好手となる。

  14...Rd8 15.Rac1 Nc6 16.Be2 Rab8 17.Qc2 Na5
  18.Ba3 Rbc8 19.Bb2

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白の指し手は伸びを欠いている。

  19...Qd7 20.a4 Nc6 21.Red1 Qe7 22.Ba3 Na5 23.Re1
  Qf6 24.f3 Qg5 25.Bf1 f5 26.f4 Qf6 27.Qd1 c4!

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白は a ポーンが弱点になっている。

  28.Rc2 Bd7 29.Ra2 Nb3! 30.Bb2 Qf7 31.Be2 Qe8
  32.Bh5 g6 33.Bf3 Bxa4 34.Qe2 Na5

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後はテクニックの問題である。アスカは見事な指し回しを
見せてくれた。

  35.Qf2 Bb3 36.Ra3 Nc6 37.Bd1 Bxd1 38.Rxd1 a5
  39.Raa1 b5 40.Rdb1 b4 41.Qe1 Qe4 42.Rd1 Re8

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  43.Bc1 Qc2 44.Bd2 b3 45.Rdc1 Qd3 46.Rcb1 Ra8
  47.Ra4 Rac8! 48.h3 Nxd4 49.cxd4 c3 50.Bxc3 Rxe3

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  51.Qf1 Qxc3 52.Qb5 Re1+ 53.Rxe1 Qxe1+
  54.Kh2 Qe3 55.Qxd5+ Kh8 56.Qb7

56.Qd6 の方が長引くが黒の勝ちは動かない。

  56...Qxf4+ 57.g3 Rc2+ 白投了

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両者とも良く指した試合だった。

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(この号続く)

2006年07月17日

「ヒカルのチェス」(3)

1996年

「Chess Life」1996年10月号(2)

この号で「Your First Move」という初心者のための上達
連載講座にウィーラマントリの著書のある章がそのまま
転載されています。前々回の自戦解説を読めば気付き
ますが彼の解説は手の変化の羅列でなく指し手の意味
やチェスの考え方の説明が主となっています。これは彼
のこの著書でも同じです。アスカとヒカルが急激に強くな
ったのは彼らに才能があったことは無論ですが父親の直
接指導があったことも寄与していると思います。指導の
内容の一端を知る意味でこの転載講座を和訳します。全
部で4ページで分量が多いので4回に分けて掲載します。

ウィーラマントリの本の題名は「Best Lessons Of A Chess
Coach」です。日本アマゾンで1,700円台で売っています。
皆で買って上げましょう(私は本稿を訳すにあたり買いまし
た)。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/0812922654/249-3182130-2694764?v=glance&n=52033011

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「One To Remember」(忘れえぬ一局)(1/4)
第4章の抜粋
「Best Lessons Of A Chess Coach」(チェス教師の最強授業)
Sunil Weeramantry and Ed Eusebi

1972年の英国での私の試合から1局を採り上げる。人
は一生のうちに何千局もの試合をするだろうが、その中
には想像力を刺激するゆえに決して忘れられない試合も
ある。誰でもそのような経験を持っていることだろう。この
試合はそのような一局である。今回も複合枡の弱点を突
く例である。しかしそのような段階に至る状況は前局とは
全く異なっている。私が白キングの周りの黒枡を弱体化
させるまたとない機会にどのように飛びついたかをお目
にかける。私はルークを丸々捨てて黒枡ビショップをおび
き出した。そのビショップは弱体化した枡の守り駒だった。
そして攻撃は成功し勝ちを収めた。


ビルツ防御(Pirc defense) [B09]
オーストリア攻撃(Austria Attack)

白:R. Harris
黒:Sunil Weeramantry
ロンドン、1972年

  1.e4 d6 2.d4 Nf6

ビルツ防御はユーゴスラビアのGMバスヤ・ピルツ(Vasja
Pirc)によって広められた。ピルツと現代防御(Modern
Defense)との本質的な違いは、ピルツでは黒が2手目に
キング側ナイトを展開することである。

  3.Nc3 g6 4.f4

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この戦型をオーストリア攻撃という。この戦型では白はセ
ンターを広く占拠し黒はそれには構わずキング側ビショッ
プをフィアンケットする。それゆえに戦いは広大ポーン・セ
ンター
フィアンケットになる。古典的展開対超現代派と
言うこともできる。

白の戦略はセンターを構築し、役駒を展開し、陣形を強
化し、その後で黒の役駒に対しセンター・ポーンを前進さ
せることである。黒の作戦はフィアンケットを完了し、白が
先制してくる前にポーンでセンターに襲い掛かることであ
る。

実は私は広大なセンターに対抗するのが好きである。キ
ング側フィアンケットの使い手は目の前にポーンの壁を見
せ付けられると燃えてくる。それは格好の標的となるから
である。相手がセンターを構築している間にその時間を
利用して展開でリードを図ることができる。

実際のところセンターは非常に強大であるが、フィアンケ
ットも負けてはいない。フィアンケットを甘く見てはいけな
い。非常に危険な存在である。これはさも同じくらいの強
さの二人の戦士が異なった武器で戦っているようなもの
である。古代の剣闘士でいえば一方が剣と盾を持ち、他
方が網と三叉矛を持っているようなものである。

  4...Bg7 5.Nf3 O-O

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ここでは有力な別の手もある。つまり 5...c5 ですぐにセン
ターに襲い掛かることもできる。この手は名高い1972年
の世界選手権戦でボピー・フィッシャー(Bobby Fischer)が
ボリス・スパスキー(Boris Spassky)に対して用いてから
人気が出た。その試合は激闘の末引き分けに終わった。

質問 5...O-O の後白には幾つかの選択肢がある。どの
ような手が考えられるか。

解答 6.f5

間違い。何が問題かというと陣形を固めないうちにセン
ター・ポーンで攻撃を始めたことである。時機尚早である。
ポーン損になることを確認しなさい(5.f5 gxf5 6.exf5 Bxf5)。

ポーンを一つ損してもフィアンケットの陣形を乱した価値
があると考える人がいるかもしれない。しかしそうではな
い。ビショップが f5 に出てきた後 g6 に下がってキャッス
リングした囲いを守るのでポーンがただ損になっている。
もし f5 と突きたいのならまず Bd3 と出てもっと f5 の地
点に利かしてから行なうのが正しい手順である。

解答 6.e5

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面白そうな手である。私はこの手を指したことも指された
こともある。この変化での私の最近の実戦例では、IMカ
ムラン・シラジ(Kamran Shirazi)に黒を持って勝ち、GMパ
トリック・ウルフ(Patrick Wolff)に白を持って負けている。
どちらの試合とも白の攻撃が時期尚早という定跡の評価
を裏付けているようである。

黒は 6...dxe5 と取っても大丈夫であるが 7.dxe5 Qxd1+
8.Kxd1 で白のほうがやや有利となる。白のセンターでの
支配地域が広く、ポーンの陣形が拮抗しているので黒が
白の支配に挑むのは難しい。白のキングが動いたことは
クイーンが交換済みであることと黒がまだ十分に展開し
ていないことで特に危険ではない。

黒は 6...Nfd7 で迎え撃つこともできる。7.h4 はシラジ戦
とウルフ戦での進行である。

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質問 側面攻撃に対する最良の応手は何か。

解答 センターでの反撃である。

そのとおり。側面攻撃に対する最善の策はセンターから
反撃することである。
なぜだか分かりますか?攻撃側は
攻撃補強のために盤の一方から他方へ支障なく役駒を
移動させなければならない。もし相手が中間で戦闘を仕
掛ければ攻撃側は攻め駒の連係を失ってしまう。

質問 考え方が分かったところで黒はどう指したら良いか?

解答 7...c5

そのとおり。この手は大変良い手である。白の連鎖ポー
ンの根元に攻撃をかけ、二箇所でポーンが接触している。
もし白が c5 のポーンを取れば黒は e5 のポーンを取る。
白が d6 のポーンを取れば黒は d4 のポーンを取る。もし
白がどちらのポーンも取らなければ黒は両方のポーンを
取る!つまりまず d4 のポーンを取りその次に e5 のポー
ンを取る。もし白の両方のポーンがなくなれば白のセン
ターも消滅する。連鎖ポーンを破壊するにはその根元を
崩すと共に連鎖の他の箇所にも圧力をかけることである。

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(この号続く)

2006年07月20日

「ヒカルのチェス」(4)

1996年

「Chess Life」1996年10月号(3)

Ichiroさんからワールドオープンでのウィーラマントリと羽
生さんのツーショットの写真を頂きました。

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「One To Remember」(忘れえぬ一局)(2/4)
第4章の抜粋
「Best Lessons Of A Chess Coach」(チェス教師の最強授業)
Sunil Weeramantry and Ed Eusebi

本譜の 5...O-O に戻る。

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質問 これまではポーン突きについて見てきたが他に考
えられる手はあるか?

解答 6.Bc4

なるほど。ビショップの展開について考えてみよう。しかし
c4 はビショップにとって良い位置ではない。自分のセン
ター・ポーンと同じ段に置くのはセンターでの融通性を失
う。センターでの両取りを図る 6...Nxe4 7.Nxe4 d5 でセン
ターを破壊する仕掛けで、間接的な役駒の交換に見舞わ
れるかもしれない。ビショップがそこにいなければ ...d5 突
きは e5 と突き返されるだけである。

解答 6.Be2

一時はこの手が一番人気があった。また昔の人気を取り
戻すかもしれない。黒の通常の応手は 6...c5 であるが
7.dxc5 の後 c5 の地点で取り返さない。そう取り返すと
d6 からポーンがなくなり、白のセンターを抑える最良の
機会もなくなる。

質問 黒が 7...dxc5 とポーンを取り返さないのならば
6...c5 の正当性は何なのか?

解答 7...Qa5 で c3 のナイトを釘付けにし e4 のポーンを
狙う。

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素晴らしい。7...Qa5 は非常に強力な手である。なぜなら
白がセンターのポーンを守れば黒はクイーンで c5 のポー
ンを取り返して d6 のポーンを動かさずに済むからである。
ほとんどの初心者は黒の連鎖ポーンを根こそぎ取ってし
まう(8.cxd6 Nxe4 9.dxe7 Re8)。これは黒にとって非常に
有利な分かれになる。白のキングは元の位置のままで
ある。それに c3 の釘付けになったナイトに対する黒の攻
撃は非常に厳しい。g7 のフィアンケット・ビショップも攻撃
に加わってくる。黒がセンターで戦端を開くとフィアンケッ
ト・ビショップの威力も増大する。
黒は容易に二つのポー
ンを取り返して形勢も有利となるであろう。

7...Qa5 の後の最善の応接は 8.O-O Qxc5+ 9.Kh1 Nbd7
である。

白にはビショップの行き場所がもう一箇所ある。

解答 6.Bd3

消去法により最善手にたどり着いた。

質問 この試合でも白の指し手は 6.Bd3 だった。黒の
...c5 の構想は成立しない。何故か?

解答 白が cxd6 と取った後このビショップが e4 のポー
ンを守っているので黒は ...Nxe4 と指せない。

このように質問に解答することができるようになれば自分
の棋力が向上していることが実感できるであろう。似通っ
た局面でも自分で考えで同様に当てはまるかどうか判断
できるに違いない。局面の僅かな違いがどう影響するの
か学ばなければならない。

質問 6.Bd3 の後黒はどう指したら良いか?

解答 黒は ...c6 から ...b5 と指すことができる。

この局面ではこれらの手順には欠陥がある。クイーン側
の拡張に手をかけると白のセンターをしばらく放っておく
ことになる。黒のナイトが既に f6 に展開している時には、
センターで何もしないでいると白が e5 によりすぐに襲っ
てくる可能性があるので危険である。

私の指した手は 6...Nc6 である。

  6.Bd3 Nc6

6...Nc6 は従来からの常套手である。最近は 6...Na6 など
の他の手も試みられている。自分で研究してみると良い。

...Nc6 の意味はセンターの黒枡(d4 と e5)に圧力をかけ
ると共に ...e5 突きを準備することである。

  7.O-O

質問 どうして白は後の e5 を含みに 7.d5 と指さないのか?

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解答 それは黒のビショップの筋を開放することになる。

d5 突きの問題点は g7 のビショップを非常に強力にして
しまうことにある。
f6 のナイトが動くと g7 のビショップの
利きが素通しになる。従って白は黒の手助けをしている
ことになる。

本譜に戻る。

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質問 まだ展開していない役駒が一つある。黒はここで
どう指すか?

解答 7...Bg4 で ...Nxd4 を狙う。

  7...Bg4 8.Be3

私が対処が最も難しいと思っていた手は 8.e5 で、白が
少し有利かもしれない。しかし 8.Be3 も別に悪くない。ナ
イトもビショップも所定の位置につきキャッスリングも済ん
で白の展開は完了した。

質問 ここで手遅れになる前に黒がしなければならない
ことは何か?

解答 e ポーンを突くこと。

白が e5 と突く前にこちらからポーンを突いてセンターに
挑みなさい。黒の直前の2手(6...Nc6 と 7...Bg4)が ...e5
をどのように支援しているかに注意しなさい。ナイトは e5
の地点の守りに一役買い、ビショップは e5 に利いてい
る白の駒を減少させている。黒はいずれビショップで白
のナイトを取ることになるがそれも黒の全体戦略の一環
である。既に戦闘が黒枡の支配をめぐって行なわれる
とが見てとれるであろう。

  8...e5

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一方が3個のポーンを横に並べ他方がその真ん中のポー
ンを攻撃している時には、前者の立場から見てほとんどの
場合一つのポーンで取ってから別のポーンを突き越す
が最良の対処策である。つまりこの場合なら d ポーンで
取ってから f ポーンを突き越す、又はその反対である。
してはいけないことは2回取ることである(9.dxe5 dxe5
10.fxe5 Nxe5)。そういうことをするとセンターがどういう結
果になるか良く観察しなさい。

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初め威容を誇ったセンターが見る影もない。おまけに e5
のナイトが孤立ポーンの前の地点にいるので強い存在と
なっている。もはやポーンで追い払えなくなっている。

実戦では白は一度はポーンを取ったがもう一つのポーン
を突き越さなかった。突き越すべきであった。

  9.dxe5 dxe5 10.h3 Bxf3

Y060720H.GIF

この手は最も正確な手順ではなかった。黒は先に
10...exf4 と取るべきであった。その後の最善の応接は
11.Bxf4 Be6 で互角の形勢である。もし白が 11.Bc5 と
指すと 11...Bxf3 12.Qxf3 Nh5 で本譜に戻る。

  11.Qxf3 Nh5

ここでの白の最善は 12.f5 である。そう指さずに白はルー
クに狙いを定めた。多分白はルークを f8 からどかせて f7
のポーンに圧力をかけたかったのであろう。

  12.Bc5

Y060720I.GIF

図I挿入

******************************

(この号続く)

2006年07月23日

「ヒカルのチェス」(5)

1996年

「Chess Life」1996年10月号(4)

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「Best Lessons Of A Chess Coach」(チェス教師の最強授業)
Sunil Weeramantry and Ed Eusebi

第4章の抜粋
「One To Remember」(忘れえぬ一局)(3/4)

  12.Bc5

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用心せよ。華々しい切り合いが始まろうとしている。

白のポーンの構造を見てみよう。e4、g2、h3 のポーンを
見て何か気付かないだろうか?全部白枡にいる。もし f4
のポーンを消すことができれば黒の黒枡は全部弱くなる
と私は考えた。そこですぐに交換によりそれを実現できる
か考え始めた。そして面白い手順が浮かんだ。

  12...exf4 13.Bxf8

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この局面は(別手順で)1988年の通信チェスの試合に
現われていた。その試合では黒はビショップで f8 のビ
ショップを取り返していた。そう指したのは私の指した手
順中に受けの妙手を発見していたからだった。13...Bxf8
の後黒枡での代償は交換損を補って余りあると彼は判
断したに違いない。

私は彼とは別の手を指した。私は中間手を2手指した。
これで私の駒は攻撃態勢に移った。中間手は普通チェッ
ク、取り又は手抜きできない類の手である。

質問 黒の二つの役駒をさらに攻撃的な地点に据える中
間手がある。最初の手は何か?

解答 13...Bd4+

宜しい。この手はビショップを急所の斜筋に配置する。h1
は黒のナイトが g3 に来た時にチェックになるので白のキ
ングは h2 に逃げた。

  13...Bd4+ 14.Kh2

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質問 黒はまだ全部の駒を最適の攻撃地点に据えたと
は言えない。ビショップは申し分ないがまだ捨て駒を考え
るには早過ぎる。まだ準備が必要である。

解答 14...Qh4

私の指す手を見通している。この手は攻撃に必須である。
なぜなら弱体化した黒枡を照準に睨みをきかせているか
らである。残念ながら今そう指すと白は 15.Qg4 で受ける
ことができる。防御で強く圧迫されている時はクイーン交
換を目指すのが良い。

解答 14...Ne5

もう一つのナイトが戦闘に加わった。以上の2手で何が
起きているか注視しなさい。黒の駒は黒枡を完全に支配
下に置いた。これが映画だとしたら「黒枡への侵入」とで
も名付けるだろう。この最中に白の黒枡ビショップがどこ
にいるか注目しなさい。好都合なことに惰眠を貪っている。

  14...Ne5

Y060723D.GIF

クイーンが逃げなければならない。e2 に行くと別のナイト
が足取りも軽やかに g3 に跳び込んで来る。

  15.Qd1

黒は十分な代償を得ているだろうか?問題は黒がルー
ク損になっているということである。勢いが続く限り黒は
f8 のビショップの取り返しに一手をかけたくない。これは
難しい問題である。ビショップを取るかそれとも攻撃を続
けるかに私は30分もの時間をかけて読んだ。慎重に読
んだ結果ビショップを放置しても構わないという結論に達
した。

今の結論としては 15...Kxf8 が賢明な手で攻撃も続くと
考えている。

  15...Qh4

あまさず読んだにもかかわらず白からの巧妙な手を見
逃していた。その手は前に言及した通信戦の試合の解
説で指摘されていた。私の相手は 16.Be7! と指すべきで
あった。完璧に読んだつもりの手に抜けがあったことが
後に分かるのは拍子抜けする気分である。この試合には
見た目以上のものがある。

Y060723e.GIF

思いもよらぬ手である。私は全然脳裏に浮かびもしなか
った。どういう意味か分かるだろうか。黒のクイーンが h4
にいると危険千万極まりないので引き戻そうというので
ある。16...Qxe7 ならば 17.Be2 が強い手となる。

16.Be7 の後黒には 16...g5 という手がある。
問題1 17.Be2 の後の展開を読みなさい。
問題2 17.Nd5 の後の展開を読みなさい。

駒得していることの大きな強みは危急に際して相手にな
にがしかの駒をくれてやることができる
ことにある。私の
相手は強欲であった。彼はビショップを h6 に逃がしてル
ークの丸得を維持しようとした。

  16.Bh6

Y060723F.GIF

白は本当に窮地に立たされている。この局面を分析し手
を読んでみよう。自分で局面を評価してみるとよい。

まず f4 のポーンの強さを考えてみよう。このポーンは急
所の g3 の地点を支配している。次に d4 のビショップの
強さを考えてみよう。このビショップは斜筋を見張り白の
キングが g1 に逃げるのを阻止している。二つのナイトは
いつでも切り合いに参加できる。他方白の方はどうだろ
う。d3 のビショップは図体の大きいポーンに過ぎない。f1
のルークは受けにしか利いていない。h6 のビショップは
依然として遊び駒状態である。白は黒枡に全然利いてい
ない。ポーンが全部同じ色の枡にいる時別の色の枡は
非常に弱い状態になる。
白の駒はまだ沢山残っている
がどの駒も黒枡の助けにはなっていない。

質問 最終攻撃への準備が整った。黒はどう指したら良
いか?

解答 ...f5。その後ナイトが g4 でチェックできる。

それは駄目である。白は単に exf5 と取る。黒が ...Ng4+
とチェックして ...Ng3 で詰ませたいのは確かである。g4
に他の駒を利かすという考えは良いが残念ながら白のク
イーンが g4 に利いている。...Ng4+ を実現させるための
他の手段はないか?

解答 黒は ...f3 と指せる。

ご名答。これは妨害手である。クイーンの g4 への利きを
妨害し白のキングのポーンの囲いを破壊する。

  16...f3!

Y060723G.GIF

問題1の答え 16.Be7! g5 の後白は 17.Be2 と指しては
いけない。

Y060723h.GIF

黒は 17...f3 18.Bxf3 Qf4+ 19.Kh1 Ng3+ 20.Kh2 Nxf1+
21.Kh1 Qh2# で即詰みで勝つ。

問題2の答え しかし 16.Be7! g5 17.Nd5 ならそううまく
は行かない。

Y060723i.GIF

黒が同じように 17...f3 と指すと以下 18.Rxf3 Ng4+
19.Kh1 Ng3+ 20.Rxg3 Nf2+ 21.Kh2 Nxd1

Y060723j.GIF

22.Rxg5+ Kh8 23.Rg8+ とクイーンを取り返して白の勝ち
となる。

******************************

(この号続く)

2006年07月26日

「ヒカルのチェス」(6)

1996年

「Chess Life」1996年10月号(5)

******************************

「Best Lessons Of A Chess Coach」(チェス教師の最強授業)
Sunil Weeramantry and Ed Eusebi

第4章の抜粋
「One To Remember」(忘れえぬ一局)(4/4)

  16...f3!

Y060726A.GIF

黒から ...Ng4+、...Ng3# という詰み筋があるので白は何
か受けなければならない。17.gxf3 は 17...Qg3+ 18.Kh1
Qxh3# で詰まされてしまう。

  17.Rxf3

白はルークの丸得であるがキングの周辺に黒の駒が群
がっているのでとてもそんな余裕を感じている暇はない。
働きのないあるいは展開できていない駒は知らず知らず
のうちに背景に追いやられてしまうものである。これに反
して良く働いている駒は自分に飛び掛ってくるように感じ
られる。白は黒のナイトが恐いのでこのルークを取ってく
れることを期待している。

質問 黒はここでどう指したら良いか?攻撃が続くような
手を考えよ。

解答 17...Ng4+ 18.Kh1 Ng3+

強硬な手である。白は 19.Rxg3 と取るしかない。ここま
でを駒を動かさずに読むようにしてみよ。

  17...Ng4+ 18.Kh1 Ng3+ 19.Rxg3

Y060726B.GIF

質問 ここでの黒の最善手は何か?

解答 19...Qxg3

失敗。多分それは白が期待している順だろう。白には
20.Qxg4 という応手がある。黒にはもっと良い手がある。

解答 19...Nf2+

そのとおり。黒のナイトが瞬く間に白のキングめがけて
次々と襲い掛かってきた様子を見てみよ。ここで私は非
常に良い気分だった。しかし白にはちょっとした罠がある
のを知っていた。彼もそれを読んでいた。

  19...Nf2+ 20.Kh2 Nxd1 21.Bg5

Y060726C.GIF

質問 ここで黒のクイーンが h5 に逃げたらどうなるか?

解答 Be2

クイーンの逃げ場がない!これが白の狙いだった。彼は
まんまと罠に嵌めたと思っていた。しかし私にはお見通し
だった。

質問 21...Qh5 の代わりに勝ちを決める手は何か?

解答 21...Bg1+

キングをルークから引き離す。これを見た時の彼の表情
といったらなかった。

  21...Bg1+ 22.Kxg1 Qxg3 23.Rxd1 Qxg5

Y060726D.GIF

  白投了

まだ投了には早過ぎる局面である。まだ指してみる余地
がある。しかし我々は共に強いマスターなので経験豊富
な相手に逆転の余地はないと彼は判断したようだ。実際
ビショップとナイトではクイーンに太刀打ちできない。クイ
ーンは白陣に侵入し何もかも破壊し始めるだろう。もし白
が何もただで取られないような砦を築いたとしても、いつ
か何かを動かさないければならない時が来て砦は崩壊
するだろう。

強い相手に対して黒を持ち勝てるかどうかやってみなさ
い。つまづかずに勝ちを見極めることはチェスの難しい課
題の一つである。このような訓練を積めばあなたの技量
もぐんと伸びるであろう。

復習

テーマ

複合弱点枡(入門)
広大ポーン・センター対フィアンケット(4.f4)
センターからの反撃対側面攻撃(7.h4 戦型)
ポーン連鎖の破壊(7.h4 c5 戦型)
センターの黒枡の攻撃(8...e5)
駒の配置を良くするための中間手(13...Bd4+; 14...Ne5)
攻撃を遅らせるための駒の返却(16.Be7 の変化)
妨害手(16...f3)

指針

センター・ポーンで攻撃する前に自陣を強化せよ。
側面攻撃に対処する最も有力な策戦はセンターから反
撃することである。
ポーン連鎖を破壊するにはその根元を攻撃すると共に他
に接点にも圧力を加えよ。
相手にセンターでの両取りの可能性がある時はビショッ
プを4段目に置いてはいけない。
フィアンケットしたビショップの利きが増すようにセンター
を開放せよ。
相手のセンターでの進攻を押さえ込めないならば布局で
クイーン側の拡張に手を費やすな。
自分の三つのポーンが横に並びその真ん中のポーンに
対して相手がポーンを突いてきた時には一つのポーンで
取ってもう一つのポーンは突き越せ。
ポーンが全部同じ色の枡にある時、反対の色の枡は弱
くなる。弱い色の枡を見つけその色に攻撃を定めよ。
防御で強い圧力を受けている時はクイーンの交換を狙え。
駒得なのに不利な状況にいる時は何らかの駒を返して
攻撃を鈍らせよ。

助言

できるだけ先まで読め。
あまり欲張るな。余分な駒を返して勝負がつくのを遅ら
せよ。

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(この号終わり)

2006年07月29日

「ヒカルのチェス」(7)

1996年

「Chess Life」1996年11月号

ワールド・オープン特集記事の中でヒカルの父ウィーラマ
ントリの対GM快勝局が本人の自戦解説で掲載されてい
ます。故・GMグフェルドは来日したことがあります。

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白 FM スニル・ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)
黒 GM エドワルド・グフェルド(Eduard Gufeld)
ピルツ防御(Pirc Defense)
オーストリア攻撃(Austrian Attack) [B09]
1996 World Open

解説 FM スニル・ウィーラマントリ

  1.e4 d6 2.d4 Nf6 3.Nc3 g6 4.f4 Bg7 5.Nf3 c5 6.Bb5+

Y060729A.GIF

この手は 5...c5 に対する最も厳しい応手である。

  6...Nfd7

通常の手は 6...Bd7 である。黒は定跡形を外したかった
のであろう。

  7.dxc5 dxc5 8.e5!

Y060729B.GIF

黒の d6 ポーンの不在につけこむ当然の手である。白は
センターの広さで明らかに優位に立った。グフェルド愛用
のビショップは傍観者となっている。(訳注 グフェルドは
キングズ・インディアン防御の熱狂的な信者で g7 のビ
ショップは「グフェルドのビショップ」と呼ばれていました。)

  8...O-O 9.h4!

キング側攻撃の好機である。黒は通常の反撃を行うこと
ができない。

  9...Nc6 10.h5 a6 11.Bd3

Y060729C.GIF

  11...Nb6 12.hxg6 hxg6 13.Qe2 Bg4 14.Qf2 Qd7

Y060729D.GIF

黒は g5 の地点を支配して 15.Qh4 を防いだ。(訳注 「g4
のビショップに紐をつけて 15.Qh4 に備えた」の誤りだと
思われます。)

  15.Qxc5 Nc8

他に逃げ場所がないので口惜しいが仕方ない。15...Qc7
は 16.Qf2 で b6 のナイトを守っていないといけないので
黒のクイーンが d7 に戻れない。

  16.Be3 b6 17.Qd5 Qc7?

Y060729E.GIF

この手はポカだった。しかし d5 の地点でクイーンを交換
しても形勢は黒が良くない。

  18.Bxg6 Bh8

逃げ道を作るための苦肉の策。しかしここで豪快な決め
手が待っていた。

  19.Bxf7+ Kg7 20.Rh7+! 黒投了

Y060729F.GIF

20...Kxh7 21.Qe4+ で即詰みが避けられない。

2006年08月04日

「ヒカルのチェス」(8)

1996年

「Chess Life」1996年12月号

米国内のチェス界の話題を紹介するページにヒカルの兄
のアスカの記事が掲載されていました。「易しい詰み
(Simple Checkmates)」という本の校正をして高く評価さ
れたそうです。

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易しい詰み

シーラ・フィーラン(Sheila Phelan>/バランタイン(Ballantine)
/ランダムハウス(RandomHouse)

昨年の秋にギラム(A.J.Gillam)の「易しい詰み(Simple
Checkmates)」の発行を計画している時スニル(Sunil)の
序文がいつできあがるかキャロリン・ウィーラマントリ
(Carolyn Weeramantry)に尋ねた。(キャロリンはスニル
の妻でアスカならびにヒカル・ナカムラの母である。二人
とも非常にレイティングの高い少年チェス選手である。)

私はキャロリンに序文ができあがった後唯一の気がかり
はゲラ刷りの校正のことだと言った。

するとキャロリンは息子のアスカにやらせてみてはどうか
と言った。アスカはその時9歳でレイティングは2,000前
後だったと思った。もちろんアスカの学業はあまり負担に
なっておらず、良い刺激になるだろうと彼女は考えていた。

アスカは1月にゲラ刷りを受け取り我々のために非常に
頑張ってくれた。21の誤りを発見しそのうちの一つの詰
みは原図に誤りがあるものだった。アスカは信じられな
いほど完璧にやってくれた。

Y060804A.GIF

我々はアスカへの感謝の印として著作権のページの所
に特別に彼への謝辞を表した。「バランタインの招待チェ
ス編集者アスカ・ナカムラに特別の感謝を捧げる」
(Special thanks to Ballantine's guest chess editor
Asuka Nakamura)

それにしてもこれは「全国学校チェス財団」の家族の努
力の賜物である。この本はこれまでのところ非常に良く
売れている。そして将来はもっと新しいチェスの蔵書が
増えるであろう。

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アスカへの感謝の言葉は次の写真の赤で囲んだ部分
です。

Y060804B.GIF

同じページの記事で、U.S.Open の時に、米国チェス連
盟表彰宴会での「年間活動家大賞(Organizer of the
Year)」が発表され、スニル・マントリが「教育におけるチェ
ス委員会(The Chess in Education Committee)」の委員
長として「年間委員会大賞(Committee of the Year)」に
選ばれました。

参考のために「易しい詰み」の169ページを下に載せて
おきます。

Y060804C.GIF

2006年08月07日

「ヒカルのチェス」(9)

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「Chess Life」1997年2月号

「1996 National K-12 Grade School Enjoys Near-Record
Turnout」(1996年全国幼小中高学年別大会で記録的参
加者)という報告記事にヒカルの可愛い写真が出ています。
小学3年生の部門で6回戦5.5ポイントで優勝しました。

Y060807A.GIF

スペインの地中海に浮かぶメノルカ(Menorca)島で開催
された「1996 World Youth Festival」(1996年世界青少
年祭)にアスカが米国チームの一員として出場しました。
下の写真の右端真ん中がアスカで、その後ろでアスカ
の肩に手をかけているのがGMパル・ベンコー(Pal Benko)
です。アスカは10歳未満の部門で11回戦で6.5ポイントを
挙げ72人中21位でした。

Y060807B.GIF

10歳未満の少女の部門でロシアのアレクサンドラ・コス
テニウク(Alexandra Kosteniuk)が11回戦で10ポイントを
挙げ断トツの優勝をしています。既にFIDEレイティング
2295になっています。他にも今をときめく名前が幾つも
見られます。

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2006年08月10日

「ヒカルのチェス」(10)

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「Chess Life」1997年4月号

「1996 Yearbook」(1996年年鑑)のページで16歳未満の
レイティング上位者の36位にアスカが、13歳未満のレイ
ティング上位者の8位にアスカ、20位にヒカルが入りまし
た。

16歳未満の上位50人
順位 名前        年齢 州      レイティング
-----------------------------
36 ナカムラ、アスカ  10 ニューヨーク   2032
(10歳でここに名前が入っている子供は他にいません)

13歳未満の上位50人
順位 名前        年齢 州      レイティング
-----------------------------
 8 ナカムラ、アスカ  10 ニューヨーク   2032
20 ナカムラ、ヒカル   9 ニューヨーク   1846
(二人とも同一年齢では最上位です)

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「Chess Life」1997年6月号

2月15-17日に米国アマチュア・チーム選手権戦東部地
区大会がありました。1チーム4人編成で6回戦、チーム
の平均レイティング別に優勝を競います。

ヒカルの所属した「Sunil's Stauntons」(スニルのスタント
ン)チーム(平均レイティング1693)が「1600-1699」の部
門でチーム勝点 3.5 - 2.5 で優勝しました。

アスカの所属した「Mike and the Underdog」(マイクと負
け犬)チームが「1400-1499」の部門でチーム勝点 3 - 3
で優勝しました。

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「Chess Life」1997年7月号

4月25-27日にテネシー州ノックスビル(Knoxville)で開催
された「1997 Supernationals」(幼小中高チェス大会)で
アスカとヒカルがそれぞれの部門で優勝しました。

アスカは「K-6」(小学6年生以下)で優勝しました。

Y060810A.JPG

ヒカルは「K-3」(小学3年生以下)で優勝しました。

Y060810B.JPG

二人とも居住地が「ニューヨーク、ホワイトプレーンズ、
リッジウェー」(Ridgeway, White Plains, NY)と記載されて
います

3月29日から4月6日にかけて開催されたニューヨーク・
オープンの「2200未満」のセクションで、アスカが 6 ポイ
ントで 17 - 22 位に入賞しました。

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2006年08月13日

「ヒカルのチェス」(11)

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「Chess Life」1997年9月号

6月7日に開催されたチェサソン(CHESSathon チェス・マ
ラソンの意味)でヒカルがマスターと引き分け記念の賞品
をもらいました。

Y060813A.JPG

両手で持っている賞品の上下が逆さまですが書いてあ
る文字は「MAGNETIC CHESS SET」(磁石式チェス盤駒)
です。後ろにいるのが父親のスニルです。学校コーチ
(scholastic coach)のスニルは総勢454名の子供からな
る最大の生徒のグループの二つを組織し今回の催しに
参加させました。

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「Chess Life」1997年11月号

1997年ニューヨーク州選手権戦(6回戦)で2000未満の
部門で9歳のヒカルが4.5ポイントで同点2位になりました。
11歳のアスカが同州快速選手権戦で4ポイントで同点2
位になり216ドルを獲得しました。

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「Chess Life」1997年12月号

米国内レイティング一覧が発表されています。ウィーラマ
ントリが2243、アスカが2135、ヒカルが2019です。アスカ
もさることながらヒカルの驚異的な上達に驚かされます。

「The Nation's Top Players」(国内番付)でヒカルが
「Busiest Overall」(最多対局)部門の41位(264局)に入っ
ています。

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2006年08月16日

「ヒカルのチェス」(12)

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「Chess Life」1998年1月号

1997年11月14-16日にニュージャージー州パーシッパ
ニー(Parsippany)で開催された「1997 National Scholastic
K-12 Grade Championship」(1997年全国学年別選手
権戦)の報告記事があります。

小学4年生個人戦の部門でヒカルが6ポイントで同点優
勝しました。

小学6年生個人戦の部門でアスカが6ポイントで単独優
勝しました。

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「Chess Life」1998年2月号

「PLAYER OF THE MONTH」(今月の選手)にヒカル・ナカ
ムラが米国史上最年少でIMを破ったことが報じられてい
ます。多分これが「Chess Life」誌に載ったヒカルの最初
の棋譜です。Fritz9 によると中盤からずっとヒカルの苦
しい形勢が続いていましたが黒の 35...Rfd4 が大ポカで
一挙に終わってしまいました。

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今月の選手

ヒカル・ナカムラ

彼は可愛いけれどもそれが理由ではない。それから彼は
特に聡明だけれどもそれも理由ではない。今年の1月4
日に快速スイスで父と兄をさしおいて同点1位になったけ
れどもそれも理由ではない。

彼が何でここに選ばれたかというとヒカル・ナカムラの記
録が注目に値するからである。彼はまだ10歳0ヶ月にし
かなっていないけれども米国チェス史上最年少でIMジェ
イ・ボーニン(Jay Bonin)を破ってしまったのだ。これまで
の記録はデービッド・ピーターソン(David Peterson)の11
歳5ヶ月だった。

Y060816A.JPG

フランス防御 [C02]
突き越し戦法(Advance Variation)
白 ヒカル・ナカムラ (2019)
黒 IM ジェイ・ボーニン
マーシャル・チェスクラブ(Marshall Chess Club)、1997年

1.e4 e6 2.d4 d5 3.e5 c5 4.c3 Qb6 5.Nf3 Bd7 6.Be2 Bb5

Y060816B.GIF

7.c4 Bxc4 8.Bxc4 dxc4 9.d5 exd5 10.Qxd5 Ne7
11.Qxc4 Qa6

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12.Na3 Qxc4 13.Nxc4 Nf5 14.a4 Nc6 15.O-O h6
16.Be3 O-O-O 17.Rad1 Be7

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18.g4 Nfd4 19.Bxd4 cxd4 20.Nfd2 h5 21.gxh5 Rxh5
22.f4 f6 23.Nf3 g5

Y060816E.GIF

24.exf6 Bxf6 25.fxg5 Bxg5 26.Nxg5 Rxg5+ 27.Kh1 d3
28.b3 Ne5 29.Nb2 Rg4

Y060816F.GIF

30.Rfe1 Rd5 31.Re3 d2 32.Re2 Nf3 33.Rf2 Rf4
34.Nc4 Rd3 35.Nxd2 Rfd4 36.Rc1+ 黒投了

Y060816G.GIF

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Fritz9 によると 35...Kd7 36.Rdf1 Nxd2 37.Rxf4 Nxf1
38.Rxf1 Rxb3 で互角でした。

2006年08月19日

「ヒカルのチェス」(13)

「Chess Life」1998年3月号

「1997 FIDE World Youth Chess Championships」(1997
年世界子供チェス世界選手権戦)の報告でヒカルの棋譜
が掲載されています。記事は今月号と来月号の2回に
分けて掲載されています。競技は14歳未満、12歳未満、
10歳未満の階級に分かれさらに男女別になっていて全
部で6部門に分かれています。ヒカルは10歳未満少年
の部に出場しました。米国からは11人の選手が出場し
ました。下の写真の前列左端がヒカルです。

******************************

Y060819A.JPG

第2回戦

10歳未満少年の部でヒカル(著名なチェス講師スニル・
ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)の息子)は攻撃の
才能を発揮した。強打の 13.O-O-O と 21.Re5! であっさ
りKO勝ちを収めた。

フランス防御(French Defense) [C11]
白 ヒカル・ナカムラ
黒 エル・ミカティ・モハメド(El Mikati Mohamed)
カンヌ世界子供祭、1997年

  1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nc3 Nf6 5.Bg5 dxe4 5.Nxe4 Be7
  6.Bxf6 Bxf6

Y060819B.JPG

  7.c3 Nc6 8.Nf3 e5?!

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  9.Nxf6+ Qxf6 10.dxe5 Nxe5?

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  11.Qe2 O-O 12.Nxe5 Re8 13.O-O-O!

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ヒカルは黒の最下段の弱点をついて駒得を保った。

  13...h6 14.Re1 Qf4+ 15.Qe3 Qf5 16.Bd3 Qe6

Y060819F.JPG

  17.Bc4 Qf5 18.Bxf7+ Kf8 19.Ng6+ Kxf7
  20.Qxe8+ Kf6 21.Re5!

Y060819G.JPG

ヒカルの読み筋は 21...Qxg6 なら 22.Qe7 で詰み、
21...Qxf2 なら 22.Qf8+ で黒クイーンの素抜きだった。

  21...Qxe5 22.Nxe5

以下33手目で黒が詰まされて終了。

******************************

2006年08月22日

「ヒカルのチェス」(14)

「Chess Life」1998年4月号(1)

「1997 Yearbook」(1997年年鑑)のページにヒカルの名
前が出ています。レイティングは1997年12月31日現在
です。

まず「TOP 50 UNDER 16」(16歳未満50傑)に10歳のヒカ
ルがレイティング 2044 で 33 位に入っています。他に10
歳はいなくて39位に11歳が一人入っているだけです。

そして「TOP 50 UNDER 13」(13歳未満50傑)にヒカルが
4 位に入っています。

「BUSIEST OVERALL」(最多対局)部門でヒカルが 289
局で 57 位に入っています。

******************************

1997年FIDE世界子供チェス選手権戦

第4回戦

初戦に敗北を喫しながらヒカル・ナカムラはその後3連
勝と盛り返した。本局でヒカルは巧妙に白のクイーンの
捕獲をにらみながら指し手を進めた。

ヒカル・ナカムラ - Volodymy Eryomenko
白の手番

Y060822A.JPG

  17.Rf3! Qh5

17...Qe4 と逃げると 18.c5 Be7 19.Rf4! で黒クイーンが
盤の中央で捕まってしまう。

  18.c5! Be4

これも絶対で 18...Be7 と下がると 19.g4! Qh4 20.Ng2 で
黒クイーンが捕まる。

  19.cxd6 Bxf3 20.Nxf3 cxd6

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  21.Bf4 Rfd8 22.Qe2 Qf5 23.Qd2 Rac8

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  24.Rc1 Rc4 25.b3! Rxc1+ 26.Qxc1 f6 27.Bxd6!

Y060822D.JPG

ヒカルは良く読んでいる。27...Rxd6 28.Qc8+ Kf7 29.Qc7+
でルークが落ちるのでこのビショップは取られない。

  27...h6 28.Bg3 g5 29.Qc7 Re8 30.Qxa7 h5

Y060822E.JPG

  31.Kh2 h4 32.Bd6 e5 33.dxe5 Qf4+ 34.Kh1 fxe5

Y060822F.JPG

  35.Qd7! Ra8 36.Bxe5 Qe4 37.Qg7# 1-0

Y060822G.JPG

******************************

Fritz9 によると最初の図から 17.c5 Be7 (17...Bh5 18.g4)
18.Re5 Qf6 19.Bg5 で本当に黒クイーンが捕まっていま
した。同じく Fritz9 によると本譜の 17.Rf3 には 17...Bh5
18.g4 Bxg4 19.hxg4 Qxg4+ 20.Ng2 dxc4 でポーンの数と
白陣の乱れで黒がまだ戦えました。

(この号続く)

2006年08月25日

「ヒカルのチェス」(15)

「Chess Life」1998年4月号(2)

******************************

1997年FIDE世界子供チェス選手権戦

第6回戦

ヒカルは序盤でポーン得になった。しかしその後の指し
方がまずくてクイーン側でひどい形になった。ポーン得を
返すことによってなんとか勝負に持ち込むべくヒカルは
脳漿を振り絞った。その努力が奉公して局面は訳の分
からない乱戦に陥ってヒカルのポーンがクイーンに昇格
した。彼のクイーンとナイトのコンビは魔法のように働いて
相手は混乱に陥った。

ヒカル・ナカムラ - Ganzorig Erdene
白の手番

Y060825A.JPG

  44.Rb5!

ヒカルは妨害の手筋で e ポーンを昇格させようとする。
しかし魔法はどちら側にも働く!

  44...f4?

目には目をの 44...Rxc4! がうまい返し技だった。45.e8=Q
(45.Rxb3 Rc7 は黒よし。45.Rxf5 gxf5 46.Nxc4 は恐らく
引き分け。45.Rb8 Rc7 46.e8=Q Bxe8 47.Rxe8 b2
48.Re6+ Kb5 49.Rxg6 Rc2 50.Rg8 Rxd2+ 51.Kxd2 b1=N+!
は収局定石による引き分け。) 45...Re4+! が妙手でこの後
A) 46.Nxe4? は 46...Bxb5+ 47.Ke3 (47.Qxb5+ Kxb5 は
黒勝ちの収局) Bxe8 で白負けだから
B) 46.Qxe4 が絶対で以下 46...Bxb5+ 47.Ke3 fxe4
48.Nxb3 Bc6 49.Nc5+ Kb5 50.Nxe4 で収局定石による
引き分けの局面である。

  45.Nf1

45.e8=Q Re3+ 46.Qxe3 fxe3 47.Rb8! exd2 48.Ra8+ の
方が簡明な勝ち方だった。

  45...Rxc4 46.e8=Q Bxb5 47.Qa8+

Y060825B.JPG

白の勝てる局面であるがそれには黒の頑強な抵抗を
退けなければならない。

  47...Kb6 48.Qd8+ Kc5 49.Qf8+ Kb6 50.Qb8+ Kc5

Y060825C.JPG

  51.Nd2 b2 52.Qe5+ Kc6 53.Qe8+ Kc5 54.Qe5+ Kc6

Y060825D.JPG

  55.Qe6+ Kc5 56.Qxg6! Rc3+ 57.Kf2 Bd3
  58.Qg5+ Kb4 59.Qxf4+ Ka3

Y060825E.JPG

  60.Qd4! Rb3 61.Qa7+ Kb4 62.Qb6+ Bb5
  63.Qd4+! Ka3 64.Qc5+

Y060825F.JPG

  64...Rb4

64...Ka2 と逃げると次のようにクイーンとナイトの強力な
連係プレーが発揮される。即ち 65.Qa7+ (65.Qd5 Ba4
66.Qc4 でも勝ち) Ra3 66.Qf7+ Ka1 67.Qg7 で勝つ。こ
の後は例えば 67...Ka2 68.Qg8+ Ka1 69.Qg1+ Ka2
70.Qb1# で詰みとなる。

  65.Nb1+ Kb3 66.Qc3+ Ka2

66...Ka4 は 67.Qa3# で詰み。

  67.Qxb4 Kxb1 68.Qxb5

Y060825G.JPG

  68...Kc2 69.Qc4+ Kd2 70.Qb3 Kc1 71.Qc3+ Kb1
  72.Ke2 Ka2 73.Qc2 Ka1 74.Qa4+ Kb1 75.Kd3 Kc1
  76.Qc2# 1-0

Y060825H.JPG

******************************

Fritz9 によると最初の局面で 44.Rb5 Rxc4 45.Rxb3 Rc7
の変化後は 46.Re3 で形勢互角のようです。同じく Fritz9
によると 64...Ka2 の変化で 67.Qg7 は 67...Bd3 で白の
明確な勝ち筋はないようで、代わりに 67.Qf8(Qf4 の狙い)
又は 67.Qe7 なら白のはっきりした勝ちのようです。

(この号続く)

2006年08月28日

「ヒカルのチェス」(16)

「Chess Life」1998年4月号(3)

******************************

1997年FIDE世界子供チェス選手権戦

第7回戦

他にメダルが有望なのはヒカルだった。キングズ・インディ
アン防御の黒側のヒカルは機敏な ...e5-e4 によりルーク
と1ポーンと引き換えに役駒2個を得た。しかし少し緩い
指し手のために相手に一瞬駒割りを回復するチャンスを
与えた。相手がそれを見逃した後はヒカルは急にまた自
分を取り戻し優勢を拡大した。最後の締めくくりの手筋は
彼の才能を良く示している。

Marvin Lepan - ヒカル・ナカムラ
黒の手番

Y060828A.JPG

  30...fxe4 31.fxe4 Ng4 32.Re2 Bxe4! 33.a4 Ne3!

Y060828B.JPG

34.Rxe3 は 34...Bf5+ 35.Kg2 Rxe3 である。

  34.Kh2 Bf3 35.Rb2 Ng4+ 白投了

Y060828C.JPG

ヒカルの読み筋は 34.Kh3 Re1 37.Rxg4 Rh1+
38.Rh2 hxg4# であった。

******************************

最後の変化のところは平凡な 37...hxg4+ 38.Kh2 Rh1#
の追い詰めでも同じ手数です。

(この号続く)

2006年08月31日

「ヒカルのチェス」(17)

「Chess Life」1998年4月号(4)

******************************

1997年FIDE世界子供チェス選手権戦

第10回戦

ヒカルはグランプリ攻撃(Grand Prix Attack)の白で戦略
的に完璧なチェスを指した。その極め付けはただ捨ての
24.Nf6+ で、ヒカルによれば前からの読み筋だった。相
手はまんまと読み筋にはまって守勢一方の手(25...Qa3?)
を指した。しかし黒が頑強に抵抗すれば白のただ捨てが
良かったかは分からない。ヒカルにはただ捨てはすごい
手だけれども単に 24.Rxf7! と指していれば危険を冒すこ
となくほどなく黒を詰みに追い込んだはずだと指摘してお
いた。

ヒカル・ナカムラ - Stevan Djukic
白の手番

Y060831A.JPG

  24.Nf6+!?

24.Rxf7 なら文句なく白の勝勢で危なげなく攻めることが
できたであろう。本譜の手はヒカルによれば前々からの
予定の攻めだった。

  24...gxf6 25.Qh6

Y060831B.JPG

  25...Qa3?

易々と白の読み筋にのってしまった。25...Rb2! と反撃す
べきであった。

  26.exf6 Qf8 27.Rg5+ Kh8 28.Rg7 黒投了

Y060831C.JPG

******************************

Fritz9 によれば 25.Qh6 の代わりに 25.e6 で白の勝勢
のようです。同じく変化の 25...Rb2 の後は 26.g3 Rg2+
27.Kh1 Qd2 28.R1f4 Rxh2+ 29.Qxh2 Qxh2+ 30.Kxh2
fxe5 31.dxe5 Re8 で白優勢ですが勝勢とまではいきま
せん(先にナイトをただ捨てしているのがひびいています)。
本譜で 26.exf6 でなく 26.R5f3 ならば簡単に詰み形にな
ります。

米国の11人の選手のうち3人が指し分け8人が勝ち越し
ましたが入賞者は出ませんでした。個別の順位は書い
てありません。3人の選手は自分のトレーナーを同行させ
たそうです(費用は選手持ちだと思います)。

(この号終わり)

2006年09月03日

「ヒカルのチェス」(18)

「Chess Life」1998年5月号(1)

USCF(米国チェス連盟)史上最速でマスター位に到達し
たヒカルの写真が「チェスライフ」誌の表紙を飾りました。

Y060903A.JPG

「Hikaru Nakamura The Youngest Master Ever!」
(ヒカル・ナカムラが最年少でマスターに)

米国における「マスター」はレイティング2200-2399の選
手に該当します。「マスター」は米国の多くのチェス愛好
家の目標となっています。他にも呼称があり次のとおり
です。

2400以上  シニア・マスター (Senior Master)
2200-2399 マスター (Master)
2000-2199 エキスパート (Expert)
1800-1999 Aクラス (Class A)
1600-1799 Bクラス (Class B)
1400-1599 Cクラス (Class C)
1200-1399 Dクラス (Class D)
1000-1199 Eクラス (Class E)
800-999  Fクラス (Class F)
600-799  Gクラス (Class G)
400-599  Hクラス (Class H)
200-399  Iクラス (Class I)
199以下  Jクラス (Class J)

これらは単なる呼称であり認定証(certificate)の類が発
行されるわけではなく、レイティングが下がれば呼称もそ
れに伴い変わります。多くの大会はこのクラスごとに優
勝が争われます。ただし多くの場合上の方は2200以上
のオープン・クラス(GM・IMはここに参加)、一番下は一括
して1400未満のクラスなどに分けられます。

「Spotlight」(スポットライト)のページの「Player of the
Month」(今月の選手)にヒカルが再び採り上げられました。

******************************

今月の選手
ヒカル・ナカムラ

Y060903B.JPG

おやまあ、この子は他にもっと良い時間の過ごし方がな
いのだろうか。彼はまず最年少でIMを破った。そして三ヵ
月後にはさらに二つの記録を打ち立てた。わずか10歳と
79日(1998年2月26日)でマスターのレイティングの 2203
に到達した。それはすぐに下がったが再び 2201 に上が
るまでさほど時間はかからなかった。そして4月5日には
GMを破ってレイティングをさらにアップさせた。これは10
歳の子供の新記録でレイティングは 2250 に達した。

そして現在は...

全国学校選手権の記録を塗り替える良いスタートを切っ
た。これまでに優勝したのは1996年テレ・ホート(Terre
Haute)での小学3年の部、1997年パーシッパニー
(Parsippany)での小学4年の部、それから1997年ノックス
ビル(Knoxville)での小学3年以下選手権である。1997年
ニューヨーク州小学3年以下選手権でも優勝している。

1995年2月からチェスを指し始めたとは思えない見事な
成績である。

母親のキャロリン(Caroline)によるとヒカルがマスターの
地位に到達するまでに四つのことが影響を与えたという。
それは兄のアスカ(Asuka)、父親のスニル・ウィーラマン
トリ(Sunil Weeramantry)、フリッツ4(Fritz4)、そして1995
年米国オープン(U.S. Open)の自由対局室(skittles room)
である。コンコルド(Concord)での米国オープンでは出場
こそしなかったがほとんどの時間を自由対局室で過ごし
た。最初は眺めるだけ、次には少し対局し、しまいには
オスカー・タン(Oscar Tan)や部屋の常連たちとの対局に
没頭した。

ヒカルにとってチェスがすべてではないことをことわってお
こう。好きなチームはヤンキース(Yankees)、レンジャーズ
(Rangers)それにニックス(Knicks)である。それからつい
にはトランペットを習い始めているとのことである。

GMアンディ・ソルティス(Andy Soltis)がよく言っているよ
うに「4フット(約120センチ)に満たないからといって見くび
ってはいけない。」以下の2局はそのことを痛感させる。

シチリア防御(Sicilian Defense) [B22]
白 IMアレグザンダー・ストリプンスキー(Alexander Stripunsky)
黒 ヒカル・ナカムラ(2203)
マーシャル・チェスクラブ(Marshall Chess Club)、1998年

  1.e4 c5 2.Nf3 e6 3.c3 d5 4.exd5 exd5 5.d4 Nc6 6.Be3

Y060903C.JPG

  6...cxd4 7.Nxd4 Nf6 8.Be2 Be7 9.O-O O-O
  10.Nd2 Be6 11.N2b3

Y060903D.JPG

出だしはシチリア防御(Sicilian Defense)だったがフラン
ス防御(French Defense)のタラシュ(Tarrasch)に移行し
た。黒の象徴は孤立 d ポーンである。

  11...Qd7 12.Re1 Rfd8 13.Nxe6 fxe6 14.Bg5 e5

Y060903E.JPG

白の双ビショップに対し黒は堂々たるポーン・センターで
対抗している。

  15.Bf1 h6 16.Bh4 a6 17.Qc2 Rac8 18.Rad1 b5 19.Qg6

Y060903F.JPG

  19...Qe6 20.Rd3 Qf7 21.Qf5 Nh7 22.Qxf7+ Kxf7
  23.Bxe7 Kxe7 24.Nc5

Y060903G.JPG

  24...Ra8 25.h4 Nf6 26.f3 g5 27.hxg5 hxg5 28.Rde3

Y060903H.JPG

  28...Re8 29.b4 Kd6 30.Rd1 a5 31.Bxb5 axb4
  32.cxb4 Rxa2

Y060903I.JPG

  33.Rc3?

30分打ち切りの持ち時間の影響が現われてきた。IMは
ここまで少年を相手にうまく指し回してきたが 33.Nb7+
Kc7 (33...Kd7 は 34.Rc1 が受からない) 34.Rc3 Re6
35.Na5 なら強烈な釘付けで決まっていた。

  33...Nd4 34.Nb7+ Ke6

Y060903J.JPG

  35.Rxd4

黒に 35...Ne2+ 36.Kf1 Nxc3 があるので白は 35.Bxe8
で交換得することはできない。

  35...exd4 36.Rc6+ Ke5

Y060903K.JPG

  37.Nc5

37.Rxf6 Kxf6 38.Bxe8 といったんは駒得しても 38...d3
があって白は駒を切らざるを得なくなる。

  37...Re7 38.Nd3+ Kf5 39.Nc1

Y060903L.JPG

ヒカルはこの手に乗じて決めに出る。しかし所詮白が黒
の殺到に備えるすべはなかった。

  39...Re1+ 40.Kh2 Ra1 41.Ne2 Rh1+ 42.Kg3 Nh5+
  43.Kf2 Raf1#

Y060903M.JPG

******************************

(この号続く)

2006年09月06日

「ヒカルのチェス」(19)

「Chess Life」1998年5月号(2)

「今月の選手 ヒカル・ナカムラ」の続きで、ヒカルがGM
相手に黒番で快勝した棋譜です。解説はついていません。

******************************

グランド・マスターをこてんぱんにやっつけてみたいと思っ
たことはないだろうか?ヒカルがそれをやってのけた。

キングズ・インディアン防御(King's Indian Defense) [E70]
白 GMアーサー・ビズガイア(Arthur Bisguier)
黒 ヒカル・ナカムラ(2201)
サマセット ACN 快速スイス(Somerset ACN Action Swiss)、
1998年

  1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.Bg5

Y060906A.JPG

  5...O-O 6.f4 c5 7.d5

Y060906B.JPG

  7...b5 8.cxb5 a6 9.bxa6 Bxa6 10.Bxa6 Nxa6 11.Nf3

Y060906C.JPG

  11...Qb6 12.Rb1 c4 13.Qe2 Rfc8 14.Qf2

Y060906D.JPG

  14...Nc5! 15.O-O Ng4 16.Qe2

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  16...Nxe4+ 17.Kh1 Ngf2+ 18.Kg1 Nh3+ 19.Kh1

Y060906F.JPG

  19...Nef2+ 20.Rxf2 Nxf2+ 21.Kg1 Ne4+ 白投了

Y060906G.JPG

******************************

投了後は 22.Kf1 Nxc3 の両取りで b1 のルークが浮い
ているので 23.bxc3 と取り返すことができず収拾不能で
す。まさにGMを手玉に取った感じの勝利です。Fritz9 に
よると 14.Qf2 が敗着で 14.Bxf6 とナイトを取っておくとこ
ろでした。

******************************

1997年11月28-30日ペンシルベニア州フィラデルフィア
で開催された全国チェス大会(National Chess Congress)
の2000未満の部でヒカル・ナカムラが4.5ポイントで5-9
位に入賞しました。

1998年2月14-16日ニュージャージー州パーシッパニー
(Parsippany)で開催された米国アマチュア団体戦東部地
区(U.S. Amateur Team East)でアスカ・ナカムラの所属
する遅延時間ミュージカル(Lagtime-Musical)が2100未
満の部で優勝しました。

******************************

(この号終わり)

2006年09月09日

「ヒカルのチェス」(20)

「Chess Life」1998年6月号

1998年3月14日から22日にかけて開催されたニューヨー
ク・オープン(9回戦)のセクションⅢ(2200未満)でヒカル・
ナカムラが5.5ポイントで40-47位になりました。

「Chess Life」1998年7月号

5月10-16日にブラジル南部海岸沖の島にあるフロリアノ
ポリス(Florianopolis)で開催された汎アメリカ少年少女大
会(Pan American Youth Tournament)にアスカ・ナカム
ラが米国チーム10人の一員として参加しました。次の写
真の左端がアスカです。眼鏡をかけています。

Y060909A.JPG

大会は18歳未満から2歳刻みで10歳未満までの男女別
の計10部門で行われました。アスカは12歳未満男子の
部に出場しました。

******************************

スニル・ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)と息子のア
スカ・ナカムラは子供のチェスの大会では非常に経験が
豊富である。本大会でアスカは同点判定の差で銅メダル
に届かなかった。第4回戦の本局はアスカの最優秀局で
ある。

スコットランド試合(Scotch Game) [C47]
白 アスカ・ナカムラ (米国)
黒 Diego Pretto (ブラジル)
1998年汎アメリカ少年少女大会

  1.e4 e5 2.Nf3 Nf6 3.Nc3

Y060909B.JPG

相手をペトロフ(Petroff)から得意のスコットランド試合に
引きずり込もうという手である。

  3...Nc6 4.d4 exd4 5.Nxd4 Bb4

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  6.Nxc6 bxc6 7.Bd3 d5 8.exd5 cxd5

Y060909D.JPG

試合前にスニル、アスカと一緒に研究したがその時の
作戦どおりに進んでいる。

  9.O-O O-O 10.Bg5 Bxc3?!

Y060909E.JPG

この手は最強の手ではない。白は双ビショップとコンパ
クトなポーンの陣形で有利である。黒の最善手は 10...c6
で、白は 11.Na4 から c2-c3、Bc2 の狙いで指すことに
なる。これは大局的および戦術的な構想を含んでいる。

  11.bxc3 h6 12.Bh4 Qd6 13.Qf3 Bg4 14.Qg3!

Y060909F.JPG

良い感覚をしている。収局は白にとって非常に有利である。

  14...Qxg3 15.Bxg3 c6 16.f3!

Y060909G.JPG

  16...Bd7

ナイトを d7 に引けるように 16...Be6 と引く方が良い。

  17.Ba6 Bc8 18.Bd3 Be6 19.Rab1! Rfd8 20.Rb7 Rd7

Y060909H.JPG

  21.Rfb1 Kf8 22.Rxd7 Bxd7 23.Bd6+ Ke8
  24.Ba6! Bc8 25.Bxc8 Rxc8

Y060909I.JPG

  26.Rb7!

好局にふさわしく締めくくりも見事である。

  26...Rd8 27.Bc5 Rd7 28.Rxa7! Rxa7 29.Bxa7 Ke7

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  30.Kf2 Kd6 31.Bd4 Ne8 32.Ke2 c5 33.Be3 Nc7

Y060909K.JPG

  34.Bf4+ Kc6 35.Bxc7 Kxc7 36.Kd3 Kd6 37.c4 黒投了

Y060909L.JPG

黒の敗着を指摘するのは難しい。それにしてもアスカは
良く指した。5-2 という結果は立派である。アスカと彼の
弟の将来は前途洋々である。

******************************

掲載されている棋譜では 30...Kd7 となっていましたが、
それだと 32...c5 とポーンを突いた時に 33.Bxc5 とただ
取りになるので誤記と判断して 30...Kd6 としておきました。

(この号終わり)

2006年09月12日

「ヒカルのチェス」(21)

「Chess Life」1998年8月号

1998年5月22日から25日にかけて開催されたシカゴ・
オープン(7回戦)のオープン部門でヒカル・ナカムラが
4ポイントで2400未満の選手中の4-10位に入賞しま
した。

「Chess Life」1998年9月号

1998年5月8日から10日にかけてロスアンゼルスで開催
された全米中学生選手権(7回戦)でアスカが中学2年以
下の部門で5.5ポイントで10-25位に入賞しました。

Y060912A.JPG

同日同所の全米小学生選手権でヒカルが小学5年以下
の部門で6.5ポイントで1-3位に入賞しました。

Y060912B.JPG

1998年5月30日ニュージャージー州ニューアーク
(Newark)で開催された米国チェサソン(チェス・マラソンの
意味の造語)にヒカル、兄のアスカ、父のスニル・ウィー
ラマントリが「Exhibitor」(無償の指導対局者)として
参加しました。

Y060912C.JPG

「NM」は「国内マスター」(National Master)のことです。

Y060912D.JPG

Hikaru (above) and
Asuka Nakamura were
among those who
donated their time to
be exhibiters.
(ヒカル(上)及びアスカ・ナカムラも指導対局者として奉仕
活動を行なった。)

2006年09月15日

「ヒカルのチェス」(22)

「Chess Life」1998年11月号

1998年8月1日から9日にかけてハワイ島コナで開催され
たカルドーサ米国オープン(Cardoza U.S. Open)・9回戦
のオープン部門でヒカル・ナカムラが4ポイントで全体の
12-29位、2300未満の選手中の1-7位に入賞し、さらに
最終4回戦で4連勝した選手に贈られるボーナス賞も獲
得しました。団体戦ではヒカル、兄のアスカ、父のスニ
ル・ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)を含む6人編成
のナッソー・チェスクラブ(Nassau Chess Club)が34.5ポイ
ントで3位に入賞しました。

「Chess Life」1998年12月号(1)

ヒカルの兄のアスカがアスピス賞を受賞しました。

******************************

アスカ・ナカムラが1998年アスピス賞を受賞

Y060915A.JPG

12歳でエキスパート(Expert)のレイティングを持つアスカ・
ナカムラがチェスでの傑出した活躍に対して贈られる栄
えあるローラ・アスピス(Laura E. Aspis)賞を受賞した。
アスピス賞は「学校にチェスを(Chess-in-the-Schools)」
(以前の「米国チェス基金(American Chess Foundation)」)
によって毎年贈られ、米国の若いチェス選手に与えられる
最高の名誉とみなされている。

今回の受賞者は1986年2月4日に日本の大阪府枚方市
で生まれた。4歳の時に米国に移住し5歳からチェスを
始めてロバート・スナイダー(Robert Snyder)から手ほど
きを受けた。現在は父のFMスニル・ウィーラマントリ(Sunil
Weeramantry)と一緒にチェスを学んでいる。

アスカは1992年にテネシー州ノックスビル(Knoxville)で
の全米選手権の幼稚園の部で初優勝した。それ以来国
内の選手権で7回優勝している。彼は全米学年別選手
権で5年間の大会で30勝無引き分け無敗という比類ない
記録を打ち立てている。彼は国際大会でも米国の代表と
なって1996年スペインでの世界少年少女選手権(10歳
以下少年の部)、1998年ブラジルでの汎アメリカ選手権
(12歳以下少年の部)に出場した。プレスマン(Pressman)
全米チームには3回メンバーとなっている。

チェス以外ではアスカは全てのスポーツ、特にバスケット
ボールが好きである。音楽ではバイオリンとトロンボーン
を演奏している。またコンピュータも大好きである。ニュー
ヨークのホワイト・プレーンズ(White Plains)の中学校の
1年生で、両親のスニル(Sunil)およびキャロリン・ウィー
ラマントリ(Carolyn Weeramantry)それに同じくチェスを
指す弟のヒカルと一緒に暮らしている。

アスピス賞は1998年で19年目になる。この賞は前年の
12月31日現在で13歳未満の最高のレイティングの米国
チェス選手に贈られている。

この賞はオハイオ州クリーブランド(Cleveland)サミュエル・
アスピス(Samuel L. Aspis)博士の寛大な支援の元に、
彼の妻のローラ(Laura)を追悼して贈られている。アスカ
はアスピス杯と賞金1,500ドルを授与されることになって
いる。

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(この号続く)

2006年09月18日

「ヒカルのチェス」(23)

「Chess Life」1998年12月号(2)

9月4-7日にニューヨーク州東部のサラトガ・スプリングズ
(Saratoga Springs)で開催されたニューヨーク州選手権
戦(NY State Championship)・6回戦でヒカル(10歳)が
4.5ポイントで選手権(オープン)部門の同点4位(3人)に
入賞し53ドルを獲得しました。快速選手権(NY State
Action Championship)・5回戦でアスカ(12歳)が3.5ポイ
ントで同点3位(2人)に入賞し50ドルを獲得しました。この
大会でのヒカルの試合の棋譜が解説なしで掲載されて
います。

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シチリア防御(Sicilian Defense) [B20]
白 Gary Farrel (2096)
黒 ヒカル・ナカムラ (2227)
ニューヨーク州選手権戦、1998年

  1.g3 g6 2.f4 Bg7 3.Bg2 d6 4.e4 c5 5.d3

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  5...Nc6 6.Nf3 e5 7.c3 Nge7 8.Be3 h6 9.fxe5 Nxe5
  10.Nxe5

Y060918B.JPG

  10...Bxe5 11.d4 cxd4 12.cxd4 Bg7 13.Qd2 d5
  14.exd5 Nxd5 15.Nc3

Y060918C.JPG

  15...Be6 16.Nxd5 Bxd5 17.O-O O-O 18.Bxd5 Qxd5
  19.Bxh6 Qxd4+ 20.Qxd4

Y060918D.JPG

  20...Bxd4+ 21.Kg2 Rfe8 22.Kf3 Rac8 23.Rac1 Bxb2
  24.Rxc8 Rxc8 25.Rf2

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  25...Ba3 26.Ke4 b5 27.Bg5 a5 28.Bf6 b4 29.Rd2 Bc1
  30.Rd8+

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  30...Rxd8 31.Bxd8 a4 32.Kd3 Kf8 33.Kc4 b3
  34.axb3 Ke8 35.Bb6

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  35...axb3 36.Kxb3 Ke7 37.Kc4 Kf6 38.Kd3 Kf5
  39.h3 Ba3 40.Bc7

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  40...Bc5 41.g4+ Kg5 42.Bg3 Ba3 43.Ke4 Bc1
  44.Kf3 Bb2 45.Ke4

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  45...Bc3 46.Kf3 f6 47.Bf2 Kh6 48.Be3+ Kg7
  49.Bf2 Kf7 50.Ke4

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  50...Ke6 51.Bg3 Bb2 52.Bf2 Be5 53.Be1 Kd6
  54.Bb4+ Ke6 55.Be1

Y060918K.JPG

  55...Bb2 56.Bg3 Bc1 57.Bf2 f5+ 58.gxf5+ gxf5+
  59.Kf3 Kf6 60.Be3

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  60...Bb2 61.Bd2 Kg6 62.Be3 Be5 63.Bf4 Bg7
  64.Be3 Bf8 65.Bd2

Y060918M.JPG

  65...Bd6 66.Bf4 Bb4 67.Be3 Bc3 68.Bc1 Kh5
  69.Kf4 Kg6 70.Be3

Y060918N.JPG

  70...Bf6 71.Kf3 Bh4 72.Bf4 Kh5 73.Be3 Bf6 引き分け

Y060918O.JPG

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42手目の局面は明らかな引き分けです。白黒ともキング
とポーンを白枡に置いたままにしビショップは交換を挑ま
れても応じないで適当に動かしていればお互いどうしよう
もありません。なぜ延々と指し続けたのか分かりませんし、
棋譜を掲載するにしても途中からは省略してしかるべき
ものです。

1998年のレイティング一覧が掲載されています。ヒカル
は2237、アスカは2122、ウィーラマントリは2200でした。

(この号終わり)

2007年07月07日

「ヒカルのチェス」(24)

「Chess Life」1999年1月号

1998年10月25日から11月6までスペインの地中海側のオロペサ・デル・マール(Oropesa del Mar)で開催された1998年世界少年少女選手権戦(1998 World Youth Championships)・11回戦にヒカルが米国チームの一員として参加しました。18歳未満から2歳刻みで10歳未満まで男女別で、計10部門に分かれています。ヒカルは12歳未満男子に出場し、5.5ポイントで92人中54位でした。下の写真の最前列左端がヒカルです。

Y070707A.JPG

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我々の12歳未満男子の部の代表は急速に有名になったヒカル・ナカムラである。彼はニューヨーク市に住んでいて米国の史上最年少でマスターになった。彼の検討の様子を見ていればその理由がすぐに分かる。いつものように彼はコーチで父親のスニル・ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)に付き添われて来た。父親は米国で最も敬愛され成果を挙げているチェス教師の一人である。この二人はずっと常勝のコンビだったが本大会では例外のない規則はないという警句のとおりになった。私が同行した大会でこの大会がヒカルが期待はずれに終わった初めての大会だった。もっとも彼の成績はまあまあで幾つかの好局も残した。いつかきっとこの大会で入賞を果たすと予言しても差し支えないだろう。

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「1998年早指しレイティング名簿」(1998 Quick Rating List)が発表されています。アスカは 1799、ヒカルは 1796、彼らの父親のスニル・ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)は 2298 でした。

また年齢別のレイティング上位3人が発表されています。アスカが 11-12 歳の部で 2122 で2位、ヒカルが 9-10 歳の部で 2237 で1位でした。特にヒカルの場合は2位が 1850 ですから段違いの強さであることが分かります。アスカの部門の1位が 2190 ですがそれをも上回っています。

(この号終わり)

2007年07月13日

「ヒカルのチェス」(25)

「Chess Life」1999年2月号

 1998年11月14日から11月18までパリ郊外のユーロディズニーランドのテーマパークで開催された14歳未満の少年少女の第5回世界子供快速チェス選手権戦(World Rapid Chess Championship for Kids)にアスカ・ナカムラが米国チームの一員として参加しました。全部で55ヶ国から157名の選手が3日間9回戦を戦いました。14歳未満、12歳未満の男女別4部門で戦われ、持ち時間は25分打ち切りです。アスカは米国選手中最高の成績で、12歳未満男子の部で6.5ポイントで45人中単独4位で、惜しくも入賞(3位まで)を逃がしました。アスカの感想が載っています。

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 アスカ・ナカムラも結果に満足していた。「米国の代表としてディズニーに来られて誇りに思っています。2年前にも世界少年少女選手権戦(World Youth Championship)に米国の代表として出場していて、今年は経験が少し豊富でした。とても嬉しくやりがいがありました。」

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 大会に参加した子供たちが一同に会しているのが下の写真です。紙幅の関係で写真を小さくしてあるので分かり難いですが左上隅で茶系統のオーバーを着ているのが渡井さんです。

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 左上隅を切り出したのが下の写真です。

Y070713B.JPG

 米国チームが写っているのが下の写真です。左から二人目の白い帽子をかぶっているのがアスカで、そのアスカとミッキーマウスの間にいるのがカルポフです。
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 アスカの棋譜が解説なしで掲載されています。

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 アスカは手順組替え策で対戦相手のロシア少年を惑わせた。

カロ・カン防御(Caro-Kann Defense) [B14]
パノフ・ボトビニク戦法(Panov-Botvinnik Variation)
白 アスカ・ナカムラ(米国)
黒 Pavel Anisimov(ロシア)
パリ、1998年

1.e4 c5 2.c3 g6 3.d4 cxd4 4.cxd4 d5

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5.exd5 Nf6 6.Nc3 Nxd5 7.Bb5+ Bd7 8.Qa4 Nb6

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9.Qb3 Nc6 10.Nge2 Bg7 11.Be3 O-O 12.O-O a6

Y070713F.JPG

13.Bxc6 Bxc6 14.Rad1 Nd5 15.Nxd5 Bxd5 16.Qa3 Bc4

Y070713G.JPG

17.Rfe1 Rc8 18.Nc3 Qd7 19.Bg5 Rfe8? 20.Rxe7 Rxe7

Y070713H.JPG

21.Qxe7 Qc6 22.d5 Qb6 23.d6 f6 24.d7 Rd8

Y070713I.JPG

25.Qe8+ Bf8 26.Bh6 Bf7 27.Qxf8+! Rxf8 28.Bxf8 Qd8 29.Be7 黒投了

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 黒は 19...e6 と受けなければいけませんでした。22.d5 で白の勝勢になりました。

 出だしはシチリア防御でしたが直ぐにカロ・カン防御に移行しました。白の 2.c3 に対する黒の応手で最も多いのは 2...Nf6 で、他には 2...d5 があります。2...g6 もある手で、この戦法を黒の立場から14ページを費やして解説しているのが次の本です。

「Chess Openings for Black, Explained」Lev Alburt 他著、CIRC 発行、552 ページ

 同書によるとカロ・カン防御の出だしは

1.e4 c6 2.d4 d5 3.exd5 cxd5 4.c4 Nf6 5.Nc3 g6

です。ここで白の最有力手は 6.Qb3 ですが本譜は 6.cxd5 Nf6 と指した理屈になっています。そこにこの戦法における黒の主張があるわけです。

 だから本文では白がこの戦法に誘導したように書かれていますが本当は黒が白の思惑をはずして自分の領分に引きずり込んだと言うべきでしょう。

 日本からもこの大会に参加していて「CHESS通信」822-824ページに「第5回ディズニー世界子供快速チェス選手権」という報告記事があり、次のような文で始まっています。

 『世界45ヶ国157名の子供たちが集い、第5回ディズニー世界子供快速チェス選手権が10月14-18日、パリ・ディズニーランドで華やかに開催されました。』

 参加国数と開催月が「Chess Life」と異なっています。ちなみに「CHESS通信」824ページに次のような記述があります。

『11月は都立高校の内申の決まるテストがあり、大会はその1週間前という日程でした。』

 この文からするとこの大会が開催されたのは11月と考えられます。自分が付き添って行ったのにどうして日付を間違えるのでしょうか?多分参加国数も「CHESS通信」の方が間違っているのでしょう。

(この号終わり)

2007年07月20日

「ヒカルのチェス」(26)

「Chess Life」1999年4月号

年鑑(1999 USCF Yearbook)のページに1998年の諸記録が掲載されています。

学年別選手権(NATIONAL SCHOLASTIC K-12 GRADE CHAMPIONSHIPS)でヒカルが5年生、アスカが7年生の優勝者に名前が挙がっています。5年生ではヒカルと並んで南條くんの名前も挙がっています。

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16歳未満のレイティング25傑(TOP 25 UNDER 16)の9位にヒカル、20位にアスカの名前が挙がっています。13歳未満のレイティング25傑(TOP 25 UNDER 13)の1位にヒカル、3位にアスカの名前が挙がっています。

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(この号終わり)

2007年07月27日

「ヒカルのチェス」(27)

「Chess Life」1999年7月号

1998年全米学年別選手権の全結果が掲載されています。5年生の部で南條くんとヒカルが同点優勝、7年生(日本の中学1年生)の部でアスカが優勝しました。前回の「年鑑」の記録と同一内容です。いつもは大会の模様も文章で報告されるのですが今回は2/3ページの分量で結果の報告だけでした。

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(この号終わり)

2007年08月03日

「ヒカルのチェス」(28)

「Chess Life」1999年8月号

1999年全国中学選手権が5月7日から9日までオハイオ州コロンブスで開催されました。ヒカルは182人が参加したK-9(中学3年生以下)選手権で6.5ポイントで優勝しました。ヒカルはまだ小学生ですが同年代では強すぎるためにK-9に出場したようです。アスカは333人が参加したK-8(中学2年生以下)選手権で6.5ポイントで1-4位に入賞しました。(K-7はありません。)

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1999年全国小学生選手権が5月14日から16日までアリゾナ州フェニックスで開催され、南條くんがK-5(小学5年生以下)選手権で20-25位に入賞しています。

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(この号終わり)

2007年08月09日

「ヒカルのチェス」(29)

「Chess Life」1999年10月号

1999年6月30日から7月5日にかけて第27回ワールドオープンがフィラデルフィア市で開催されました。ヒカルはオープン部門でレイティング2350未満の選手中で5.5ポイントで1-7位に入賞しました。

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1999年7月22日から25日にかけてテネシー州ナッシュビルで16歳未満のレイティング上位選手を選抜した米国新鋭選手権(The U.S. Cadet Championship)が開催されました。ヒカルの最終第7局が最優秀棋譜に選ばれました。

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シチリア防御 [B80]
白 ヒカル・ナカムラ (2351)
黒 Daniel Fernandez (2290)
1999年米国新鋭選手権

自戦解説 ヒカル・ナカムラ

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 a6

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シチリア防御のナイドルフ戦法は非常に人気がある。

6.Be3 e6

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この手で戦型はスヘフェニンゲン(Scheveningen)戦法に移行した。

7.f3 b5 8.Qd2 Nbd7 9.O-O-O Bb7 10.g4 h6 11.h4 b4 12.Nb1

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ナイトが e2 又は a4 に逃げる手もある。本譜の手はGMアナンドが最近用いた手である。

12...d5 13.Bh3 dxe4

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黒はこの手が悪かった。センターを開放すると白の攻撃がきつくなる。正着は 13...g5 である。

14.g5 Nd5 15.g6

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この手で黒キングの周囲のポーンがばらばらになる。

15...Nc5 16.gxf7+ Kxf7 17.fxe4 Nxe3 18.Qxe3 Qb6

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黒はルークの筋を避けるためにクイーンをd筋からどけなければならない。

19.Nxe6 Be7 20.Rhf1+ Kg8 21.Nxc5 Qxc5 22.Qb3+

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黒キングの周りの白枡はもはや防ぎようがない。

22...Kh7 23.Bf5+ 黒投了

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(この号終わり)

2007年08月17日

「ヒカルのチェス」(30)

「Chess Life」1999年11月号

第100回米国オープン選手権(100th U.S. Open Championship)が1999年8月10日から19日までネバダ州レノ(Reno)で開催されました。オープン部門に参加した11歳のヒカル(レイティング2289)は6.5ポイントでレイティング2200-2299選手群の1位になり賞金2,000ドルを獲得しました。4人のGMと当たり最終局ではアルゼンチンのGM Alejandro Hoffman を倒しました。

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(この号終わり)

2007年08月24日

「ヒカルのチェス」(31)

「Chess Life」1999年12月号

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アスピス(Aspis)賞

 ヒカル・ナカムラが第20回ローラ・アスピス(Laura E. Aspis)賞を受賞した。この賞は毎年チェスでの業績をあげた選手に「学校にチェスを」(Chess-in-the-Schools)によっておくられる。

 ヒカルは1987年12月9日に日本の大阪府枚方市で生まれた。2歳の時に米国に移住し7歳でチェスを始めた。彼と兄のアスカは両親のスニル(Sunil)及びキャロリン(Carolyn)・ウィーラマントリ(Weeramantry)と一緒にニューヨーク市ホワイトプレーンズ(White Plains)に住んでいる。スニルはFIDEマスターの称号を持ちチェスのコーチとして著名である。アスカは1998年度のアスピス賞を受賞している。

 ヒカルは1998年に10歳2ヶ月でマスターになり国内最年少記録を打ち立てた。彼は国内選手権で6回優勝し、最も最近は1999年の中学選手権でK-9(中学3年以下)で優勝した。現在のレイティングは2359で、全米チームの選手に3年連続して選ばれている。今年は世界青年選手権(World Youth Championships)に3度目の出場を果たす。

 アスピス賞は13歳未満で最高のレイティングの米国選手に毎年おくられている。

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 1999年度レイティング一覧(1999 Annual Rating List)が掲載されていてヒカルは2346、アスカは2126でした。快速チェスのレイティング(1999 Quick Rating List)にはヒカルだけが載っていて1852でした。

(この号終わり)

2007年08月31日

「ヒカルのチェス」(32)

「Chess Life」2000年1月号(1/2)
ヒカルがマンハッタン・チェスクラブ選手権に参加し3ポイントで9-16位に入賞しました。

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・・・エルギンディは第4回戦で天才少年のヒカル・ナカムラに勝って0.5ポイント差で首位を走っていた。・・・

若者の活躍

・・・11歳のヒカル・ナカムラも好成績をあげた。前半ではマーシャル・チェスクラブの現チャンピオンで14歳のドミトリ・シュナイダー(彼もまた将来のスターである)を鮮やかに破ってリーダーに加わった。ヒカルは2300以下の選手の中で唯一勝ち越して賞金を獲得した。

最優秀試合賞

ナカムラのマリアン・ワックスマン戦での見事な勝利はこの選手権戦において一番の攻めの傑作だった。極め付きはクイーンのただ捨てでまさに「青天の霹靂」だった。ただ棋譜を並べていたら棋譜の誤りと思ってしまいかねない。この試合でのよどみなく鮮烈な指し方に対してヒカルにピンカス(Pinkus)最優秀試合賞が贈られた。おめでとうヒカル!!

スコットランド試合 [C45]
白 ヒカル・ナカムラ (2289)
黒 Marian Waxman (2100)
マンハッタン・チェスクラブ選手権 1999年

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.d4 exd4 4.Nxd4

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4...Bc5

黒の他の手は 4...Nf6 5.Nxc6 bxc6 6.e5 Qe7 7.Qe2 Nd5 8.c4 Ba6 であるが白の方が成績が良い。いずれにせよ激しい戦いになり易い。

5.Be3

5.Nxc6 Qf6! 6.Qd2 dxc6 7.Nc3 Be6 は黒の駒の働きが良い。

5...Qf6 6.c3 Nge7 7.Bc4 O-O 8.O-O Ne5 9.Be2 d6 10.f4

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10...N5g6

これが黒のつまづきの元だった。白にポーンを f4-f5 と突かれると g6 のナイトが当たりになる。10...N5c6 11.b4 Bb6 12.Na3 Nxd4 13.cxd4 Nc6 14.Nc2 が手堅い最善の応接だった。

11.b4 Bb6 12.Na3 Nc6 13.Nc4 Bxd4

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黒は所詮 b6 のビショップを取られるのでセンターでの活動を狙ってこのビショップを切った。

14.cxd4 Qe7?

この手が契機で黒は盤端に押し込められた。14...Nxb4 15.f5! は白の面白い形勢だが 14...d5 15.e5 Qe7 16.Nd2 Nh4!? ならばまだ十分戦えた。

15.b5 Nd8 16.f5 Nh8

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このあたりの展開は黒が不本意である。

17.Bd3 f6 18.Rf3 g6 19.Bh6 Re8

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20.Ne3!

黒はさらに譲歩を強いられる。

20...c6 21.bxc6 bxc6 22.fxg6 hxg6 23.Rc1 Kh7 24.Bf4 Nhf7 25.Rg3

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g6 の地点に兵力を集中させると共に e4-e5 突きを狙っている。

25...Rh8

この手は黒の妙手により頓挫するが 25...Rg8 でも 26.e5! で良くない。

26.Qh5+!!

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黒キングは g 筋の煙突にはまる。

26...Kg8

26...gxh5 とクイーンを取ると 27.e5+ f5 28.Nxf5 で詰まされる。

27.Qxg6+ Kf8 28.d5 c5 29.Qg7+ Ke8 30.Bb5+ Bd7 31.Nf5 黒投了

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黒は序盤での不用意な一着で苦境に陥った。ヒカルは黒に息つく暇も与えず攻め切った。

・・・

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(この号続く)

2007年09月07日

「ヒカルのチェス」(33)

「Chess Life」2000年1月号

1999年10月23日から11月6日にかけてスペイン東海岸のオロペサ・デル・マル(Oropesa del Mar)で世界青少年祭典(World Youth Festival)が開催されました。米国チームの一員として12歳未満少年(Boys Under-12)の部に出場したヒカルは7ポイントで13位になり入賞はなりませんでした。

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スコットランド試合 [C45]
白 ヒカル・ナカムラ(米国)
黒 Evgeny Romanov (ロシア)
世界青少年祭典、オロペサ・デル・マル 1999年

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.d4 exd4 4.Nxd4 Bc5 5.Be3 Qf6 6.Nxc6

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この手は父のスニル・ウィーラマントリ(Sunil Weeramantry)とヒカルの研究の所産である。しかし問題がないわけではない。

6...Bxe3 7.fxe3 dxc6 8.Qd4

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8...Qg6

この手でも良いがGMジョエル・ベンジャミン(Joel Benjamin)の推奨する 8...Qg5 の方が良さそうである。

9.Nc3 Bd7?!

単に 9...Ne7 なら別に悪くない。

10.O-O-O

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10...O-O-O??

10...Be6 の一手だった。

11.Qxa7 黒投了

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Fritz9 によれば黒の 6...Bxe3 で 6...Qxb2 は 7.Bxc5 Qxa1 8.Bd4 Qxa2 9.Bxg7 で白の勝勢です。同じくFritz9 によれば黒の 7...dxc6 で 7...Qxb2 なら 8.Qd4 Qc1+ 9.Kf2 Qxc2+ で黒が悪くないようです。白がチェックを防いだ後 10...Qxc6 と駒を取り返し 11.Qxg7 には 11...Qf6 で全部守れます。

(この号終わり)

2007年09月14日

「ヒカルのチェス」(34)

「Chess Life」2000年3月号

1999年12月10日から12日までケンタッキー州ルイビルで全国学年別選手権戦(1999 National Scholastic K-12 Grade Championships)が開催されました。アスカは8年生(日本の中学2年生)の個人戦部門で同点優勝しました。ヒカルの名前が見当たりませんでしたが強すぎて勇退したのかもしれません。

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1999年12月26日から29日まで首都ワシントンでイースタン・オープン(Eastern Open)が開催されました。本文でアスカ・ヒカル兄弟と父のスニル・ウィラマントリが参加したことが書かれているだけです。特に入賞などの活躍がなかったのかもしれません。

(この号終わり)

2007年09月21日

「ヒカルのチェス」(35)

「Chess Life」2000年6月号

2000年3月16日から20日にかけてラスベガスで「National Open Chess Festival」が開催されました。17日から19日のオープン部門(6回戦)に出場した12歳のヒカル(2346)は 4.5 ポイントで 14-28 位に入賞しました。GM クドリン(Kudrin)に勝ち、負けたのは対 GM ベセーラ(Beceera)戦だけで、最終戦は不戦引き分けでした。

3月16日には14人を相手に同時試合を行い14勝7引き分けでした。

同じ日に同じ相手と白黒2局指す7回戦(全14局)のブリッツ大会が開催されました。オープン部門は50人が参加しヒカルは 11-3 で GM ヤーン・エールベスト(Jaan Ehlvest)と優勝を分け合い400ドルを獲得しました。

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国内マスターのナカムラは素晴らしい闘争心を見せつけ GM エールベストと共に優勝した。ヒカルは最終戦で GM ダルメン・サドバカソフ(Darmen Sadvakasov 2521)と対戦し白黒とも勝った。次の試合は完璧な戦略的指し回しの模範である。

シチリア防御 [B41]
白 ヒカル・ナカムラ(2346)
黒 IM ニコライ・アンドリアノフ (Nikolai Andrianov)
全国オープン2000 ブリッツ選手権

1.e4 c5 2.Nf3 a6 3.c4 d6 4.d4 cxd4 5.Nxd4 Nf6 6.Nc3 e6

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7.Be3 Be7 8.Be2 Qc7 9.O-O b6 10.f4 Bb7 11.Bf3 Nbd7 12.Rc1 O-O

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13.g4 Nc5 14.Qc2 e5 15.Nf5 g6 16.Nxe7+ Qxe7 17.f5

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17...Nfd7? 18.b4 gxf5 19.gxf5 Kh8 20.bxc5 Rg8+ 21.Kh1 bxc5 22.Rg1 Qh4

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23.Qf2 Qh3 24.Rg3 Rxg3 25.Qxg3 Qxg3 26.hxg3 Bc6 27.g4 h5 28.g5 Kg7

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29.Rb1 Rc8 30.Nd5 Bxd5 31.exd5 f6 32.g6 Re8 33.Be4 Rf8 34.Rb7 Rd8

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35.Kg2 h4 36.Kh3 a5 37.a4 Kf8 38.Kxh4 Ke7 39.Kh3 Rh8+ 40.Kg3 Rh5 41.Rxd7+ Kxd7 42.g7 黒投了

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シチリア防御に詳しくない人のために説明すると黒の2手目の 2...a6 はオーケリー(O'Kelly)防御という戦型です。白が普通に 3.d4 と指すと 3...cxd4 4.Nxd4 e5 でナイトが b5 に来るのをあらかじめ防いでいます。白の 3.c4 は最も普通の応手です。

(この号終わり)

2007年10月05日

「ヒカルのチェス」(36)

「Chess Life」2000年9月号

2000年5月12日から14日にかけてテキサス州グレープバイン(Grapevine)で全国小学生選手権(National Elementary Championship)が開催されました。

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K-6(小学6年生)選手権ではニューヨーク州ホワイトプレーンズ(White Plains)のヒカル・ナカムラ(レイティング2313)が7ポイントで優勝した。これによりダラス市にあるテキサス大学への4年間の学費と奨学金の権利を獲得した。この奨学金は現在3万ドル以上の価値がある。

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(この号終わり)

2007年10月12日

「ヒカルのチェス」(37)

「Chess Life」2000年11月号

2000年6月30日から7月4日にかけてペンシルベニア州フィラデルフィア市で第28回ワールド・オープンが開催されました。オープン部門に出場したヒカルは 5.5 ポイントを挙げてレイティング 2349-2250 選手中の 3-8 位に入賞しました。

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(この号終わり)

2007年10月19日

「ヒカルのチェス」(38)

「Chess Life」2001年6月号

2001年3月14日から18日にかけてワシントン州シアトル市で米国対中国の親善試合が行われました。ヒカルは Hua Ni と白黒1局ずつ指しどちらも敗れました。

表紙より。全員が写っている写真の右端がヒカルです。また右下隅は米国チームの写真の一部ですがそこにもネクタイ姿のヒカルが写っています。

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第2回戦

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シチリア防御 [B80]
スヘフェニンゲン戦法
白 FM Hua Ni
黒 ヒカル ナカムラ (2364)
米国対中国チェス頂上決戦2001 第2回戦

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 a6 6.Be3 e6

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7.f3 b5 8.g4 h6 9.Qd2 Bb7 10.O-O-O Nbd7 11.h4 b4 12.Na4 Qa5

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13.b3 Nc5 14.a3 Nxa4 15.axb4 Qc7 16.bxa4 d5 17.e5 Nd7 (訳注 17...Qxe5? 18.Bf4 +-)

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18.f4 Nb6 19.f5 Nxa4 20.fxe6 Nc3 21.exf7+ Kxf7 22.Bd3 Bxb4

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23.Qf2+ Kg8 24.Rdf1 Ba3+ 25.Kd2 Ne4+ 26.Bxe4 dxe4 27.g5

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ここまで定跡手順どおりである。二人の若者は最新定跡中の最新定跡をたどっている。

27...Rc8

ここでようやくヒカルはシドニー・オリンピック公開競技でのシロフ対アナンド戦(第1局)と別れた。その試合は

27...Bd5 28.gxh6 Bb2 29.Rb1 Bc3+ 30.Kc1 Bxd4 31.Bxd4 e3 32.Qxe3 Bxh1 33.Rb6 Rc8 34.Qb3+ Qc4 35.hxg7 Rxh4 36.Rb8 Qxb3 37.Rxc8+ Kxg7 38.cxb3 Rxd4 39.Rc7+

で引き分けに終わった。白は 40.Ra7 でaポーンが取れるので引き分けの局面に持ち込める。黒はルークとビショップがあるのでさらに指し継ぐこともできるが恐らく競技の運営者は望んでいなかっただろう。

28.Qf5!

中国チームの若手選手の Hua Ni は 3.5-0.5 という成績をあげて逸材の1人であることを示した。史上最年少の13歳でグランド・マスターになったBu Xiangzhi(15歳)は良く知られている。しかし Hua も同様に大きな才能を秘めているように見える。2001年ラスベガスでのナショナル・オープンで彼は最終日にGMアレックス・ボイトキーウィッツを破りGMドミトリー・グレビッチと引き分けた。本局で彼は片鱗を見せつける。

28...Qc3+

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この局面について確かな結論を出すのは難しいが 28...Qc4 も一考の余地があったかもしれない。注意を要するのは 28...Bd5 で、29.e6! という強手で応じられる。この局面で気をつけなければならないのはh8にいる黒ルークの悪形である。

29.Kd1 Bd5 30.e6 Qa1+ 31.Ke2 Bc4+ 32.Kf2 Qxf1+ 33.Rxf1 Rf8

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34.g6

白にはもっと速い勝ち方があった。それは 34.Qxf8+! で以下 34...Bxf8 (34...Kxf8 35.Ra1 Bb2 36.Rb1 Bxd4 37.Rb8+ Ke7 38.Rxh8) 35.Rb1 hxg5 36.Rb8 Kh7 37.hxg5 g6 38.Rc8 Ba2 39.Nb3 Bxb3 40.cxb3 Bd6 41.Rc6 で決まる。

34...Rxf5+ 35.Nxf5 Bxf1 36.Kxf1 Kf8 37.Bd4 Rg8 38.c4 Ke8 39.Ke2 Rf8

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40.Nxg7+ Ke7 41.Ke3 Rd8 42.Kxe4 a5 43.c5 a4 44.Ke5 Rg8 45.Nf5+ Kd8 46.g7 黒投了

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第4回戦

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(この号終わり)

2007年10月26日

「ヒカルのチェス」(39)

「Chess Life」2001年9月号(1/2)

2001年4月26日から29日にかけてミズーリ州カンザスシティでスーパーナショナルズ(Supernationals)が開催されました。ヒカルはK-12(12年生以下)の部門に出場して6.5ポイントを挙げ同点優勝しました。

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・・・
レイティングは問題じゃない

高校部門は特に名の通った選手が多かった。つい最近英国で僅かのところでGM基準を逃がしたIMアイリーナ・クラシュ(Irina Krush)が優勝候補だった。13歳のIMヒカル・ナカムラは駆け込みでこの大会に参加した。他の12人のマスターとエキスパートがすぐ後に続きあわよくば一泡吹かせようと狙っていた。アイリーナとヒカルは本命として突き進んでいったが、ヒカルが望んでいた直接対決が訪れなかったのはそれほど不思議ではない。「学校にチェスを」で人気者のマーカス・メアリーナ(Marcus Mairena)が「この大会ではレイティングは問題じゃないから良く見た方がよい」とうまいことを言った。

実際第4回戦ではヒカルとアイリーナはすんでのところで負けるところだった。

ヒュプシュ・ギャンビット(Hübsch Gambit) [D00]
白 David Zimbeck (2102)
黒 IMヒカル・ナカムラ
スーパーナショナルズ K-12 2001年

1.d4 Nf6 2.Nc3 d5 3.e4 Nxe4 4.Nxe4 dxe4 5.Be3

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5...e6 6.c3 Bd6 7.Qg4 Qf6 8.Qxe4

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8...Nc6 9.Qc2 Bd7 10.Nf3 h6 11.Bd3

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11...O-O-O 12.b4 g5 13.b5 Ne7 14.Qa4 Kb8

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この局面で白は序盤の選択に大満足に違いない。何しろ変則ギャンビットが咎められずに圧倒的な攻撃態勢を取れたのだから。

15.c4 c6 16.b6 a6 17.c5!

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このポーン捨ては非常に独創的である。

17...Bxc5 18.O-O Bd6 19.Bxa6!

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19...Nc8

19...bxa6 と取るのは 20.Qxa6 Nc8 21.b7 Na7 (21...Ne7 22.d5) 22.d5 で白が勝つ。

20.Rab1 Qe7 21.Rfc1 c5 22.Qa5 bxa6

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23.b7?

23.dxc5! なら黒が絶望的で私なら歓喜の大声をあげたいところだ。

23...Na7 24.Qxa6 Bc6

黒が封鎖線を作り上げ形勢は混沌となった。

25.dxc5 Bf4 26.Rc3

26.Nd4 には黒は 26...Rxd4 27.Bxd4 Rd8 と応じる。

26...Bb5 27.Bxf4+ gxf4 28.Qa5

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28...Qc7 29.Qa3 Be2 30.Rcc1 Rhg8!

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ヒカルは遂に形勢を覆した。

31.c6 Rd3 32.Ne5 Qxe5 33.c7+ Qxc7 34.Qxa7+ Kxa7 35.Rxc7 Kb8 36.Rbc1

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36...Rd1+ 37.Rxd1 Bxd1 38.Rxf7 Bf3 39.Rxf4 Bxg2 40.h4 Bxb7+ 41.Kf1 Bd5 42.Rf6

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42...Rh8 43.a4 Kc7 44.Ke2 Kd6 45.f4 Be4 46.Rf7 Ra8 47.Rf6 h5 48.Rh6 Bf5 白投了

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・・・
日曜の午前は3人だけが5-0の成績だった。サムソンとヒカルは早々と引き分けたがイェレーナはノア・シーゲルに負けた。
・・・
最終戦は6人が5.5ポイントで並んでいた。ナカムラ、シーゲル、ベネンの3人が勝って同点優勝した。

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白の 3.e4 に対しては 3...dxe4 とポーンで取るよりも(この後白は多分 4.f3)ヒカルの指したように 3...Nxe4 とナイトで取る方が良いとされています。白の 5.Be3 に対して黒が e4 のポーンを捨てたくないならば 5...Bf5 と指します。最後は49.Rxh5 なら 49...Bg4+ なので黒は指す手がありません。

(この号続く)

2007年11月02日

「ヒカルのチェス」(40)

「Chess Life」2001年9月号(2/2)

前回の続きで、ヒカルへの優勝者インタビューが掲載されています。

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IMヒカル・ナカムラ

13歳のヒカルは K-12 部門で 6.5 ポイントで同点優勝した。彼が大会への参加を決めたのは木曜の夜で、試合開始の半日前だった。

ジェニファー・シャヘード「今どんな気持ちですか?」

ヒカル・ナカムラ「嬉しいです。7-0 ならもっと良かったけど。」

ジェニファー「チェスでの当面の目標は何ですか?」

ヒカル「できるだけ早くグランド・マスターになることです。」

ジェニファー「好きな選手は誰ですか?」

ヒカル「カスパロフとおかしくなる前のフィッシャーです。」

ジェニファー「たった13歳でIMになるのに最も役立った本は何ですか?」

ヒカル「本はそんなに見ません。普通はコンピュータで1日2時間くらい研究します。」

ジェニファー「昔の名局は見ないんですか?」

ヒカル「そんなに見ません。時間の無駄だと思います。」

ジェニファー「何千人もの参加者の中で試合をするのはどんな気分ですか?」

ヒカル「楽しいです。チェスを指す多くの若者がいるのは良いことだと思います。子供たちには未来があります。」

ジェニファー「これからどのように優勝を祝いますか?」

ヒカル「特に祝うことはありません。次の大会に備えるだけです。」

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(この号終わり)

2007年11月09日

「ヒカルのチェス」(41)

「Chess Life」2001年10月号(1/3)

米国チェス史上最年少でIM(インターナショナル・マスター)になったヒカルが表紙を飾りました。

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表紙の説明の文章

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Y071109B.JPG ヒカル・ナカムラはチェス界の最年少スターの1人だが、写真の被写体としても興味ある対象である。

 彼はおとなしく座っているのはどうしても性に合わない。活発な13歳の少年なのだからやることのできることで最も気が乗ることではない。勿論チェスを指している時はその限りではない。

 しかし彼は協力的な人間だった。そして表紙の写真の撮影の時にはわざわざお気に入りのジャンパーを着てくれた。



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目次のページに米国のそれぞれの選手権者の顔写真が掲載されています。2001年米国ジュニア選手権者となったヒカルの写真も掲載されています。

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本誌で3ページに渡ってヒカルの特集記事が掲載されました。

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チェスのプロフィール

ヒカル・ナカムラが米国最年少のインターナショナル・マスターに

インタビューと写真 ブライアン・キリグルー

 ヒカル・ナカムラは 1998 年突如米国チェス界になだれ込んできた。その時彼はまだ10歳79日でわずか3年の棋歴で米国チェス史上最年少でマスターになった。

 翌年彼はGMアレグザンダー・ストリプンスキーを破って、正規の持ち時間の試合でグランドマスターを破った最年少の選手の1人となった。これまでに全国学校選手権に8回優勝している。2001年には土壇場で参加を決めた2001年高校選手権でも優勝した。世界青年選手権には過去4年間米国の代表の1人として出場し2001年には4位に入賞した。

 2001年2月にハンガリーのエゲルで3度目のIM基準を達成し現在は米国最年少のIM称号保持者となっている。

 ヒカルは瞬く間にこれほどのことを成し遂げたがまだ13歳の少年である。彼の部屋の4フィート(約1.2メートル)と5フィート(約1.5メートル)の優勝トロフィーの間にはスポーツのポスター、ゲームの詰まった道具箱、それから自分で組み立てたレゴのテニスコートが置いてある。近くで誰も聞いていない時には彼はスポーツのアナウンサーになったつもりで架空のマイクロフォンに向かってひいきのフットボールチームのテネシー・タイタンズの実況中継をやっている。

 この若い才能が記録破りのペースを続けることができればボビー・フィッシャーの持つ米国最年少グランドマスターの不滅の記録も射程距離に入るだろう。

Y071109D.JPG ブライアン・キリグルー「チェスを初めて指し始めたのはいつ頃ですか?誰かに教わったのですか、それとも自分で覚える気になったのですか?」

ヒカル・ナカムラ「自分で覚えようと思いました。その頃父(FMスニル・ウィラマントリー)と兄が真剣にチェスを指していて、僕がよくその回りにいたからです。」

「それは何歳の時でした?」

「7歳です。」

「何でこんなに早く強くなったのですか?」

「覚えたての頃父がいろいろ教えてくれました。僕がマスターになれるまで本当に一緒に猛勉強しました。」

「最初の頃の大きな節目は97年にマーシャル・チェスクラブでインターナショナル・マスターのジェイ・ボーニンを負かした時ですね。それはマスターを目指すことに役立ちましたか?」

「父は最年少のマスターを目指してはどうかと言ってくれました。実際そこまで行けるとは思いませんでした。でもやってみる価値はありました。それで本当に必死で勉強しました。1998年版の『世界記録のギネスブック』にはビナイ・バートが10歳176日で米国の最年少マスターになった記録が載っていました。僕が目指したかったのはその記録でした。でも僕がビナイの記録を破った後ギネスはその記録を載せなくなってしまいました。」

「記録を破った時どんな気持ちでした?」

「大きな出来事でした。でも公式に発表されるまでは全然確信がありませんでした。なぜならかなりの差で破ったのにその後の大会の成績が悪かったので。レイティングが発表され本当になった時はとても嬉しかったです。」

「マスターになった後突然メディアから多くの注目を受けるようになったけど、人前に出ることにはどのように対処しましたか?」

「あんなに注目されるとは全然予想していませんでした。少し落ち着きませんでした。あんなに記者が来るとは。たちどころにでした。CBSニュースのゲーリー・アップルが僕にインタビューするためにホワイト・プレーンズのリッジウェー小学校にやって来ました。僕は全部の大ネットワークやたくさんの新聞や雑誌に出ました。『危険!』という番組の問題にさえ名前が出ました。何ヶ月か後にテレビでヤンキースの試合を見ていたらニューヨーク・タイムズのコマーシャルが流れました。画面に僕と兄のアスカと母の写真が映った時には信じられない気持ちでした。僕たちが新聞の1面に載った時の写真でした。」

「『リージスとキャシー・リーと一緒に生で』にも出ましたね。」

「はい、でもそれまでトーク・ショーには出たことがなかったので少し不安でした。リージスは僕を落ち着かせようとしてくれました。一度は僕の靴ひもがほどけているよと言って観客をみんな笑わせました。チェスではある駒は他の駒よりもっと価値があることを彼が分かっていなかったことを覚えています。ショーに出たことはとても楽しかったです。」

「チェスの勉強はどのようにしているのですか?」

「勉強にはコンピュータを使っています。それから定跡や自分の試合の棋譜を研究しています。コンピュータ相手に試合をすることもあります。」

「負けた試合は調べますか?」

「はい、ひどい負けの場合は特にそうです。」

「負けた時はどんな気持ちですか?試合に負けたことで落ち込みますか、それとも何か学ぼうとしますか?」

「それはどのくらいひどい負けかどうかによります。接戦で手も足も出なかったのでなければ少し気持ちがぐらつきます。でも完全に圧倒された時は普通は試合から何か学ぼうとします。」

「大人と指すのと比べて子供と指すのは気持ちの上で何か違いますか?」

「米国内では大人と指す時の方がずっと手ごわいです。でも世界ユースのような国際大会で指す時は同じくらいの年の子供だけしかいません。国内では同じくらいの強さの子供と指すことはそれほど多くないのできついです。ヨーロッパの大会に出てくる子供は皆強いので指すのは大変です。」

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(この号続く)

2007年11月16日

「ヒカルのチェス」(42)

「Chess Life」2001年10月号(2/3)

インタビューの続き

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ブライアン・キリグルー「子供と指す方が好きですか、それとも大人との方が好きですか?気持ちの上で何か違いがありますか?」

ヒカル・ナカムラ「多分同じだと思います。相手が同じくらいの強さでなくても自分と同じくらいの強さだと思って指すのであまり違わないと思います。」

「1999年にグランドマスターのストリプンスキーを破った時その経験がもっとチェスに集中するのに役立ちましたか?」

「あの時はとても感動しました。彼は僕が初めて勝ったグランドマスターでした。あの時彼は僕より断然強い相手でした。僕はマスターにやっとなったばかりでしたから。愉快だったです。実際は途中では負けの形勢だったのでそれだけあの勝ちが嬉しかったです。僕でもあのレベルの選手に勝てると実感できました。」

「ボビー・フィッシャーの記録を破ってアメリカの最年少GMになれると考えたことがありますか?」

「フィッシャーはアメリカの最も偉大な選手です。彼の記録を破れるかどうかは分かりません。でもそれに近づくだけでもすごいことだと思います。」

「いろいろな所に行ってますが他の国に行くのは好きですか?」

「はい、行ったことのない所へ行って名所を見るだけでも楽しいです。大体1日か2日観光のために泊まるようにしています。」

「尊敬するチェス選手はいますか?」

「カスパロフです。彼の攻撃的な棋風が好きです。」

「今年は3大会でIM基準を3回達成するというようにおおわらわでしたね。IM称号を獲得した時はどんな気持ちでした?」

「IMになれてとても満足しています。勿論それが最終目標ではなくGMになりたいです。それが次の目標です。」

「大抵の選手にはトレーナーがついているのに、1人でたくさん勉強しているようですが。」

「猛勉強しているのでトレーナーは必要ありません。自分でやるのが好きなんです。」

「現在の世界チャンピオンは誰だと思いますか?」

「今現在は二人の正統な世界チャンピオンがいます。クラムニクとアナンドは二人とも正統な世界チャンピオンです。クラムニクの方がアナンドよりもずっと正統です。多くの人が真の世界チャンピオンだと考えているカスパロフを破ったのは彼ですから。アナンドはFIDE世界選手権戦で優勝しました。でもあまりはっきりしません。ハリフマンがFIDE称号を獲得した時誰も彼を世界チャンピオンと呼ばなかったのですから。」

「カスパロフに勝てるのはクラムニクだけのようなのに、カスパロフが絶対負けない他の選手にクラムニクは負けることがあるようですね。」

「そうなんです。カスパロフはクラムニク以外のトップの選手たちにはうまく指します。でもクラムニクはどういうわけかカスパロフ相手にはうまく指すのに他のトップの選手たちにはそれほど多く勝っていません。」

「スポーツが好きなようですがどういう所がそんなに面白いのですか?」

「試合に勝つための動きやドラマそれにプレッシャーが好きです。一番好きなのは戦いです。テニスもしています。プロスポーツ特に野球、バスケットボールそれにフットボールを見るのも好きです。いつも全力を尽くす選手を特に尊敬しています。僕もチェスで全力を尽くすようにしています。」

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「チェスはスポーツだと思いますか?」

「精神のスポーツだと思います。肉体のスポーツだとは思っていません。体は必要ありませんが頭脳が必要です。」

「チェスのどこが一番好きですか?」

「序盤、戦術、終盤を始め全部好きです。他のスポーツには問題を解くことや手筋がありませんがチェスにはあります。そういった要素が全部組み合わさっているところが好きです。」

「チェスで勝つことはどのくらい重要ですか?」

「勝つことは非常に大切です。それはより高いレベルに上げてくれるからです。でも勝つことだけが重要なのではありません。」

「他に大切なことは何ですか?」

「負けた試合も大切です。自分のミスを学びますし、それにいつも勝っていたら自分が多くのミスをしていると考えないでしょう。自分のやっていることはいつも正しいと考えて自分の試合を省みなくなるでしょう。」

「では負けることは上達するために大切なのですね?」

「負けはどこを上達させるか理解するのを助けるために大切です。」

「お父さんもお兄さんもマスターという強いチェス選手のいる一家の一員ですね。このような環境の中で育ったことはどのような影響がありましたか?お互い助け合いますか?」

「それはとても大きなことでした。自分の周りがチェスだらけだったからです。確かに大事な試合ではお互いに励まし合います。それに家族に幾人もチェス選手がいる時は一緒にチェスのことを話したり研究したりできます。」

「オクラホマ州のタルサで行われる米国ジュニア招待ではお兄さんのアスカ君も参加することになっていますね。お兄さんと対戦するのはどんな気持ちですか?」

「兄とは他の選手の時と同じように戦うつもりです。兄とはこれまでブリッツ大会で何回か対戦したことがあり気持ちよく指せました。特に変わったことはありません。楽しいくらいです。」

「しばらくの間勉強はお母さんが在宅教育してくれたそうですがそれはどんな具合でした?」

「それは断然良いです。大会に参加するのが以前より楽でした。学校ではチェスの大会のことを理解してくれないしチェスがとても大切だとも考えてくれません。米国では以前のようにチェスを指すことが大切だと考えられなくなっています。フィッシャーがスパスキーと対戦した70年代は米国でも皆チェスが大切だと考えていました。チェスは猛勉強が必要なのにほとんどの人はそれが分かっていません。」

「若い選手たちのために何かアドバイスがありますか?」

「人間を相手に多くのチェスを指すことです。それは僕がレイティングが1800あるいは1900くらいになるまでしてきたことです。人間を相手にたくさん指すことは本当に大切です。ある程度のレイティングになるまではたくさん勉強することはそれほど重要ではありません。実戦の方がもっと重要です。レイティングがある所から上がらなくなったら本格的に勉強を始めるべきです。ある所までは実戦が上達のためのカギです。」

「どうして皆チェスを指すのでしょう?」

「僕たちがチェスを指すのはいろいろな要素が全部組み合わさって非常にワクワクし興味深く面白いゲームになっているからだと思います。」

「これまでチェスをしてきて最も誇りに思うことは何ですか?」

「誇りに思っているのは米国の最年少のマスターになったことと、米国の最年少のインターナショナル・マスターであるということです。」

「将来の目標は何ですか?」

「本当の目標は2年くらいでGMになることです。」

「長期的な目標は何ですか?」

「2600台の強いグランドマスターになりたいです。どのくらい上まで行けるかは分かりません。でも行けるところまで行くつもりです。」

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(この号続く)

2007年11月21日

「ヒカルのチェス」(43)

「Chess Life」2001年10月号(3/3)

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キングズ・インディアン防御 [E61]
白 GMアレハンドロ・ホフマン(Alejandro Hoffman)
黒 ヒカル・ナカムラ (2289)
1999年 米国オープン

自戦解説 IM ヒカル・ナカムラ

アルゼンチンのGMアレハンドロ・ホフマンはラスベガスのシーザーズ・パレスでの1999FIDE世界選手権戦に参加後にレノにやって来ました。

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.Nf3 O-O 5.Bf4 d6 6.h3 c5 7.d5

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7...a6

ホフマンは1992年のオゾリンク(Ozolinck)戦で同じ局面を指しています。その試合では黒が 7...Nbd7 と指し白が 34 手で勝っています。

8.a4 Nh5

これは新手です。それまで指された手は 8...Re8 (ザイチク(Zaichik)対コズル(Kozul)、1988 年トビリシ)と 8...Qa5 (ナギ(Nagy)対レシカ(Resika)、1998 年セゲド(Szeged))です。

9.Bd2

9.Bh2!? e5 10.e3 Nf6 は形勢互角です。

9...f5 10.e3 e5

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11.dxe6e.p.

白は有利を目指すなら取らなければなりません。11.Be2?! Nf6 12.O-O Qe7 13.a5 Nbd7 は互角の形勢です。

11...Bxe6 12.Be2 Nc6 13.O-O f4?

13...Nf6 と指す方が勝りました。

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14.Nd5?!

白は 14.exf4 Nxf4 15.Bxf4 Rxf4 16.Qd2 Qf8 17.Rad1 Rd8 18.Ng5 のように f4 の地点で駒を交換すべきでした。

14...Bh6 15.Ra3!? Bxd5 16.cxd5 Ne7 17.e4 Nf6 18.Qb1 g5

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19.a5

ここでは 19.e5! Nfxd5 20.Bd3 Rf7 21.e6 Rg7 22.Re1 と指す方が勝りました。

19...Ng6 20.b4 cxb4 21.Bxb4 Qe7 22.Bd3 g4 23.Nd4 Nh4 24.hxg4 Nxg4

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25.Ne6?

25.Nf5 も 25...Nxf5 26.exf5 Qh4 でだめです。白は黒のルークを攻めるよりも自陣の守りを固めるべきでした。つまり 25.Be2 Ne5 (25...Nxg2? は 26.Bxg4 Qh4 27.Be6+ Kh8 28.Rh3 Qg5 29.Nf3 Qg6 30.Bc3+ Bg7 31.Bf5 Rxf5 32.exf5 Qg4 33.Bxg7+ Qxg7 34.f6 Qg8 35.Qxh7+ Qxh7 36.Rxh7+ Kxh7 37.Kxg2 でだめです) 26.Kh1 と指す方が良かったのです。

25...Nf3+!

ナイトの二丁捨ての開始です。

26.gxf3 Qh4 27.fxg4 Qxg4+ 28.Kh2 Qh4+

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29.Kg1 Qg4+ 30.Kh2 Qh4+

持ち時間がとても少なくなっていて 40 手目に早く到達するために2回同じ手順を繰り返しました。

31.Kg1 Kf7

g筋を空けて詰みを狙います。

32.Bc3 b5

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白クイーンがチェックでb7のポーンを取って侵入して来る手を防がなければなりませんでした。

33.Bg7?

この手が敗着でした。33.Rc1 f3 (33...Rg8+? は 34.Bg7 Bxg7 35.Rc7+ でだめです) 34.Bg7 Qg4+ 35.Kf1 Bd2 36.Nf4 Qh4 37.Rc7+ Kg8 38.Kg1 Bxf4 も同様です。白は 33.Rd1! Rg8+ 34.Bg7 Bxg7 35.Kf1 Bb2 36.Qxb2 f3 37.Ke1 Rg1+ 38.Kd2 Qxf2+ 39.Kc3 Rc8+ 40.Kb3 Qxb2+ 41.Kxb2 Rxd1 と指すべきで互角の形勢でした。

33...Qg4+ 34.Kh2 f3 35.Rg1 Qh4# 黒勝ち

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この試合に勝って自分の部門で単独首位になりさらにもう1人のグランドマスターにも勝ちました。

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9.Bd2 の変化の 9.Bh2 e5 は 10.dxe6e.p. でd6のポーンが落ちるので 9...f5 の間違いかもしれません。

(この号終わり)

2007年11月30日

「ヒカルのチェス」(44)

「Chess Life」2001年11月号

2001年6月18日から26日にかけてニューヨーク市クイーンズのエルムハースト病院(Elmhurst Hospital)講堂でニューヨーク市長杯戦(New York City Mayor' Cup)が行なわれました。IMヒカル・ナカムラは4引き分けによる2ポイントで最下位でした。

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左下隅がIMヒカル・ナカムラ

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前列右から3人目がIMヒカル・ナカムラ

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(この号終わり)

2007年12月07日

「ヒカルのチェス」(45)

「Chess Life」2001年12月号

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U.S.オープン ブリッツ選手権
2001年8月9日 マサチューセッツ州フレーミングハム

記 FM ポール・トゥルーオング

 マサチューセッツ州フレーミングハムで開催された2001年U.S.オープンのブリッツ選手権戦でドイツのGMローラント・シュマルツ(4回の世界電撃チェス選手権者と本大会の優勝候補)と小生(5度の元南ベトナム選手権者)が14戦中12ポイントの成績で同点優勝した。才能溢れる2001年米国ジュニア選手権者のIMヒカル・ナカムラ(ニューヨーク)が11-3の成績で単独3位に入った。その後にクリストファー・トゥーリン(ロード・アイランド)とブレーデン・ブルニバル(ニューハンプシャー州)が10-4の成績で続いた。

 最終回戦を迎えてシュマルツとトゥルーオングが10点で並び、米国マスターのジェームズ・クォン(カリフォルニア州)が9.5点で追い、さらにその後に二人のIMのローレンス・カウフマン(メリーランド州)とヒカル・ナカムラ(ニューヨーク)が共に9点で続いていた。シュマルツとトゥルーオングは既に対戦を終えていたので、シュマルツはクォン(2301)と、トゥルーオングはカウフマン(2401)と対戦した。ナカムラはスイス式組み合わせの気まぐれのせいでエキスパートのアナトリー・レビン(マサチューセッツ州)(2023)と対戦した。

 クォンは善戦したが超早指しのシュマルツの敵ではなかった。信じられないようなブリッツの申し子のナカムラも早々と2-0でレビンに勝った。シュマルツとナカムラは白番と黒番の両方とも勝ったが、トゥルーオングはカウフマン相手の黒番の初戦でかなりてこずっていた。

(以下省略)

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(この号終わり)

2007年12月14日

「ヒカルのチェス」(46)

「Chess Life」2002年1月号

 読者からの便りのページにヒカルについての投稿が掲載されました。

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ヒカルはすごい

 チェスは僕の人生でいつも大きな部分を占めてきました。チェスを指し始めてから11年で今は17歳です。最年少マスターのヒカル・ナカムラの記事を読みました。チェスを指し始めてからたった3年で彼の成し遂げたことはものすごいです。今の僕はまだ「クラスC」(1400-1599)の棋力です。でもいつかもっと強くなりたいです。ヒカルが短い間にあんなことができるなら僕にももっと強くなるチャンスがあると思います。ヒカルの記事を書いてくれて感謝しています。

デイブ・マーシニアク
インディアナ州マンスター

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 2001年7月24日から29日にかけてオクラホマ州タルサで米国ジュニアチェス選手権戦が行われました。選抜された10人の総当たり戦でヒカルは7.5ポイントで単独優勝しました。

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 ものすごい速さで指したヒカル・ナカムラは37手でフィリップ・ワンを詰みに仕留め米国ジュニア選手権を獲得した。唯一の問題はボビー・フィッシャーが1956年に記録した最年少米国ジュニア選手権の記録を抜くかということである。新チャンピオンにおめでとうを言います。

(以下省略)

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左がヒカル・ナカムラ、右がティム・レッドマン

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(この号終わり)

2007年12月21日

「ヒカルのチェス」(47)

「Chess Life」2002年4月号

2001年12月27日から30日にかけて首都ワシントンで行なわれた東部オープン(Eastern Open)にヒカルが参加し、オープン部門で3-7位に入賞しました。

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(前略)

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 しかし今年の若者の輩出は特別だった。16歳のフェルナンデスに加えて12歳のアレックス・バーネット(4.5 点)、13歳のイゴール・シュナイダー(4 点)、14歳のルイシン・ヤン(3.5 点)それに15歳のアレクサンダー・バティー(2.5 点)がオープン部門で好成績を挙げた。若者の中でも特にめざましかったのが13歳のヒカル・ナカムラで5.5点でスタニスラフ・クリベンツォフ、ローレンス・カウフマン、イリェ・フィグラー及びメーコン・シバットと同点3位に入った。最年少でマスターになったナカムラについてはこれまで多くのことが書かれてきた。6回戦が終わった時点で5点で首位を走っていて彼の多くの棋歴に東部オープンの優勝が加えられそうに思われた。しかしユダシンが第7回戦でそれに待ったをかけた。

シチリア防御 [B50]
白 GMレオニド・ユダシン
黒 IMヒカル・ナカムラ
東部オープン 2001年

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.Bc4 e6 4.O-O a6 5.Re1

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5...Nc6 6.c3 Be7 7.Bb3 Nf6 8.d4 cxd4 9.cxd4 d5 10.e5

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10...Nd7 11.Nc3 Na5 12.Bc2 b5 13.Ne2 Bb7 14.Nf4 Rc8 15.Re2

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15...Qb6 16.h4 h6 17.h5 Kd8 18.b3 Kc7 19.a3 Kb8 20.Nd3

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20...Nc6 21.Be3 b4 22.axb4 Nxb4 23.Nxb4 Bxb4 24.Bd3 Rc3 25.Rea2

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25...a5 26.Ne1 Rhc8 27.Bf1 R3c7 28.Nc2 Be7 29.Na3 Bc6 30.Qg4

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30...Bf8 31.Qf4 f5 32.exf6 Nxf6 33.Nc2 Bb7 34.Ne1 Bd6 35.Qh4

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35...Rc3 36.Rxa5 Rxb3 37.Nd3 Ne4 38.Nc5 Bxc5 39.dxc5 Qc7 40.c6

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40...Bxc6 41.Ba7+ Kb7 42.Ba6+ Kxa7 43.Bxc8+ Kb8 44.Bxe6 Qd6 45.Bf5

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45...Rb4 46.Bxe4 Rxe4 47.Rb1+ Kc8 48.Qh3+ Qe6 49.Qc3 d4 50.Qb4

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50...Qe8 51.Ra7 Qe5 52.Rc1 Kd8 53.Qb6+ 黒投了

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(後略)

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2007年12月28日

「ヒカルのチェス」(48)

「Chess Life」2002年5月号

 2002年1月21日から30日にかけてバーミューダで開催された2002年バーミューダ国際チェスフェスティバルにヒカルが招待されて参加しました。

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 今年は二つの招待大会で4人が基準成績をあげた。GM基準がヒカル・ナカムラ(米国)、リーフ-エルラント・ヨハネッセン(ノルウェー)、エマヌエル・ベルグ(スウェーデン)、IM基準がカナダのジュニアのトップのパスカル・カルボノである。ヒカルは初めてのGM基準達成だったがきっとすぐにもっと獲得するだろう。彼の試合は観衆を魅了した。

 最終戦では引き分けが必要だったが準備万端でポーランドのトップGMでレイティングが 2612 のバルテク・マシエヤと黒番で対戦した。20手目あたりで彼は4分ほど使っただけだったがマシエヤは難局のため頭を抱えて1時間以上使っていた。試合後マシエヤが他の選手にナカムラと戦っているだけでなく Fritz10 とも戦っているようだったと言っているのが聞こえた。

 ナカムラ、ヨハネッセンそれにGMジョバンニ・ベスコビ(ブラジル)が9回戦中6ポイントで招待Aの優勝を分け合った。

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シチリア防御 [B43]
白 IMヒカル・ナカムラ
黒 GMジョバンニ・ベスコビ
バーミューダ国際A、サウサンプトン、2002年

1.e4 c5 2.Nc3 e6 3.Nf3 a6 4.d4 cxd4 5.Nxd4 Qc7 6.Bd3 Nc6 7.Nb3 Nf6 8.O-O Be7

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9.f4 d6 10.Qf3 O-O 11.Bd2 b5 12.Rae1 b4 13.Nd1 Bb7 14.Qh3 e5 15.Ne3 g6

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16.f5 Nb8 17.fxg6 fxg6 18.Bxb4 Bc8 19.Qg3 Be6 20.Bd2 Nbd7

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21.Nf5 Bd8 22.Ne3 Qa7 23.Kh1 Bb6 24.Nf5 Kh8 25.Bh6 Nh5

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26.Qh4 Bd8 27.Qh3 Rf7 28.Qf3 gxf5 29.Be3 Qb7 30.Qxh5 Nf6

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31.Qh3 Nxe4 32.Qh6 Rf6 33.Qh5 Bf7 34.Qh3 Bg6 35.Bxe4 fxe4

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36.Rxf6 Bxf6 37.Rf1 Qe7 38.Na5 Rf8 39.Nc6 Qe8 40.Bh6 Bg7

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41.Bxg7+ Kxg7 42.Rxf8 Kxf8 43.Qc3 Qf7 44.h3 Qf1+ 45.Kh2 Qb5

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46.a4 Qxa4 47.Nb4 Bf5 48.Qd2 Qd7 49.Nd5 Bg6 50.c4 Qf7

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51.Qa5 Qd7 52.Qxa6 Bf7 53.Nf6 Qf5 54.Qxd6+ Kg7 55.Ng4 Qf4+

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56.g3 Qc1 57.Qxe5+ Kf8 58.Qc5+ Kg8 59.Qf2 Bxc4 60.Nf6+ 黒投了

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グリューンフェルト防御 [D85]
白 IMライフ=エルレンド・ヨハネッセン
黒 IMヒカル・ナカムラ
バーミューダ国際A、サウサンプトン、2002年

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.cxd5 Nxd5 5.e4 Nxc3 6.bxc3 Bg7 7.Nf3

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7...c5 8.Rb1 O-O 9.Be2 cxd4 10.cxd4 Qa5+ 11.Bd2 Qxa2 12.O-O

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12...Bg4 13.Bg5 Qe6 14.h3 Bxf3 15.Bxf3 Qd7 16.d5 Na6 17.Qe2

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17...Nc5 18.e5 Rae8 19.Rfd1 f6 20.Be3 Rc8 21.d6 b6 22.Bxc5

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22...Rxc5 23.e6 Qc8 24.dxe7 Re8 25.Rd8 Rxd8 26.exd8=Q+ Qxd8 27.e7

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27...Qe8 28.Qe6+ Kh8 29.Rd1 Rc8 30.Qxc8 Qxc8 31.Rd8+ 黒投了

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(この号終わり)

2008年01月01日

「ヒカルのチェス」(49)

新年特別版

「NEW IN CHESS」2007年第8号

 ヨーロッパのチェス大会に参加したGMナカムラの活躍が特集で報じられました。まずは目次ページから。

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ヒカル・ナカムラがヨーロッパを行く

34ページ ナカムラの大遠征
 アメリカやヨーロッパの選手達は大西洋の反対側の大会では本来の実力を発揮できずに終わりがちである。しかし例外もある。最近のヨーロッパ遠征でヒカル・ナカムラはバルセロナとコルシカの大会で相次いで優勝した。

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 本誌での特集は5ページでした。その内の1ページはGMナカムラの大きな写真でした。

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ナカムラの大遠征
カジノの誘惑に負けずにヒカル・ナカムラはバルセロナで立派な成績を収めた。「この悪徳に近づかなかったので良いチェスが指せたと考えたい。」

 アメリカとヨーロッパのチェス界の違いについては多くのことが言われ書かれてきた。一つの有力な見解は大西洋の一方の側の選手は他方の側の特殊性に合わせることが難しいのかもしれないということである。しかし例外がある。カームスキーとオニシュクに次ぐアメリカ第3位のグランドマスターのヒカル・ナカムラは最近のヨーロッパ遠征で伝統的な総当たり戦によるバルセロナ市カジノ大会と快速勝ち抜き戦のコルシカ・マスターズ大会で相次いで優勝した。これらの好成績に気を良くしてナカムラは印象とそれぞれの大会からの好局の解説を承諾してくれた。

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バルセロナでの恒例の記念写真。前列の左からミハル・クラセンコブ、マルク・ナルシソ、ブガル・ガシモフ、ヒカル・ナカムラ、ラファエル・バガニアン、ミゲル・イレスカス。

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解説 ヒカル・ナカムラ
[A14]
ミハル・クラセンコブ
ヒカル・ナカムラ

バルセロナ、2007年、第2回戦

 ヨーロッパではここ何年か総当り方式の大会に出たことがなかったので喜んでバルセロナ市カジノ大会への参加を決めた。チェス以外のことについて言えば当地は近くに海辺やレストランがあってとても楽しめる場所だった。ギャンブルやポーカーにはとても心惹かれたが何とかこらえることができた。この悪徳に近づかなかったので良いチェスが指せたと考えたい。大会について言えば最初の5試合で4ポイントととても良い出だしだった。その中にはIMフルビアとGMバガニアンからの勝利があり、GMクラセンコブには鮮やかなクイーン切りを決めた。しかし第6回戦の相手のキューバのGMレニエル・ドミンゲスも絶好調で5試合で3.5ポイントと半ポイントの差で私を追っていた。だから何としても勝って大会の主導権を握りたかった。しかしこの試合に勝ったにもかかわらず第7回戦のGMオムス戦では作戦負けして手痛い敗北を喫した。このため大いに頑張らなければならなくなったが幸いにも調子を取り戻して最後の2回戦を勝って大会に優勝することができた。全体的には非常に申し分ない結果で大会の印象も非常に良いものとなった。それから特に大会主催者皆様の親切や気遣いに感謝したい。これからお見せしたい試合はなるほどと思われるだろうがクラセンコブに対するクイーン切りである。(編集部注 勝ったナカムラが本誌最後のページの一問一答集(Just Checking)の中で「生涯最高の試合」に挙げている。)

1.Nf3 Nf6 2.c4 e6 3.g3 d5 4.Bg2 Be7 5.O-O O-O 6.b3!?

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 現在トップレベルのチェスで流行しているはずのカタロニア定跡をはずすこの手にはちょっと驚いた。特に黒はあまり良い成績を残していないのでなおさらだった。

6...a5 7.Nc3

 これに代わる手は 7.Bb2 で例えば 7...Na6 8.d3 a4 9.Qc1 Bd7 10.Nbd2 c6 11.Ne5 Qa5 12.Bc3 Bb4 13.Bxb4 Qxb4 14.a3 Qd6 15.Nxd7 Qxd7 16.b4 e5 17.Qc2 Nc7 18.Rac1 で引き分け(ティマン対ナイディッチュ、ブラールディンゲン、2005年)という実戦例がある。

7...c6 8.d4 Nbd7 9.Qc2 b6 10.e4 Ba6

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11.Nd2

 11.e5 は 11...Ne8 12.Ne2 Rc8 13.Rd1 Nc7 で形勢はほぼ互角であるが、黒としては次の手で ...c5 と指して中原で乱戦に持ち込むつもりだった。

11...c5!

 強気の新手である。1992年オビエドでのルネ対ブロンシュテイン戦では 11...Rc8 12.Re1 c5 13.dxc5 d4 14.Na4 Nxc5 15.Nxc5 Bxc5 16.Qd3 e5 17.Bh3 Rb8 18.Nf3 Re8 19.Bg5 b5 20.Nd2 Bb4 21.Red1 h6 22.Bxf6 Qxf6 23.Rac1 Bc3 24.Bd7 bxc4 25.bxc4 Red8 26.Bb5 で黒が投了した。

12.exd5 cxd4

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13.Nb5

 13.d6 は 13...Bxd6 14.Bxa8 dxc3 15.Ne4 Qxa8 16.Nxd6 Ne5 で白の白枡が弱いので十分に交換損の代償がある。

13...exd5

 13...Bxb5 には白は 14.dxe6!(非常に重要な中間手。14.cxb5 は 14...e5! で黒優勢)fxe6 15.cxb5 Rc8 16.Nc4 と応じ、前の変化と異なりビショップの働きが強いので白が優勢である。

14.Nxd4 Rc8 15.Re1 b5

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16.Bb2

 16.Nf5 なら 16...Bc5 17.Bb2 Re8 と進み、白にも相応の利点があるが、c4ポーンに対する厳しい集中砲火により黒の方が良い。

16...Re8 17.Qd1 bxc4 18.bxc4 Qb6 19.Rb1 dxc4

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20.Nc6?!

 20.Bc3 Qc5 21.Qc2 なら黒が少し良い程度だった。

20...Rxc6! 21.Bxf6?!

 白は最後の望みを 21.Rxe7 Rxe7 22.Ba3 Re5 23.Rxb6 Rxb6 に賭けるしかなかったがそれでも見込みはほとんどなかっただろう。黒のルークは白のクイーンを圧倒し、c列のパスポーンは危険な存在である。しかし多分最も重大なことはそんなことをしたらチェス界から非常に華麗で気付き難いクイーン切りを奪っていたことであった。

21...Qxf2+!

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22.Kxf2 Bc5+ 23.Kf3

 23.Kf1 は 23...c3+ 24.Re2 c2 で白は大きな駒損が避けられない。23.Re3 は 23...Bxe3+ 24.Ke1 Bxd2+ 25.Kxd2 Rd6+ 26.Kc2 Rxd1 27.Rxd1 Nxf6 で黒が駒得で勝勢である。

23...Rxf6+ 24.Kg4

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24...Ne5+

 クイーン切りの核心である。対局後クラセンコブはf2でのクイーン切りは読んでいたが ...Bc8 を見落としていたと言っていた。だから彼は Rf6-g6-h6 の繰り返しで引き分けになると考えていた。

25.Kg5

 25.Rxe5 は 25...Bc8+ 26.Kh4 Rxe5 27.g4 Bf2+ 28.Kh3 Rh5# で詰まされる。

25...Rg6+

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26.Kh5

 26.Kf4 も 26...Nd3+ 27.Kf3 Rf6+ 28.Kg4 Bc8+ 29.Kh4 Rxe1 30.Qh5 Rf4+ 31.gxf4 Bf2+ 32.Kg5 f6# で詰む。

26...f6

 26...Bc8 の方が正確だった。

27.Rxe5

 27.Bd5+ Kh8 28.Kh4 Rh6+ 29.Qh5 g5+ 30.Kh3 の方が長引くが白が絶望的なことには変わりがない。

27...Rxe5+ 28.Kh4 Bc8 白投了

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 白は無駄なチェックをして手数を延ばすことはできるがいずれ ...Rh6+ で詰まされる。

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コルシカ・マスターズの最終戦でヒカル・ナカムラ(右)はルスタム・カシムジャーノフと対戦した。「彼も戦術派なので私の方に分があると思っていた。」

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解説 ヒカル・ナカムラ
[D45]
ルスタム・カシムジャーノフ
ヒカル・ナカムラ

コルシカ・マスターズ快速戦、2007年、第4回戦第1局

 バルセロナ大会の何日か前にある友人がコルシカで大会が行なわれると教えてくれた。日程と飛行機の便とその価格を調べて参加することに決めた。結果的には大正解だった。そして大会で優勝して元を取り返した。決勝戦までは優勝するなどとは全然期待していなかった。勝ち抜き戦への予選ではまあまあ順調だった。悪い試合は1試合だけで第6回戦のファン・ベリー戦で負けてしまった。しかしこの敗戦にもかかわらず10試合で8ポイントで予選を通過した。勝ち抜き戦では白番でとんでもないポカのためにGMミハレフスキー戦に負けて不安なスタートをきった。幸いにも巻き返しがきいて第2戦目を勝ち決定戦も楽に勝つことができた。このパターンはその後も続きファン・ベリー戦とバレエフ戦も決定戦で勝ち残った。決勝戦の相手の元FIDE世界選手権者ルスタム・カシムジャーノフにとってはそこ迄の道のりははるかに楽なものだった。彼が決定戦まで行ったのは準決勝でのカルポフ戦だけだった。だから彼は決勝戦においては私よりかなり優位に立っていた。しかし彼も戦術派なので私の方に分があると思っていた。

1.d4 d5 2.c4 c6 3.Nf3 Nf6 4.Nc3 e6 5.e3 Nbd7 6.Qc2 Bd6 7.e4!?

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 この手はちょっと意外だった。この戦型はあまり指されず退屈な展開になるとみなされている。

7...dxe4 8.Nxe4 Nxe4 9.Qxe4 Bb4+ 10.Bd2 Bxd2+

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11.Nxd2 c5 12.dxc5 Qa5 13.a3 Qxc5 14.b4

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14...Qe7

 この手は新手である。これまでの実戦例は2006年モスクワでのスベツシュキン対ガルキン戦の 14...Qc7 15.Bd3 Nf6 16.Qe2 O-O 17.O-O Rd8 18.c5 Bd7 19.Nf3 Ba4 20.Rac1 a6 21.Rfe1 h6 で互角の形勢である。この試合は最終的に黒が勝った。

15.Bd3 a5 16.Rb1 axb4 17.axb4 Nf6 18.Qe3 O-O

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19.O-O Rd8 20.Nf3 Qc7 21.Ne5 b6 22.Rfd1 Bb7

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23.Bf1?

 ルスタムは当然そうに見えるこの手をかなり早く指した。しかし彼は黒の次の手を見落としていて、勝ち目があるのは私の方だけになった。

23...Be4! 24.Nd3

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24...Ra3?

 どういうわけかクイーンでc4のポーンを取れないと錯覚をしていた。この間違いで勝ちを非常に難しくしてしまった。

 24...Qxc4 とこのポーンを取ってしまうべきで以下は例えば 25.Nc5 Rxd1 26.Rxd1 Qxb4 27.Nxe4 Qxe4 28.Qxb6 Nd5 29.Qb7 Rf8 で黒が圧倒的に優勢だった。

25.Ra1 Rc3

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26.Qf4?!

 ルスタムは圧迫を緩和したかったのだと思う。しかしクイーンを交換することによって形勢は逆に悪化してしまった。26.f3 と指すべきで 26...Bxd3(26...Bf5 は間違いで 27.Qe5! Qxe5 28.Nxe5 Rb8 29.Rd6 で白が勝勢になる)27.Rxd3 Rcxd3 28.Bxd3 Nh5 と進めばほぼ互角かもしれないが白の方が楽しみの多い局面だった。

26...Qxf4 27.Nxf4 Rxd1 28.Rxd1 g5!

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 ここで攻勢に出なければ弱いb6のために簡単にこの終盤が台無しになってしまう。

29.Nh3 g4 30.Nf4 Kg7 31.h3 h5 32.hxg4 hxg4

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33.Rd6 e5 34.Ne2 Rxc4 35.Rxb6?

 35.b5! と指すべきだった。

35...Bd3

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36.Ng3?

 この手が敗着となった。白は 36.f3 gxf3 37.gxf3 Nd5 38.Rb5 Rg4+! 39.fxg4 Bxb5 のように指すべきで黒が勝勢に近いが、本譜と違い負けと決まったものでもない。

36...Rc1 37.Rd6 e4

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38.Nf5+

 38.Rd4 ならば 38...Bxf1 39.Nxf1 g3! で、白はやはりeポーンと ...Ng4 の両方を同時に受けることができない。

38...Kg6 39.Ne3 g3! 40.fxg3 Bxf1 41.Kf2

 41.Nxf1 は 41...e3 でこのeポーンを止めることができない。

41...Bd3 42.Nd5 Kg5 白投了

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(訳注 f6のナイトをルークとビショップのどちらで取っても 43...Rf1+ で素抜かれてしまいます。)

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コルシカ大会の主催者のレオ・バテスティがヒカル・ナカムラの優勝の言葉を聞いている。もしかしてヒカルはシナトラの「マイウェイ」を歌っているのかも。

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 この雑誌の最終ページは「Jest Checking」という、チェス選手に対する肩のこらない一問一答集です。今月号の選手はヒカル・ナカムラでした。

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Just Checking

名前 ヒカル・ナカムラ
現在のレイティング 2648
世界順位 61位
誕生日 1987年12月9日
出生地 日本の大阪府
住所 ニューヨーク市ホワイトプレーンズ

好きな色は何ですか。
青です。

好きな食べ物は何ですか。
イタリア料理と日本料理です。

好きな飲み物は何ですか。
赤ワインです。

今まで読んだ本の中で最も面白かったのは何ですか。
ダン・ブラウンのダ・ヴィンチ・コードです。

最も好きな映画は何ですか。
スター・ウォーズ、エピソード6のジェダイの帰還です。

最も好きな男優は誰ですか。
ロビン・ウィリアムズです。

最も好きな女優は誰ですか。
ナタリー・ポートマンです。

最も好きな音楽は何ですか。
クラシカル・ロックと日本のポップスです。

好きな画家あるいは芸術家はいますか。
パブロ・ピカソです。

今までで最高の成績は何ですか。
リビアで2004年に行なわれたFIDE世界選手権戦で16強に残ったことです。

今まで対局した試合の中で最高の試合はどれですか。
2007年バルセロナでのクラセンコブとの試合です。

今まで見た中で最高の試合は何ですか。
1999年ヴェイク・アーン・ゼーでのカスパロフ対トパロフ戦です。

大きな影響を受けたチェスの本はありますか。
ボビー・フィッシャーの「My 60 Memorable Games」(忘れ得ぬ60局)です。

チェスの世界最高の国はどこですか。
ロシアです。

過去から現在までで好きなチェス棋士は誰ですか。
ガリー・カスパロフです。

好きなヒーローは誰ですか(チェス意外でも良い)。
慈善の目的で寄付をする人なら誰でも。

今の自分でなかったら誰又は何になりたかったですか。
シェフか映画監督です。

晩餐に三人招待するとしたら誰ですか。
ウォーレン・バフェット、スティーブン・コルベール、スティーブ・ジョブズです。

自分の性格で一番良い所はどこですか。
信念と自身です。

自分の性格で一番悪い所はどこですか。
傲慢な所です。

夢がありますか。
世界チャンピオンになることです。

何か習いたいことがありますか。
スノーボードです。

最も怖いのは何ですか。
失敗することです。

家が火事になったら何を持って逃げますか。
自分のアイポッドです。

どの持ち時間制が良いですか。
現在のFIDE式の90分+30秒累加です。

今から10年後にチェスを指している自分を想像できますか。
はい。しかしコルチノイのように70歳台までチェスを指しているとは思えません。

また米国人の世界チャンピオンを見ることができるでしょうか。
私がなれなければ他の誰も世界チャンピオンになれないでしょう。

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(この号終わり)

2008年01月04日

「ヒカルのチェス」(50)

「Chess Life」2002年6月号

 表紙とその説明

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表紙について・・・
 「ウィーラ・ファミリー」は6-0の成績で大会に優勝した。左上から時計回りにマイケル・エレンボーゲン、アスカ・ナカムラ、スニル・ウィーラマントリそしてヒカル・ナカムラ。

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 2002年2月16日から18日にかけてニュージャージー州パーシッパニーで開催された第26回アマチュア・チーム東部大会でヒカルのチームが優勝しました。

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 チーム戦優勝をめぐる戦いは賞金がかかっていないにもかかわらず熾烈を極めた。平均レイティングが 2100 を超えるチームが30もあった。若いIMのヒカル・ナカムラに率いられた一家チームの「ウィーラ・ファミリー」が6-0で完勝し一位になった。彼らは最終戦で「Hampe Samisch on Rye」チームを3-1で負かした。

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 ヒカル・ナカムラは今年の優勝チームのウィーラ・ファミリーの主将だった。チームのメンバーはヒカル、義父のスニル・ウィーラマントリ、兄のアスカ・ナカムラそれにマイケル・エレンボーゲンだった。ヒカルは5-1の成績だった。次の棋譜でヒカルの黒番での指し回しが見られる。

キングズ・インディアン防御 [E66]
白 FMコンスタンティン・ドルギツァー(ジャララバード・ビショップス)
黒 IMヒカル・ナカムラ(ウィーラ・ファミリー)
米国アマチュア・チーム東部、ニュージャージー州パーシッパニー、2002年

1.Nf3 Nf6 2.c4 g6 3.d4 Bg7 4.g3 O-O 5.Bg2

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5...d6 6.O-O Nc6 7.d5 Na5 8.Nfd2 c5 9.Qc2

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9...a6 10.Nc3 Bd7 11.b3 b5 12.Bb2 Rb8 13.Rae1

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 白は 13.Rab1 と指して本譜の黒の17手目の交換損を牽制するのが普通である。

13...e5 14.Nd1 Nh5 15.f4 Qe7 16.e4 bxc4 17.bxc4 Rxb2!

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18.Nxb2

 18.Qxb2 とクイーンで取ると 18...exf4 19.Qb6 Bd4+ 20.Kh1 Nxg3+! 21.hxg3 fxg3 という変化になる。

18...exf4 19.Nd3

 19.gxf4 は 19...Bd4+ 20.Kh1 Qh4 で次の 21...Ng3+ に対する適当な受けがない。

19...fxg3 20.h3 Bd4+ 21.Kh1

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21...Bxh3! 22.Bxh3 g2+ 23.Kxg2 Qg5+ 24.Kh1 Qh4

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 白の駒は連係が取れなくなっている。

25.Rf3 Nf4 26.Nxf4 Qxe1+ 27.Rf1 Qe3 28.Qd1

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28...Bc3 29.Nb1 Qxe4+ 30.Qf3 Qxf3+ 31.Rxf3

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31...Bg7 32.Nd2 Bh6 33.Bf1 Re8 34.Nb3

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34...Nb7 35.Ng2 Re5 36.Kg1 f5 37.Bd3 Re7 38.Kf2

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38...Nd8 39.Nf4 Bxf4 40.Rxf4 Rb7 41.Ke3 Nf7 42.Na5

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42...Re7+ 43.Kd2 Ne5 44.Rf2 h5

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 白にとっては指すのがつらい局面である。あきらめるには早過ぎるが、そうかといって黒が着々とポーンを進めてくる間に有効な対抗策があるわけでない。

45.Bxf5?

 このポカは追い込まれた状況から早く逃れたいという欲求から指されたとしか説明できない。45.Nc6 の後ならば変化によってはこのような手は駒を精算する強力な道具になる。しかしタイミングを注意深く計らなければならない。45.Nc6 が正着のようである(45.Nb3? h4 46.Nc1 h3 47.Ne2 でナイトを引き戻すのは手がかかり過ぎる)。e5のナイトが扇の要の役割を果たしている。だから白はこの機会を利用して白のナイトとルークを両当たりにするのが良いのである。

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 45...Nxc6(45...Rb7 46.Nxe5 dxe5 47.Bxf5 gxf5 48.Rxf5 h4 49.Rh5 は形勢互角)46.dxc6 Rc7(白はさらにポーンを取られるが代わりに黒ポーンをせき止めるための時間が得られる)47.Ke3 Rxc6

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 48.Kf4(ここで 48.Bxf5 なら以下のように重要なhポーンが取れるので引き分けにできる 48...gxf5 49.Rxf5 Rb6 50.Rxh5 Rb2 51.Rh6 Rxa2 52.Rxd6 a5 53.Rc6 a4 54.Rxc5)Rb6 49.Kg5 Kg7

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 50.Bf1(50.Re2 Kf7 51.Rf2)Rb1 51.Bg2 Rg1 52.Re2(52.Rb2)Kf7 53.Kh6 Kf6 54.Bd5 f4 55.Re6+ Kf5 で形勢不明である。

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45...gxf5 46.Rxf5 Rh7 白投了

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 2001年度(2001年4月から2002年3月)のグランプリの16歳未満でIMナカムラが2位になりました。このグランプリは主要な大会の成績に応じて得点がもらえ年間の総得点で順位が決まる仕組みです。

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(この号終わり)

2008年01月11日

「ヒカルのチェス」(51)

「Chess Life」2002年10月号 (1/3)

 2002年5月23日から27日にかけてイリノイ州オーク・ブルックで開催されたシカゴ・オープンでIMナカムラは5ポイントでオープン部門の8-15位に入賞しました。

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 2002年6月5日から14日にかけてボリビアのラ・パスで開催された汎アメリカ・ジュニア大会にIMナカムラが参加しました。ラ・パスは富士山の高さくらいの所にある都市です。

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 ツァイ、ナカムラがボリビアで活躍

 記 IMジョン・ドナルドソン

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 デンバーは「標高1マイル市」という別称で知られるが、2002年汎アメリカ・ジュニア大会の開催地であるボリビアのラ・パスと比べると海水面程度かもしれない。空港に着陸し息を切らす様を想像してみると良い。それがちょうど汎アメリカ大会米国代表のシンディ・ツァイとヒカル・ナカムラが高度13,600フィートのエル・アルト空港に降り立った時の有様だった。

 これはシンディとヒカルが米国から初めてボリビアでの国際大会に参加した時に遭遇した唯一のめったにない経験ではなかった。米国から20時間かけて着いて6月4日から14日まで毎日彼らは他の都市では味わえない経験をした。対局する時は12,500フィート、寝る時は11,000フィートの所であった。何しろラ・パスは巨大なすり鉢状になっていて各所で高さが異なり最大で1,000メートル以上も差があるのである。街を散策していても三方はいつも上り坂で、20,000フィート近いイリマニ山は地平線にそびえ立っていた。人口約200万のうちほとんどはスペイン語でなくインディオのアイマラ語とケチュア語を話している。

 ラ・パス市では全ての建物が集中暖房とお湯が完備されているというわけではないということに気付かされる。これは夜には気温が華氏40度以下に下がるのだから些細なことではない。

 20歳未満が対象の汎アメリカ・ジュニアと汎アメリカ女子選手権戦はボリビア・チェス連盟が主催した。メキシコのホルゲ・ベガが主審を務めマリオ・イベル・ロペスが審判を務めた。争われたのは国際マスターと女流国際マスターの称号、9試合によるグランドマスターと女流グランドマスターの基準、それから20歳未満の世界ジュニアと世界女流選手権戦への参加権だった。参加者は北・中央・南アメリカから来て汎アメリカ・ジュニアはスイス式、汎アメリカ女流は総当りで行なわれた。

 シンディとヒカルは共に第1位にシードされた。しかし手ごわい参加者、高地への順応(シンディはフロリダ州ゲインズビル、ヒカルはニューヨーク市ホワイト・プレーンズにいて海水面程度の高さで生活している)、腸内細菌叢の問題などでことは簡単に運ばなかった。

(途中省略)

 14歳のヒカル・ナカムラは二つ目のGM基準達成を目指して汎アメリカ大会にやって来た。彼は三者同点で首位になりもう少しのところでGM基準を逃がした。ヒカルの対戦相手の合計得点は、ヒカルと同順位で共にインターナショナル・マスターのラファエル・プラスカ(ベネズエラ)とダニエル・ミエレス(エクアドル)の対戦相手の合計得点を上回っていたが、FIDE方式順位付けの漸進得点法で負けてしまった。9試合のGM基準達成者はプラスカに決まった。ヒカルのGM基準達成の目的はかなえられなかったが、彼の猛勉強の姿勢と闘争心には大いに感心させられた。この二つの特質に明らかな才能が組み合わさっているのだから彼の将来は約束されたようなものである。

 ボリビアの人たちはこの大会への米国の参加をことのほか喜んでくれて我々を居心地良くしてくれた。シンディとヒカルは米国のために素晴らしい大使となって多くの新しい友達を作った。米国チェス連盟と米国チェス信託は米国教育理事のトム・ブラウンズコームと協力して二人の参加と私のコーチの任務を可能にしてくれた。

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(この号続く)

2008年01月18日

「ヒカルのチェス」(52)

「Chess Life」2002年10月号 (2/3)

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 ツァイ、ナカムラがボリビアで活躍(続き)

 記 IMジョン・ドナルドソン

グリューンフェルト防御 [D97]
白 リカルド・ブスタマンテ (2203)
黒 IMヒカル・ナカムラ
汎アメリカ 20歳未満、ラ・パス、2002年

1.Nf3 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.d4 Bg7 5.Qb3

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5...dxc4 6.Qxc4 O-O 7.e4 Na6 8.e5 Nd7

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9.a3?

 このつまらないヘボ手で白は先手の優位を放棄した。9.e6 Nb6 10.exf7+ Kh8 11.Qb3 と厳しく指さなければならない。

9...Nb6 10.Qb3 Be6 11.Qd1 c5

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12.Bxa6 bxa6 13.dxc5 Nd7 14.Be3 Qb8

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15.Qe2?!

 15.O-O とキングを安全地帯に非難させるのが無難だった。黒は 15...Rd8 16.Qe2 Bg4 又は 15...Nxe5 16.Nxe5 Bxe5 と指すことになり互角の形勢である。

15...Nxe5 16.Nxe5 Bxe5 17.Rc1 Rd8 18.b4 Bf5 19.Qxa6

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19...Bd3 20.Qa4 Bxh2 21.b5 Be5 22.Qh4 h5 23.a4

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23...Bf6

 ここは 23...Bxc3+ 24.Rxc3 Qe5 25.Qb4 Qd5 で ...Qxg2 と ...Qa2 を狙うのも強い指し方だった。同様の狙いが少し後の手順に現れる。

24.Qh2 Qc8 25.Qh3 Qc7 26.g4

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26...Bxc3+!

 ヒカルは強力なフィアンケットのビショップを切ってかねてからの狙いを実行に移した。狙うは白キングである。

27.Rxc3 Qe5 28.Rc1 Qb2 29.Qf3 Rd4!

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30.gxh5

 30.Qxa8+ も 30...Kh7 31.Qf3 Qb4+ 32.Bd2 Re4+ で助からない。

30...Qb4+ 31.Bd2 Re4+ 白投了

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2008年01月25日

「ヒカルのチェス」(53)

「Chess Life」2002年10月号 (3/3)

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 ツァイ、ナカムラがボリビアで活躍(続き)

 記 IMジョン・ドナルドソン

シチリア防御 [B30]
白 IMヒカル・ナカムラ
黒 カイセル・マフラ(2071)
汎アメリカ 20歳未満、ラ・パス、2002年

1.e4 c5 2.Nc3

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 この手順はナイドルフ及びドラゴン戦法派の選手にとってはちょっと問題を抱えることになるかもしれない。それらの戦法では2手目に 2...d6 と指す必要がある。2...Nc6 3.Nf3 から 4.d4 という展開はそれらとは異なる開放シチリア防御の定跡になるからである。2...d6 の何が問題かというとグランプリ攻撃 (1.e4 c5 2.Nc3 Nc6 3.f4) に対する最も有力な対策は黒が ...e7-e6 から ...d7-d5 というように1手でdポーンをd5に進ませるのに、2...d6 はその後 ...d6-d5 というように2手かけて進ませることになってしまうからである。

2...Nc6 3.Nf3

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 ヒカルははぐらかしを続ける。黒の手としては 3...e5 もあり得る。しかしそのような静的な指し方は通常はスベシュニコフ戦法派の選手の好むところではない。

3...Nf6

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 これはスベシュニコフ戦法に戻る可能性(4.d4 cxd4 5.Nxd4 e5)のある唯一の手である。しかし実戦は黒がロッソリーモ戦法の良くない変化にはまった形になった。

4.Bb5 Nd4

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 これは 4.Bb5 に対するよくある手である。しかし 4...g6 の方が堅実で白が少し良い程度の形勢だったろう。

5.e5 Nxb5 6.Nxb5 Nd5

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7.Ng5!

 この奇妙な手順(黒が序盤に同じ駒を2度動かし白もそれにならう)が最近 4...Nd4 がはやらなくなった理由である。以前の 7.O-O a6 8.c4 Nb4 なら黒がほぼ互角に指せる。

7...f6

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 d5とf7を同時に攻撃する 9.Qf3 が受けづらい。本譜の手に代わる良い手も見当たらない。

(1)7...Nc7 8.Qh5 g6 9.Qf3 f5 10.exf6e.p. d6 11.Nxc7+ Qxc7 12.O-O Bh6 13.d4 Bxg5 14.Bxg5 h6 15.Bh4 Qc6 16.f7+ Kf8 17.Bxe7+ 黒投了(Yakovich - Reinderman、レーワールデン、1994年)

(2)7...h6 8.Nxf7 Kxf7 9.Qf3+ Ke6 10.c4 Nb6 11.d4 d5 12.dxc5 Nxc4 13.Nd4+ Kd7 14.e6+ Kc7 15.Bf4+ 黒投了(Romero Holmes - Soto Perez、マラガ、1998年)

8.Ne4

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 この手が本筋であるがナイト当たりを無視してすぐに 8.Qf3 と出て次のように短手数で勝った試合もある。8...Nc7 9.exf6 exf6 10.Qe4+ Ne6(10...Be7 11.Nd6+ Kf8 12.Ngf7 黒投了 van der Wiel - Brendel、ドイツ、1997年)11.Nxh7 Rxh7 12.Qg6+ Ke7 13.Qxh7 Kf7 14.O-O d5 15.d3 Bd7 16.Nc3 Bc6 17.f4 Nd4 18.Rf2 Qe7 19.Bd2 Nxc2 20.Rc1 Nd4 21.Re1 Qd7 22.f5 Be7 23.Ne2 Nc2 24.Rc1 Nb4 25.Nf4 黒投了(Glek - Hartvig、コペンハーゲン、1996年)

8...a6

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 7.Ng5 の威力の最初の戦果は元世界選手権者ミハイル・タリの圧倒的な指し回しに見られる。8...f5 9.c4 Nc7 10.Nxc5 Nxb5 11.cxb5 Qb6 12.d4 Qxb5 13.Nd3 e6 14.O-O Be7 15.a4 Qc4 16.Be3 O-O 17.Rc1 Qa6 18.d5 b6 19.dxe6 dxe6 20.Qb3 b5 21.axb5 Rb8 22.Rc7 Rxb5 23.Qc2 黒投了(タリ - Mnatsakanian、エレバン、1986年)

9.Nbc3

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9...e6?

 序盤の手順の難しさの中で出たこの悪手で黒は敗勢になった。9...Nxc3 なら不利を最小限に留めることができた。

10.Qh5+ g6 11.Qf3 fxe5 12.Nxd5 exd5 13.Nf6+ Kf7

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14.Nxd5+

 14.Nxh7+ Kg7 15.Nxf8 Rxf8 16.Qxd5 d6 17.d3 と指すのも有力だった。

14...Kg7

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15.h4!?

 ヒカルらしい一番厳しい手である。15.O-O d6 16.d3 でも少しの優勢をずっと維持することができる。

15...h5

 この手は指したくないがこれに代わる良い手も見つからない。(15...Be7 は 16.h5 g5 17.h6+ で必勝形である。)

16.d4!

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16...Be7

 16.d4! の意図はできるだけ早く Bg5 と出せるようにすることである。例えば 16...exd4 と取ってくれれば 17.Bg5 Qe8+ 18.Kd1 で黒に受けがなくなる。

17.dxe5 Bxh4

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18.Qe4

 18.Bf4 Re8 19.O-O-O でも良い。このへんの指し方は好みの問題である。

18...Bg5 19.Bf4 Bxf4 20.Nxf4 Qg5 21.O-O-O Rf8

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22.g3 a5 23.Qe3 Qf5 24.Rd6 Ra6 25.Rhd1 Re8

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26.Nxg6 Rxd6 27.Rxd6 Re6 28.Ne7 Rxe7 29.Qh6+ 黒投了

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 1.e4 c5 2.Nc3 Nc6 3.Nf3 e5 は次の本で16ページに渡って詳しく解説されています。

「Starting Out: Sicilian Sveshnikov」Chapter 8 The Anti-Sveshnikov
IM John Cox 著、Everyman Chess 発行、2007 年初版

(この号終わり)

2008年02月01日

「ヒカルのチェス」(54)

「Chess Life」2003年1月号 (1/4)

 2003年8月8日から11日にかけてマサチューセッツ州のスターブリッジ(Sturbridge)で開催された第32回コンチネンタル・オープンでIMナカムラが優勝しました。

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 スターブリッジでの大活躍

・・・・・

 オープン部門の参加者は48名でその内グランドマスターは13名だった。しかし0.5点の差(6試合で5.5点)で単独優勝したのはGMではなく開始順位11位で14歳のIMヒカル・ナカムラだった。彼は昨年は素晴らしい活躍を見せ、IMの称号を獲得しGM基準を1回達成した。しかしスターブリッジでの成績は過去最高のものだろう。

 2戦2勝の後の対戦相手はGMアレックス・ストリプンスキーだった。ヒカルはルーク+ビショップ対ルークのエンディングを強固な意志で長手数の154手で勝ち切った。

 次の対戦相手は手強い二人のGMだった。一人はペンシルバニア州のアレックス・シャバロフでもう1人は常連で米国の選手になりかけているチェコのパベル・ブラトニーだった。ナカムラはこの二人に対して見事なチェスを指し共に倒した。その2局をナカムラの自戦解説でおおくりする。

グリューンフェルト防御 [D85]
白 GMアレックス・シャバロフ
黒 IMヒカル・ナカムラ
コンチネンタル・オープン、2002年

自戦解説 IMヒカル・ナカムラ

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.cxd5 Nxd5 5.e4 Nxc3 6.bxc3 Bg7 7.Nf3 O-O

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8.Be2 c5 9.Rb1 Nc6 10.d5 Ne5 11.Nxe5 Bxe5 12.Qd2 e6 13.f4 Bg7 14.c4 b6

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15.O-O?!

 ここから白が苦しい展開になった。15.Bb2!? が良かった。

15...exd5 16.cxd5 Bd4+ 17.Kh1 f5!

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 黒は中原から反攻を始める。

18.e5

 18.Bd3 と一旦守っても 18...fxe4 19.Bxe4 Bf5 20.Qd3 Qd7 でやはりdポーンは守れない。

18...Qxd5! 19.Bf3 Qc4 20.Bb2 Rb8

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21.Rbc1

 シャバロフは新しい手を試してきた。これまでは 21.Bxd4 が指されていた。

21...Qxa2 22.Rc2 Qf7 23.Bxd4 Rd8! 24.Rb1 Rxd4 25.Qe3

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25...Qe7?!

 勝利への最も確実な手は 25...Bb7 26.e6 Qe7 27.Bxb7 Rxb7 だった。

26.Qa3!? Be6 27.Rxc5 Re8 28.Rc3 Rxf4

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29.Qc1 Rd4 30.Qe3 Red8 31.Rbc1 Kg7 32.h3 f4?

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 この手はポーンの結び付きを弱める悪手だった。

33.Rc7! R8d7 34.Qxd4 Rxc7 35.Rxc7 Qxc7 36.Qxf4 Qe7 37.Qa4 a5

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 a列のパスポーンを進ませるためにbポーンは捨てるつもりだった。

38.Qc6 h5 39.Qxb6 a4 40.Qa5 a3 41.Bd5 Bxd5 42.Qxd5 Qa7 43.Qa2

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 37...a5 と指した時この展開を読んでいて黒が勝てるのではないかと思っていた。

43...h4 44.Qe6 Qf7 45.Qa6 a2 46.Kg1 Qd5 47.Qf6+ Kh7

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48.Qe7+

 48.Qxh4+ とポーンを取るのは 48...Kg8 49.Qa4 Kf7 で白が負ける。

48...Kg8 49.Qe8+ Kg7 50.Qe7+ Qf7 51.Qa3 Kh7 52.Qa4 Qd5 53.Qxh4+ Kg8 54.Qa4

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54...Kg7?

 54...Kf7! 55.Qf4+ Ke8 56.Qa4+ Ke7 57.Qa7+ Ke6 58.Qa6+ Kxe5 で黒の勝ちだった。

55.Kh1 Qd2 56.Kh2 Qf2 57.h4 Kf7 58.Qd7+ Kg8 59.Qe8+ Kg7 60.Qa4 Kf8

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61.e6??

 白は黒クイーンのためにh2-b8の筋を通して引き分けを逃がしてしまった。正着は 61.Qb4+ で以下 61...Kf7 62.Qc4+ Ke7 63.Qb4+ Kd7 64.Qd6+ Kc8 65.Qc6+ Kb8 66.Qd6+ Kb7 67.Qb4+ Kc6 68.Qc4+ Kd7 69.Qd5+ で引き分けだった。

61...Qd2!

 ただし 61...Qb2? は誤りで 62.Qf4+!(62.Qd7 は 62...Qe5+ 63.Kh3 Qf5+ 64.Kg3[64.Kh2 Qf4+ 65.Kh3 a1=Q 66.e7+ Kg7 67.e8=Q+ Kh6 68.Qd1! は引き分け]Qe5+ 65.Kh3 Qf5+ で引き分け)Kg7 63.e7 Qe2 64.Qf8+ Kh7 65.e8=Q Qxe8 66.Qxe8 a1=Q 67.Qe7+ で黒の方が引き分けを目指さなければならない。

62.Qa3+ Ke8 63.Kh3 Qd5 64.Qa6 Ke7 65.Qa7+ Kxe6

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66.Qe3+ Kf7 67.Qa7+ Kg8 68.Qb8+ Kg7 69.Qa7+ Qf7 70.Qd4+ Kh7 71.Kh2? Qg7! 白投了

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 万事休す。

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(この号続く)

2008年02月08日

「ヒカルのチェス」(55)

「Chess Life」2003年1月号 (2/4)

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 スターブリッジでの大活躍(続き)

2ナイトのタンゴ [A50]
白 IMヒカル・ナカムラ
黒 GMパベル・ブラトニー
コンチネンタル・オープン、2002年

自戦解説 IMヒカル・ナカムラ

1.d4 Nf6 2.c4 Nc6

 ブラトニーは変則定跡で好成績を収めてきた。

3.Nf3 e6 4.a3!? d5

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5.e3

 カスパロフが1996年のエレバン・オリンピアードでの対イェルモリンスキー戦で 5.Nc3 と指している棋譜を後で見つけた。

5...g6 6.Nc3 Bg7

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7.Bd3

 これまで指されていた手は 7.Be2 と 7.b4 である。

7...O-O 8.b4 dxc4 9.Bxc4 Qe7 10.Bb5 Bd7 11.e4

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11...e5!

 11...a6 と催促するのは 12.Bxc6 Bxc6 13.Qe2 で白が優勢である。

12.d5

 この手が最善の応手である。12.Bxc6 と取るのは 12...Bxc6(12...exd4? は 13.Bxd7 dxc3 14.Ba4 Qxe4+[14...c2 は 15.Qxc2 Nxe4 16.O-O! Bxa1 17.Re1 f5 18.Qa2+]15.Be3 Ng4 16.Qe2 で白が優勢である)13.d5 Bd7 14.Be3 Ne8 15.Nd2 f5 16.f3 で互角の形勢である。

12...Nd4 13.Bxd7 Nxf3+ 14.Qxf3 Qxd7

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15.Be3 Ne8 16.Qe2 Nd6 17.O-O f5 18.f3

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 局面は白枡ビショップが交換で無くなっているがキングズ・インディアン防御の戦型に似ている。

18...Rf7 19.Rfc1 h5 20.a4

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20...a6

 黒はc5の地点を 20...b6 で守った方が良かった。

21.b5 Kh7 22.bxa6

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22...bxa6

 22...Rxa6 とルークで取り返すのは 23.Nb5 でやはり白からクイーン翼に重圧がかかる。

23.a5 f4 24.Bf2 g5 25.Na4

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 このナイトはc5からe6の地点を目指している。

25...g4 26.Nc5 gxf3 27.gxf3 Qh3

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 黒のキング翼での攻撃は危険に見えるがクイーンを支援する他の駒がほとんどないので実際は大したことがない。

28.Kh1 Bf6 29.Ne6 Rg8 30.Rg1 Rb8 31.Rab1 Nb5

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 黒はb列を明け渡すわけにはいかない。

32.Qd3 Kh8 33.Rg6 Rg8 34.Rxg8+ Kxg8 35.Rxb5!

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 このルーク切りが決め手である。白のa列のパスポーンはただでは止められない。

35...axb5 36.a6 c5 37.Bxc5 Bh4 38.a7 Rxa7 39.Bxa7

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39...b4 40.Bg1 b3 41.Qxb3 Qf1 42.Qb8+ 黒投了

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 黒がどう逃げても詰みである。42...Kh7 は 43.Qc7+ Kg6 44.Qg7#、42...Kf7 は 43.Qf8+ Kg6 44.Qg7# までである。


 彼は0.5ポイントのリードで6回戦を迎えワールド・オープンの優勝者でポーランド出身のIMカミル・ミトンと黒で対戦し引き分けることができた。その試合は序盤が面白くてどちらが勝ってもおかしくなかった。

 5.5ポイントでヒカルが優勝賞金3,500ドルを手にした。GM基準には最低9試合が必要なのでそれは合致しなかった。しかしこの成績は最近の米国の若者の成績の中で最も素晴らしいものの一つであろう。

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(この号続く)

2008年02月15日

「ヒカルのチェス」(56)

「Chess Life」2003年1月号 (3/4)

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 スターブリッジでの大活躍(続き)

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チェス一家のヒカル・ナカムラ

 コンチネンタル・オープンで優勝しGM3人を破り2766の実効レイティングをあげたのにこの14歳のIMの言うことにはこれまでの最高の成績ではないと言う。最初の(そしてまだ唯一の)GM基準を達成したバーミューダ・オープンでは4人のGMを破ったそうだ。

 ヒカルによれば本大会中の一局のアレックス・シャバロフ戦では序盤で圧倒しながらその後優勢を失い相手の時間切迫でやっと勝ったのだそうだ。他方最終戦のカミル・ミトン戦では優勢を維持し1時間も時間で勝っていたが引き分けにした。それで十分だった。

 この若いスターは義理の父親で著名なスニル・ウィーラマントリからチェスのコーチを受け、元公立学校教師で母親のキャロリン・ウィーラマントリから自宅学習を受けている。通常の学校のスケジュールの制約がないのでより多くの大会に参加することができるのである。しかし彼はコンチネンタル・オープンより一週間弱前に終了したU.S.オープンは見送っていた。明らかにこの休養と勉強が良い結果につながった。

 ヒカルはまだチェスのプロになりたいのかどうか確信がない。もっとも1年以内にGMの称号を取るようなことがあればそうなるかもしれないとは認めている。(半月後のサンフランシスコの大会で0.5点の差で二つ目のGM基準達成を逃がした。)彼はチェスを芸術というより「頭脳スポーツ」と考えている。そして戦術の方が好きである。

 5年前家族の中で注目のスターは兄のアスカ(現在16歳)だった。10歳でマスターになった弟に抜かれるのは面白くなかっただろうが二人の仲は良い。(アスカは昨年のU.S.ジュニア招待大会で弟と対局しなければならず負かされて残念な気持ちを味わった。)家族の中のもう1人のチェス選手についてはヒカルは義理の父を負かすことについてそうしたくない心境だったことを認めている。「でもIMになった時僕は迷いなく勝てると分かった。」

 スニルは後にヒカルの才能は必ずしも誰の目にも明らかだったわけではないと私に語ってくれた。1995年に家族でU.S.オープンに行った時スニルはアスカと自分の対局に集中するためにヒカルを自由対局室に置いていた。その部屋でオスカー・タンから戦術についての即席の手ほどきを受けた後ヒカルの才能は目覚め始めた。それからまもなく彼は手に乗るコンピュータで一日に十何局もチェスを指すようになった。そして今日の彼を有らしめている能力と決断力の結合したものをしばしば見せ付けるようになった。例えば彼は棋譜を覚えておき先後を違えてコンピュータが指したのと同じ手順を試していた。しばらくしてスニルは息子が貴重な棋譜を自分に与えてくれていることに気がついた。あこがれていた世界記録のギネスブックの米国最年少マスターの認定でビナイ・バットの記録を破れなくてもヒカルの決意は強まるばかりだった。

 チェス以外好きなことはテニスと野球をすること(野球は見るのも好きでヤンキースのファンである)、シャーロック・ホームズなどの推理小説を読むこと、それからアクション映画を観ることである。音楽(チェスの能力と関連が深い)について尋ねるとトランペットを吹いていたとのことだった。テキサスとダラスの両大学の奨学金と高校卒業時には恐らくサムフォード給費がもらえるので何をしようと彼の前途は洋々である。父親兼コーチもそれを誇らしく見守っている。

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(この号続く)

訳注 自宅学習(home schooling)について小学館のランダムハウス英和大辞典第2版に次のような説明があります。『「教員」の有資格者が家庭に子供たちを集めて教育すること:反学校教育の一種。米国の教育者H.Holtが提唱したGWS(growing without school学校へ行かなくても成長する)運動と相まって広がりつつある。認定によって「学校卒業」とみなされるため、学校信仰に疑問を持った親たちが支持している。』

2008年02月22日

「ヒカルのチェス」(57)

「Chess Life」2003年1月号 (4/4)

 2002年9月4日から15日までサンフランシスコでイムレ・ケーニッヒ記念大会が開催されました。IMナカムラは9戦5点で2-5位になりましたが惜しくもGM基準には届きませんでした。

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解説 GMジョン・フェドロウィッツ

 GM基準達成に2連勝が必要なナカムラは昔からある込み入った戦型を採用した。

現代ベノニ [A66]
白 IMヒカル・ナカムラ
黒 GMニック・ド・ファーミアン
サンフランシスコ、2002年

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 c5

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 ニックは最初もっと堅実なニムゾ・インディアンを指すつもりだった。ところが対局中に気が変わった。ベノニを指す人はこの手順を好む(1.d4 Nf6 2.c4 c5 でなく)。理由は 1.d4 Nf6 2.c4 e6 の後 3.Nc3 なら 3...Bb4 と指し、3.Nf3 なら 3...c5 でベノニに移行して本局のような大乱戦を避けることができるからである(先にナイトがf3に跳んだのでポーンを f4 と突けないから)。

4.d5 exd5 5.cxd5 d6 6.e4 g6 7.f4

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 これが昔からあるとびきり激しいミケナス戦法である。

7...Bg7 8.e5

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 賽(さい)は投げられた。

8...Nfd7 9.Ne4 dxe5 10.Nd6+ Ke7

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11.Nxc8+ Qxc8 12.Nf3 Re8 13.fxe5

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13...Kf8?

 この局面の時私はニックがもう1時間以上時間を使っていることに気が付いた。これは彼が堅実な手順を見つけられないでいた証拠である。イバニセビッチ対チャン・チョン戦(1997年ハンガリー)では 13...Nxe5! 14.Bb5 Nbd7 15.Nxe5 Kf8 16.O-O Rxe5 17.Bf4 c4 で黒が良かった。

14.e6 fxe6

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15.dxe6!

 この手は多分新手である。ブコビッチ対ペトロシアン戦(1980年バルセロナ)では 15.d6 Kg8 16.Bc4 Nc6 17.O-O Nb6 18.Bb3 Nd4! と進んで黒の優勢だった。ペトロシアンがベノニを指していたとはこれまで知らなかった。

15...Rxe6+ 16.Be2 Qe8 17.O-O!

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 黒は白からの色々な狙いに直面している。

17...Rxe2 18.Nd4+ Kg8 19.Nxe2

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 黒は駒割ではそれほど悪いわけではないのだが、キングの安全と駒の働きに問題がある。

19...Nc6 20.Bd2 Nb6 21.Bc3 Rd8

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22.Qe1 Ne5 23.Qh4 Nd5 24.Rad1!

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 この強制的な手が勝着である。黒は至る所釘付けになっている。

24...Rd7 25.Bxe5 Qxe5 26.Nc3 Nf6

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27.Rxd7 Nxd7 28.Qd8+ Nf8 29.Nd5!

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29...Qd4+ 30.Kh1 h5 31.Nf6+

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31...Kh8

 31...Bxf6 は 32.Qxf6 Qxf6 33.Rxf6 Kg7 34.Rd6 でルークにクイーン翼ポーンを掃討される。

32.Nd7!

 このかねての狙いの一撃で締めくくりとなる。

32...Qc4 33.Rxf8+ Kh7

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34.h4 Bxf8 35.Nxf8+ Kg8 36.Nd7+ Kh7 37.Qe7+ 黒投了

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 [本文記事より]イムレ・ケーニッヒ (Imre König) は1901年にハンガリーのクラ (Kula) に生まれ、住んでいた土地がユーゴスラビアに割譲された時ユーゴスラビア市民となった。チェスに熟達してからは1931,35,36年にユーゴスラビアのチェス・オリンピアードの代表となった。1953年に米国に移住しその後サンフランシスコに定住した。そこで多くの知己を得、今でも愛され追憶されている。1992年9月に死去した。

 本局は次の本の120ページ白の15手目の解説中で参考棋譜として白の19手目まで引用されています。
「Starting Out: Modern Benoni」Endre Vegh 著、Everyman Chess 発行、2004 年初版

(この号終わり)

2008年02月29日

「ヒカルのチェス」(58)

「Chess Life」2003年2月号

 2002年10月18日から20日までネバダ州レノでウェスタン・ステーツ・オープンが開催されIMナカムラは2-8位に入賞しました。

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 1月号掲載のイムレ・ケーニッヒ記念大会で優勝したアコビアンのインタビューと棋譜解説の記事があり、3局の棋譜の一つが対IMナカムラ戦でした。

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フランス防御 [C10]
白 IMヒカル・ナカムラ
黒 IMバルージャン・アコビアン
イムレ・ケーニッヒ記念、サンフランシスコ、2002年

1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nc3 Nf6 4.Bg5 dxe4 5.Nxe4 Nbd7 6.Nxf6+ Nxf6 7.Nf3 h6

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8.Be3

 8.Bh4 c5 や 8.Bxf6 Qxf6 9.Bd3 Bd6 10.O-O O-O もある。

8...Nd5 9.Bd3 Nxe3 10.fxe3 Bd6

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11.e4

 11.O-O Qe7 12.c3 Bd7 13.Qb3 O-O-O は互角である。

11...e5! 12.dxe5

 12.Nxe5 Bxe5 13.dxe5 Qg5 又は 12.c3 exd4 13.cxd4 Bb4+ 14.Kf2 O-O 15.Rf1 Bg4 は黒も指せる。

12...Bc5

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13.Bc4

 13.Bb5+ c6 14.Qxd8+ Kxd8 15.Bc4 Ke7 は形勢互角である。

13...Qe7 14.Qd2 O-O 15.O-O-O c6 16.Rhf1 b5 17.Bb3 a5

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18.a3

 18.c3 a4 19.Bc2 Be6 20.Kb1 b4 と 18.a4 Ba6 19.Rh1 Rfd8 は黒の2ビショップが働き出す。

18...a4 19.Ba2 b4 20.axb4

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20...a3!?

 20...Bxb4 21.c3 Bc5 22.Nd4 Bg4 23.Rde1 a3 は黒が少し良い。

21.b3?

 代わりに 21.c3? も 21...axb2+ 22.Qxb2 Be6 23.Bxe6 Qxe6 24.bxc5 Rfb8 25.Nd4 Qc4 26.Qc2 Ra1+ 27.Kd2 Ra2 で良くない。白はもっと踏み込んで 21.bxc5! と指すべきだった。これに対して黒は 21...axb2+ 22.Kxb2 Qa7 23.Bb3 Qa3+ 24.Kc3 Qa5+ 25.Kb2 Qa3+ と指すくらいである。

21...Bxb4 22.c3

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22...Ba5

 もっと強い 22...Qc5! を見逃した。以下 23.Kc2 Ba6 24.Rfe1 Rad8 25.Qe3 Rxd1 26.Qxc5 Bd3+ 27.Kxd1 Bxc5 28.Nd4 Bxd4 29.cxd4 Rd8 30.d5 cxd5 31.exd5 Rxd5 となる。

23.b4?!

 23.Qd6 Qa7 24.b4 Ba6 25.e6 Bxf1 26.Rxf1 Rad8 27.exf7+ Kh8 なら形勢不明だった。

23...Bc7 24.Nd4 Qxe5

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25.Nxc6

 25.Rxf7 は 25...Rxf7 26.Rf1 Be6! 27.Bxe6 Qxe6 28.Nxe6 Rxf1+ 29.Kc2 a2 30.Qd7 Rc1+ 31.Kd2 Rd1+ 32.Kxd1 a1=Q+ で黒が勝つ。

25...Qe8

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26.Nd4

 26.b5 Bg4 27.Rde1 Bxh2 28.e5 Bg3 29.Re4 Be6 は形勢不明である。

26...Bg4 27.Rde1 Be5 28.h3 Be6 29.Nxe6 fxe6

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30.Rf5

 白は 30.Rxf8+ Kxf8 31.Rf1+ Kg8 でも何も得られない。

30...Bf6

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31.Kb1

 31.Qd6 は Kh7 32.Qxe6 Bxc3 33.Qxe8 Rfxe8 34.Re2 Bxb4 で白がポーンを返すことになる。

31...Kh8 32.Rf3 Be5

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33.Rd1

 33.Rxf8+ は 33...Qxf8 34.Qd3 Rc8 35.Rf1 Qe8 36.Bc4 Qc6 となる。

33...Qc6

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34.Rd3

 34.Qd7 Qxe4+ 35.Qd3 Qh4 36.Qc4 Qg5 37.Qg4 Qxg4 38.hxg4 Rxf3 39.gxf3 Bxc3 は黒が少し良い。

34...Rac8

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35.c4

 35.Qe3 なら黒は 35...Qa4 36.Rg1 Rc6 37.g4 Rfc8 でさらに圧力を強める。

35...Qb6! 36.c5 Rxc5 37.Rxa3 Rcc8 38.Rd3

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38...Kh7!

 38...Rf2 39.Rd8+ Kh7 40.Rxc8 Rxd2 41.Rxd2 Qxb4+ 42.Kc2 Qa4+ 43.Bb3 Qxe4+ はあまりはっきりしない。

39.Rb3 Rf2 40.Qd3 Rxg2 白投了

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(この号終わり)

2008年03月07日

「ヒカルのチェス」(59)

「Chess Life」2003年3月号

 米国の玩具メーカーのプレスマン(Pressman)の後援で青少年(18歳以下)の全米代表チームが毎年選ばれます。IMナカムラが14歳の最低レイティング2150を楽々とクリアして選ばれています。11回目の今年は全部で35人が選ばれました。

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好きな科目 社会科
趣味 読書、テニス
将来の目標 GMになること

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(この号終わり)

2008年03月14日

「ヒカルのチェス」(60)

「Chess Life」2003年5月号

 シアトルで開催された米国選手権戦(9回戦、58名)でIMナカムラは5.5点で9-17位になりました。

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米国の最年少グランドマスター?

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 ニューヨークのホワイト・プレーンズに住むヒカル・ナカムラはChess Life誌の読者にとって見知らぬ人間でない。彼は米国チェス史上最年少の国内マスターになった後1998年5月号の表紙を(義父でコーチのFMスニル・ウィーラマントリと共に)飾った。その後彼はレイティング試合でグランドマスターを破った最年少の選手と最年少の米国人IMになった。一連の全国学校生大会のタイトルを取ったし2001年には米国ジュニア選手権も獲得した。

 彼は2001年10月号のChess Life誌の表紙に載ったしブライアン・キリグルーの「チェスのプロフィール」にも採り上げられた。後に義父、兄及び友人と組んで米国アマチュア・チーム東部大会で優勝しまたも2002年6月号のChess Life誌の表紙に載った。

 もっと最近ではヒカルはボビー・フィッシャーの記録を破って米国最年少GMになることが確実になっている。ヒカルは1987年12月9日の生まれである。15歳1ヶ月27日の時に2003年2月5日のバーミューダ国際チェス祭りで三度目かつ最終のGM基準を獲得した。ボビー・フィッシャーは1943年3月9日の生まれで15歳6ヵ月1日の時に1958年9月10日のユーゴスラビアのポルトローシュでのインターゾーナル大会でグランドマスターの称号を獲得した。

 ヒカルの最初のGM基準獲得は2002年バーミューダのサウサンプトンでのバーミューダ国際チェス祭りだった。2番目のGM基準は2002年にドミニカ共和国のサントドミンゴで開催されたロス・インモルタレスⅣ大会だった。しかしFIDEからの知らせによるとロス・インモルタレスⅣ大会のレイティング報告に問題があるとのことである。本号の印刷時にはそのGM基準はまだ承認できないそうである。

 この問題は細かい手続き上の問題であると確信している。ヒカルが明らかに獲得した記録を逃がすことはないであろう。バーミューダ大会の全容を特集する予定の6月号が読者の手元に届く時までにはこの問題は解決しているに違いない。

 バーミューダ国際B大会はカテゴリーⅩで、1月25日から2月5日までバーミューダのサウサンプトンで12人の総当りで行なわれた。ナカムラは7.5-3.5の成績で単独2位だった。ラトビアのGMダニエル・フリッドマンが8-3の成績で優勝した。ナカムラによるとこの大会での最高の試合は第3回戦のスペインのIMハビエル・モレノ・カルネロ戦でだった。

キング翼インディアン防御 [E97]
白 IMヒカル・ナカムラ
黒 IMハビエル・モレノ・カルネロ
バーミューダ国際大会、2003年

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 Bg7 4.e4 d6 5.Nf3 O-O

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6.Be2 e5 7.O-O Nc6 8.d5 Ne7 9.b4 Nh5 10.Re1 a5

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11.bxa5 f5 12.Nd2 Nf4 13.Bf1 fxe4 14.Nb3 Nd3 15.Bxd3 exd3

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16.Ne4 c5 17.Qxd3 h6 18.Bd2 Nf5 19.Rab1 g5 20.Nc1 Ra6

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21.f3 Nh4 22.Ne2 Rf7 23.N2g3 Bf8 24.Rb5 Be7 25.Reb1 Qf8

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26.Rb6 Ra8 27.R1b3 Qd8 28.Qb1 Bf8 29.Be1 Ra7 30.Ra3 Ra8

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31.Nf1 Nf5 32.Ne3 Nd4 33.Nxd6 Bxd6 34.Qg6+ Rg7 35.Qxd6 Qe8

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36.Qxh6 e4 37.fxe4 Qxe4 38.Qh5 Bf5 39.h3 Rf8 40.Bg3 g4

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41.Rh6 Bh7 42.Nxg4 Nf5 43.Rf3 Rxg4 44.Rxh7 黒投了

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(この号終わり)

2008年03月21日

「ヒカルのチェス」(61)

「Chess Life」2003年6月号

 2003年2月15日から17日にかけてニュージャージー州パーシッパニーでアマチュア・チーム東部大会が開催されました。

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ブリッツ試合をしているヒカル・ナカムラ

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(この号終わり)

2008年03月28日

「ヒカルのチェス」(62)

「Chess Life」2003年7月号 (1/2)

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バーミューダの20周年 ナカムラにげんの良い場所

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 全員GMの大会と並行して12人による第10等級の大会が若手選手にGM基準獲得のチャンスを与えるために企画された。バーミューダの大会はIMナカムラがちょうど1年前に初めてのGM基準を獲得した大会で、ボビー・フィッシャーの長年保持している米国最年少GMの記録を破りたがっていた。

 IMナカムラは参加12人中第4位のランクで第2回戦では最下位ランクの選手に負けたが絶体絶命の最終2局を勝って最後のGM基準を獲得しGMの称号を得た。常に強い意志を持ち盤上では全力を尽くし大きなプレッシャーの下でも冷静さを保った。

 彼は数週間前の米国選手権戦では半点差でGM基準を逃がし米国記録を破る機会は過ぎるかもしれなかった。しかし彼は重大な試合を乗り越えた。

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 この大会の翌日(2月6日)のカクテル・パーティーの後でブリッツ大会が開催された。称号保持者12名を含む36人が参加しIMナカムラは8.5-1.5で優勝し600ドルを獲得した。

 さらに翌日(2月7日)の夕刻からは恒例の5回戦オープン大会が開催された。

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シチリア防御 [B80]
白 IMマイケル・ムルヤル
黒 IMヒカル・ナカムラ
GM-B、バーミューダ、2003年

解説 IMヒカル・ナカムラ

1.e4

 すべてはこの一局にかかることになった。三度目のそして最後のGM獲得には本局に勝たなければならなかった。

1...c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 a6 6.Be3 e6 7.Qf3 Nbd7 8.Be2

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8...Qc7

 ガリー・カスパロフは2002年リナレスでのマイケル・アダムズ戦で 8...h5 と指した。その試合は 9.Bg5 Qa5 10.Bd2 Qb6 11.Nb3 Qc7 12.a4 b6 13.Bg5 Bb7 14.Rd1 Be7 15.Qe3 Nc5 16.Nd2 Rd8 17.O-O Ng4 18.Bxg4 hxg4 19.Bxe7 d5 20.Qg3 Qxg3 21.fxg3 Kxe7 22.exd5 exd5
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と進み互角の局面だった。

9.O-O-O

 最近のアダムズ対サシキラン戦(ブレッド・オリンピアード、2002年)では 9.g4 Ne5 10.Qg2 d5 11.g5 Nxe4 12.Nxe4 dxe4 13.O-O-O Nc4 14.Qxe4 Nxe3 15.fxe3 Be7
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と進み白がわずかに優勢だった。

9...b5 10.a3 Bb7

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11.Bg5

 ムルヤルの方から定跡手順を変えてきた。これまでの手はカルカ対フターチニク戦(ドイツ、1993年)のように 11.Qh3 だった。

11...Rc8 12.Bd3 Be7 13.Qg3

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13...Qd8

 13...d5 で相手にクイーン交換の機会を与えたくなかったのでクイーンを引くことにした。もちろん手損になることは不満だった。相手がこれに付け込む手を見つけなかったことは幸運だった。

14.Bd2 Ne5

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15.Kb1

 15.Qxg7? は 15...Nxd3+ 16.cxd3 Rg8 17.Qh6 Rxg2 で黒の駒を働かせる手伝いをするだけである。

15...O-O

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16.h4

 16.Bh6? は 16...Nfg4 で逆ねじをくらう。

16...Nfd7 17.Bg5!

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17...Rxc3!?

 このような局面でのよくある交換損である。しかし結果は読み切ることが難しい。勝つつもりなら何らかの危ない橋を渡らなければならないことを知っていた。相手は最近キング・ポーン布局に転向したばかりなので経験不足を利用できるかもしれないと期待した。

18.bxc3

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18...Nb6?!

 18...Nc5 の方が正確な手だった。

19.Bc1?

 これは受け一方である。19.f4 Nec4 20.Ka2 なら白にも攻撃のチャンスがある。

19...Na4 20.Ne2 Qc7 21.f4 Nd7 22.Qe3 Bf6

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23.Bd2

 23.e5?? は 23...dxe5 24.Bxh7+ Kxh7 25.Qd3+ e4 26.Qxd7 Nxc3+ 27.Nxc3 Qxc3 で負ける。

23...Rc8 24.g4 d5

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25.e5

 25.Rhe1!? が面白い手だった。

25...Be7 26.Bc1 d4 27.cxd4 Bxh1 28.Rxh1 b4!

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 白キングが薄いので黒が非常に有望である。

29.Qe4 g6

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30.Ka2

 30.h5 は 30...bxa3 31.hxg6 Rb8+ 32.Ka2 Qb6 で黒が勝つ。

30...bxa3

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31.f5

 白は 31.h5 と指すべきだった。しかし 31...Nac5! 32.dxc5 Nxc5

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の後黒は優勢な収局に持って行くことができる。例えば

A)33.Qf3 Nxd3 34.Qxd3(34.cxd3 は 34...Qc2+ 35.Ka1 Rb8 で黒の勝ち)34...Qxc2+ 35.Qxc2 Rxc2+
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B)33.Qc4 Nxd3 34.Qxc7(34.cxd3 は 34...Qb7 35.Qe4 Rc2+ 36.Ka1 Rxc1+ 37.Rxc1 Qb2# で詰み)34...Nxc1+ 35.Rxc1 Rxc7
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31...Rb8

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32.c4

 32.fxg6 が一見怖そうに見える。しかし 32...Qb6 と強く反撃すれば黒が優位に立てる。33.gxf7+ Kxf7(33...Kf8 は 34.Bh6+ Kxf7 35.Qf4+ Ke8 36.Qc1 Qc6 37.Rh3! で良くない)34.Qxh7+(34.Bxa3? なら 34...Bxa3 35.Qxh7+ Ke8 36.Qg6+ Kd8 で黒の勝ち)34...Ke8 35.Qxe7+! Kxe7 36.Bxa3+ Kd8 37.h5 Qb7 38.Rf1 Nb2
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で黒の勝勢である。

32...Ndc5!!

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 白の防御陣を壊滅させる駒捨てである。

33.dxc5

 駒捨てを拒否しても 33.Qf3 Nxd3 34.Qxd3 Nb2 35.Qc2 Nxc4 で受けにならない。

33...Nxc5

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34.Qf3

 白は黒が ...Qb7 と指せないように自分のクイーンを対角筋に留めなければならない。...Qb7 はb列での狙いとh1のルーク取りがある。34.Qe3 は 34...Qb7 35.Bc2 Qxh1 36.f6 Bf8 37.Bxa3 Qe1 で敗勢である。

34...Qxe5!

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35.Bxa3

 ...Rb2+ を防ぐにはこの手しかない。

35...Nxd3 36.Qxd3 Bxa3

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37.Nc3

 37.Qxa3 は 37...Qxe2+ 38.Ka1 Qxc4 で全然だめである。

37...Qa5! 38.Qc2 Rb2+ 39.Qxb2 Bxb2+ 40.Kxb2 Qb4+ 白投了

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 ついにグランドマスターの称号が獲得できてとても嬉しかった。

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(この号続く)

2008年04月04日

「ヒカルのチェス」(63)

「Chess Life」2003年7月号 (2/2)

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 ヒカル・ナカムラはチェス界の王子様

 ロバータ・ファインバーグ

 ニューヨーク市のホワイトプレーンズに住む15歳の国際マスターのヒカル・ナカムラが2003年1月25日から2月5日にかけて開催されたバーミューダ国際大会で最後のグランドマスター基準を獲得した。

 ヒカル・ナカムラは1987年12月9日に日本で米国人の母と日本人の父との間に生まれた。15歳58日でヒカルは米国最年少でグランドマスターになり、ボビー・フィッシャーが1958年に作った15歳185日の記録を破った。ボビー・フィッシャーは1943年3月9日の生まれで1958年9月にポルトローシュ・インターゾーナルでグランドマスターになった。

 口数が少なくまじめでおとなしいヒカルが好きなのはハリー・ポッター、スポーツ(レンジャーズ[訳注 アイスホッケーのチーム]のウェイン・グレツキー、野球-ニューヨーク・ヤンキースの熱烈なファンである)、それからポップ・ミュージックを聴くことである。FIDEレイティングは2520である。最近のバーミューダでの12選手による総当りの大会で彼は7.5-3.5の成績で単独2位になった。この大会はラトビアのグランドマスターのダニエル・フリッドマン(2572)が8点で優勝した。

 ナカムラは最後の4戦で3.5点を挙げて圧倒的な強さを発揮した。最後の2試合では米国のIMのウィリアム・パスカルとマイケル・ムルヤルを負かした。この大会で最も勝った試合の多かったのはヒカルで6勝3分2敗だった。ヒカルは最も良く指せた試合は第3回戦でのスペインのIMハビエル・モレノ・カルネロ戦だと言っている。最終局のIMマイケル・ムルヤル戦も2度のみごとな駒捨てをおりこんだ熱戦だった。

 ヒカルのチェスの特徴は何だろうか。義父のスニル・ウィーラマントリは「攻撃的、攻撃一徹」と言う。彼は若者の著名なチェス教師で全国チェス基金の設立者である。

 この若いチェスの天才はたった10歳79日で米国チェス連盟最年少で国内マスターになって全国で評判になった。それもチェスを指し始めてたった3年である。ヒカルが初めてインターナショナル・マスターに勝ったのは10歳の時の大会の試合で相手はジェイ・ボーニンだった(ナカムラはカリフォルニア州サン・ホセに住むビナイ・バートの記録を破った)。

 どのようにして彼は勝ち続けるのか。盤上で全力を傾け試合中に注意と集中力を保ち続けることによって負けから逃れているように見える。

 この若いマスターの活躍はメディアの関心を引き付けた。そして新聞やテレビで取り上げられた。米国ではCBSのニュースでインタビューを受け、『リージスとキャシー・リーと一緒に生で(Live with Regis and Kathie Lee)』に出演し、ある年の『危険(jeopardy)』というクイズ番組の問題に彼の名前が出た。彼の写真は「Chess Life」誌の表紙に3回掲載された。

 1999年2月に通常の持ち時間の試合でグランドマスターのアレックス・ストリプンスキーを11歳2ヶ月の記録で破った時は世界中で話題になった。ヒカルはその後も急成長を続けはるかに高いところを狙っている。13歳の時にはボビー・フィッシャー以来の米国ジュニア選手権も取った。同じ年には米国最年少でインターナショナル・マスターになった。

 エリック・シラーは自分の「天才少年がチェスを教える(Whiz Kids Teach Chess)」という本の中で次のように書いている。『ヒカルがチェスを指している時彼の顔に真剣さを見ることができる。敵意があるのは否定できない。そしてそれは盤上盤外にはっきりと現れる。彼は熱心にチェスを研究し全ての側面を学んでいる。』

 この文章を書いている時点で米国チェス史上最年少のGMは市を離れている。母のキャロリンがこの新米のグランドマスターをスペインのリナレスに連れて行っている。そこで彼は最高の盤上競技に必要な鋭い戦術、複雑怪奇な序盤、中盤での攻撃法、堅実で効率の良い終盤などの技法を磨く途上にある。

 ヒカルの母は学校の教師で自分の才能のある息子を自宅教習している。それで彼は秋から春にかけて国際大会への遠征に専念することができる。「旅行に飽きた」とヒカルは時折認めた。これまでの年月の間にこの少年選手が行ったのはカンザスシティ、フィラデルフィア、タルサ、ミルウォーキー、バーミューダ等々に加えて外国はスペイン、ハンガリー、スロベニアである。

 称号を得た王子様の究極の目標は何か。兄のアスカ-彼も熟達したチェス選手である-によると「世界選手権を考えているかもしれない」とのことである。

 アスカの記憶によるとヒカルは元世界選手権者のカスパロフに深く心酔していて、ある同時対局でその頃は初心者だったがカスパロフと写っている写真を持っているそうである。

 兄も勝利と無縁ではない。アスカは全国学校生選手権で全部で13回優勝した。1局も引き分けや負けを含まずに41連勝した時もあった(1992年から1999年までの全国学年別選手権)。アスカは1996年の世界青少年選手権10歳未満と1998年の汎アメリカ少年選手権12歳未満の米国代表に選ばれたことがある。1997年にはアスピス賞を授与された。これは13歳未満の最高レイティングの選手に毎年授与されるチェスの奨学金である。

 ヒカルとアスカは恵まれたことに25年の有名なベテランコーチのスニル・ウィーラマントリを義父に持っている。アスカによると義父は「子供たちと交流するコツを身につけている」そうである。FIDEマスターのスニルは才能に恵まれた次男をとおして自分の夢を実現させようとしている。ウィーラマントリ氏は1978年にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された世界チェス・オリンピアードでスリランカ・チームの主将を務め14試合で10点というすばらしい成績をあげた。全体の主将の中では4番目の成績だった。義理の息子が彼を追い越したがそれでもこの父親は大会に出てIMになろうと頑張っている。

 ヒカル(米国チェス連盟の2619というものすごいレイティングでずっと最上位選手の一覧の先頭にいる)はますますチェスの実戦に精を出し毎日最低2時間はチェスの勉強に当てている。アスカの方は学業に専念している。このオールAの学生は非常に学業に秀でている。アスカは「ある雑誌でボビー・フィッシャーの学校での成績にはCやDがあったと読んだことがある」と語っている。

 でき過ぎのこの家族には1人もスターがいない。それはまるで明るい光を放つ星座のようなものである。チェスの達人の世界では若者は年長者と共に自分の位置を確固と占めていることを示している。

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 2003年1月付けのFIDEレイティングの米国上位50名が発表されています。IMナカムラは2520で23位でした。

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(この号終わり)

2008年04月11日

「ヒカルのチェス」(64)

「Chess Life」2003年8月号

 2003年4月17日から20日にかけて開催されたフォックスウッズ・オープン大会でGMナカムラはオープン部門(7回戦)で5.5点で2-8位に入賞しました。

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 ・・・米国選手権戦が2004年後半まで開催されないことになったので参加資格も変更された。それに伴いこれまでは6名が参加資格を得ていたが今大会は2名になり大変な価値がある。2位に同点で7人が入ったがGMになりたてほやほやの期待の星のヒカル・ナカムラとベテランで安定したセルゲイ・クドリンの2名がその栄誉を勝ち取った。・・・

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 ・・・33人参加のブリッツ戦でナカムラが優勝した。・・・

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 次の試合では優勝することになるスミリンの終盤での鮮やかな攻撃にヒカル・ナカムラが屈し本大会の帰趨が決まった。28.Rb3 の後黒はbポーンを守る適当な手がない。白の30手目は第一級の手だった。黒がc5のポーンを取ると少なくとも交換損になる。(双ビショップによるチェックを確かめよ。まるで二つの鋭い鋏(はさみ)で切り刻むようである。)

シチリア防御 [B42]
白 GMイリア・スミリン
黒 GMヒカル・ナカムラ
フォックスウッズ、2003年

解説 GMヒカル・ナカムラ

1.e4 c5 2.Nf3 e6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 a6

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5.Bd3 Nf6 6.O-O Qc7 7.Qe2 d6 8.c4 g6

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9.Nc3 Bg7 10.Nf3 O-O 11.Rd1 Nbd7 12.Bf4 Ng4

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13.Rac1 Nge5 14.Nxe5 Nxe5 15.Qd2 Rd8 16.Bg5 f6

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17.Be3 Ng4 18.Bf4 e5 19.Nd5 Qf7 20.Bg3 Bh6

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21.Qa5 Be6 22.Rc3 f5 23.exf5 gxf5 24.Be2

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24...Bxd5 25.Qxd5 Nf6 26.Qxf7+ Kxf7 27.f3 Ke6 28.Rb3

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28...b6 29.Bf2 Nd7 30.c5

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30...d5 31.c6 Nf6 32.c7 Rdc8 33.Rxb6+ Kf7 34.Rc6 a5 35.Bh4 黒投了

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2008年04月18日

「ヒカルのチェス」(65)

「Chess Life」2003年12月号

 GMアンドルー・ソルティスの連載「お楽しみのチェス(Chess to enjoy)」で最近の米国選手権戦で25手以下で決まった数少ない試合の一つとしてヒカル・ナカムラの試合が掲載されていました。

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シチリア防御ナイドルフ戦法 [B90]
白 GMモーリス・アシュリー
黒 GM確定ヒカル・ナカムラ
米国選手権戦、シアトル、2003年

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 a6 6.Bc4 e6 7.Bb3 b5

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8.Bg5 Be7 9.Qf3 Qb6 10.O-O-O Nbd7 11.Rhe1

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11...h6

 8.Bg5 とクイーン翼キャッスリングの組み合わせは比較的新しい。前例は 11...b4 12.Na4 Qc7 13.Qg3 と進んだ。

12.e5! Bb7! 13.Qh3 dxe5 14.Nxe6!

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14...fxe6 15.Bxe6 Rd8

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16.Rxd7! Rxd7 17.Bxf6

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17...Rd6

 17...Bxf6 は 18.Bxd7+ で白がはっきり良い。

18.Qh5+ Kd8

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19.Bxe7+ Kxe7 20.Qxe5 Kd8

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21.Nd5?

 21.Bd5! から 22.Qxg7 で白が勝勢だった。

21...Bxd5 22.Bxd5 Qc7 23.f4 Rd7

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24.Qf5? Qc5

 白は 24.Qe4 でまだ優勢だった。ここでは 25.Rd1 が絶対だった。

25.Be6?? Qf2! 白投了

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 2003年6月13日から15日までラスベガスでナショナル・オープン(6回戦)が開催されました。GMナカムラは5点を挙げて1-8位に入賞しました(同点決勝で優勝したのはウォイトキーウィッツ)。GMナカムラの失点はチリのGMイバン・モロビッチ-フェルナンデス戦での敗戦でした。ブリッツ大会ではGMナカムラが単独優勝しました。

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(この号終わり)

2008年04月25日

「ヒカルのチェス」(66)

「Chess Life」2004年1月号

 ヒカル・ナカムラがロバート・フィッシャーの記録を4ヶ月縮めて15歳1個月で米国最年少のグランドマスターになったことが米国チェス連盟の理事会で賞賛されました。

 第21回ウェスタン・オープンが2003年10月中旬にネバダ州レノで開催され、GMヒカル・ナカムラが1位になり賞金2,250ドルを獲得しました。ブリッツによる優勝決定戦でGMセルゲイ・クドリンを破ってウェスタンステーツ・チャンピオンの称号も獲得しました。

 第2回エドワード・リービ記念大会が2003年9月18日から21日までコロラド州デンバーで開催されました。GMナカムラは入賞するような活躍はしなかったようですが敗局の棋譜が掲載されました。

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フランス防御タラシュ戦法 [C07]
白 GMヒカル・ナカムラ
黒 IMナザル・フィルマン
リービ記念大会、デンバー、2003年

解説 IMジョン・ドナルドソン

1.e4 e6 2.d4 d5 3.Nd2 c5

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4.exd5 Qxd5 5.Ngf3 cxd4 6.Bc4 Qd6

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7.O-O Nf6 8.Re1 Nc6 9.Ne4 Qd8

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10.Bb5 Bd7 11.Bg5 Be7 12.Bxf6 Bxf6

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13.Nd6+ Ke7 14.Ne4 Qb6 15.Nxf6 gxf6

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16.Bxc6 Bxc6 17.Nxd4 Rad8

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18.c3

 多分 18.Nxc6+ が正着で引き分けに終わっていただろう。しかしこのような手はヒカルらしくない手である。

18...Rhg8 19.g3 Qxb2 20.Nf5+ Ke8 21.Qh5

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 この手は強い手に見える。狙いは Rxe6+ と Qxh7 である。しかしフィルマンには強力なビショップを生かしたうまい受けがあった。

21...Be4! 22.Qxh7 Bxf5

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23.Qxg8+ Ke7 24.Qg7 Rd2 25.Rf1 Bd3

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26.Qh8

 白は 26.Rae1 で交換得を返上する手も考えられるが 26...Bxf1 27.Rxf1 Qxc3 となっては黒の勝勢である。

26...Rxf2 27.Rxf2 Qxa1+ 28.Kg2 Be4+ 29.Kh3

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29...Bf5+

 29...Qxc3 として ...Bf5+ は含みに残す手も一考に値した。

30.Rxf5 exf5 31.Qb8

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 黒は1ポーン得だが三重ポーンになっている。この局面で一番考慮しなければならないのは白キングの危うい状態である。フィルマンは白キングに対する狙いとa2およびc3のポーンとを絡ませようとする。

31...Qf1+ 32.Kh4 b6 33.Qc7+ Kf8 34.Qxa7 Qc4+

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35.Kh3 Qf1+ 36.Kh4 Qg2 37.Qb8+ Kg7 38.h3 Qxa2

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39.Qxb6?

 棋譜が正しければこれが敗着で持ち時間がよほどなかったのだろう。白は 39.Qf4 が絶対手だった。

39...Qd2 40.g4 Qe1+ 41.Kh5 Qg3 白投了

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(この号終わり)

2008年05月02日

「ヒカルのチェス」(67)

「Chess Life」2004年3月号

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ナカムラがパンプローナ大会で5位

 米国の少年GMヒカル・ナカムラが12月下旬にスペインで開催されたパンプローナ招待大会で3点を挙げアルフォンソ・ロメロ・ホルメスと共に5位に入賞した。彼の実効レイティングは2561だった。ミゲル・イリェスカス・コルドバ、ルーク・マクシェーン及びエミル・ストフスキーが4.5点だったが決定戦の末イリェスカスが優勝した。4位には3.5点のビクトル・ボローガンが入った。最下位はセルゲイ・カリャーキンとヤニック・ペルティエだった。強度15(平均レイティング2606)の全員GMによる総当たり戦は2003年の終わりと今年の初頭にナカムラが参加する二つの重要な国際大会の最初の大会である。現在はベイク・アーン・ゼーでのコーラスB大会で戦っている。

 ナカムラは最初の2戦を負けた後ボローガンと引き分けカリャーキンに勝ちマクシェーンと引き分けイリェスカス・コルドバに負けた。そして最終戦でペルティエに勝った。

シチリア防御 [B47]
白 GMヒカル・ナカムラ
黒 GMヤニック・ペルティエ
スペイン・パンプローナ、第7回戦

1.e4 c5 2.Nf3 e6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nc6 5.Nc3 Qc7

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6.Nb3 Nf6 7.Bd3 a6 8.O-O d6 9.f4 b5

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10.Qf3 Bb7 11.Bd2 Be7 12.Rae1 b4 13.Na4 O-O

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14.Be3 Rae8 15.Qh3 e5 16.Nb6 Nb8 17.Nd2 Bd8

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18.Nbc4 Nbd7 19.b3 Nc5 20.fxe5 dxe5 21.Bf2 Bc8

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22.Qf3 Be7 23.h3 Ne6 24.Bg3 Bc5+ 25.Kh1 Nd7

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26.Ne3 Bxe3 27.Qxe3 Ndc5 28.Bc4 f6 29.Bd5 Kh8

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30.Nc4 Rd8 31.a3 bxa3 32.b4 Na4 33.Qxa3 Nb6

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34.Ne3 Nf4 35.c4 Nfxd5 36.exd5 f5 37.Bh4 Rde8

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38.c5 Nd7 39.Nxf5 Nxc5 40.Nxg7 Qxg7 41.bxc5 e4

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42.Rxf8+ Qxf8 43.d6 Qh6 44.Qc3+ Kg8 45.Qg3+ 1-0

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 年齢ごとの基準レイティングを突破した18歳以下の子供が毎年「全米チェスチーム」に選ばれます。15歳の基準レイティングを軽く突破したヒカルが今年も33人のうちの1人に選ばれました。なおこのチームは仮想的なチームで、チームとして何かをするわけではありません。

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堂々の2004年度全米チェスチーム

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26 ヒカル・ナカムラ、15歳、レイティング2656(ニューヨーク州)
ヒカルはボビー・フィッシャーの1958年の記録を破ってグランドマスターの称号を獲得した最年少の米国人である。彼の目標は世界チャンピオンになることである。ヒカルは歴史と数学が好きでテニスが趣味である。

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(この号終わり)

2008年05月09日

「ヒカルのチェス」(68)

「Chess Life」2004年4月号

 2003年度米国チェス連盟グランプリの最終順位が発表されGMナカムラは12位でした。

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「Chess Life」2004年5月号(1/3)

 2004年コーラス(Corus)B級大会にGMナカムラが参加し優勝こそできませんでしたがその敢闘精神が高く評価されました。

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経験と若さが支配した2004年コーラス

記 アビブ・フリードマン

 16歳のGMヒカル・ナカムラが目を見張らせる素晴らしい活躍をした。この天才児についてはこれまで多くのことが語られ書かれてきた。彼の称号の記録は今ではみんなの知るところである。彼と彼の家族を知る者として彼は「本気」であると証言できる。ヒカルはスペインのパンプローナでの非常に強い大会のすぐ後にコーラスに乗り込んできた。そしていつものように戦いのチェスを渇望し、やる気と自身と意欲に溢れていた。彼の人もうらやむ研究熱心と怖いもの知らずが彼を世界の若いチェス選手たちの最上層に押し上げてきた。そして私も他の多くの人と同じで彼がまだ能力の全てを出し切っていないと思っている。大会の報告の目的からは少しそれるが、ヒカルがさらに上に行くための援助が与えられ世界のランキングの中でどこまで行けるかを見ることができるように速く彼の才能が認められ報われることを心から希望している。

 16歳でELOレイティング2571の(上昇している)一人前のGMがいたのがこの前いつだったのか思い出すことができない。これからの数年が彼の進歩と将来についての決断に重大な時となるであろう。だからヨーロッパの才能ある選手、例えばフランスのバクロに与えられたのと同じような援助と機会が彼にも与えられることを祈っている。

 コーラスでは年少のナカムラが早過ぎる引き分けを受けない闘志に対して多くの敬意を集めた。彼はいつでも戦闘態勢にあった。彼の試合のうち8試合は決着がついた。5勝3敗だった。

 ヒカルがこの大会にお遊び気分で来たのではないことは当初から明らかだった。

ニムゾ・インディアン防御 [E46]
白 GMヒカル・ナカムラ(2571)
黒 GMエリック・ロブロン(2497)
GM-B 第3回戦、ベイク・アーン・ゼー、オランダ、2004年1月13日

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.e3 O-O 5.Nge2

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 この戦型で白はビショップをナイトと交換されてc列に二重ポーンができるのを避けるためにキング翼ナイトを不本意な地点に置くのを気にしない。

5...d5 6.a3 Bd6

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 当然ここではc3で交換するのは意味がなくなっている。

7.c5 Be7 8.b4 b6 9.Nf4

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9...bxc5

 この手は新手かもしれない。ここでの通常の手は 9...a5 である。[訳注 9...bxc5 は前例があります。1960年の全米選手権戦のセイディ対フィッシャー戦でこの手が指されました。]

10.bxc5 c6 11.Be2 Qc7 12.Nd3

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 この手は 12...e5 を防ぐためである。

12...Ba6 13.O-O Nbd7 14.Rb1 Bc4 15.Bd2

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 GMカームスキーを連想させるような指し回しで白は序盤からあまり有利を引き出さなかった。しかしこれから粘り強さと手のかかる駒繰りと辛抱で事を成し遂げついには相手を圧倒する。

15...Rfb8 16.Rxb8+ Rxb8 17.Nb4 Bxe2 18.Qxe2 Rb7 19.f3 a5 20.Nd3 Rb3

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 自然な手のように見えるが白はすぐにこのルークを戦術的に困らせる。

21.Qd1! Qb7?!

 この手は誤った作戦の始まりである。[21...Rxa3 22.Qc2(狙いは 23.Bc1)22...a4(22...Qb7 は 23.Rb1 で黒ルークの処置に困る)23.Rb1 Rb3(放っておくと 24.Nc1!)24.Rxb3 axb3 25.Qxb3]

22.Qc2 Bd8 23.a4 Nb8 24.e4

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 白は一手ごとに陣形が良くなってきて有利さを広げている。

24...Bc7 25.e5 Nfd7 26.f4 g6 27.Rc1

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 b3のルークの居心地が悪くなってきた。

27...Qa6 28.Nb5! Rxb5 29.axb5 cxb5 30.c6 Nb6 31.f5!

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 黒枡が怖いことになってきた。

31...Nc4 32.fxe6 fxe6 33.Bh6

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 白の Rf1 から Qf2 が目前に迫ってきて黒は観念した。

黒投了

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(この号続く)

2008年05月16日

「ヒカルのチェス」(69)

「Chess Life」2004年5月号(2/3)

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経験と若さが支配した2004年コーラス(続き)

 第9回戦でGMナカムラは大会の最終的な優勝者と対戦しねじり倒した。

クイーン翼ギャンビット拒否・古典派戦法 [D37]
白 GMヒカル・ナカムラ(2571)
黒 GMラサロ・ブルソン(2603)
GM-B 第9回戦、ベイク・アーン・ゼー、オランダ、2004年1月20日

1.c4 e6 2.Nc3 d5 3.d4 Nf6 4.Nf3 Be7 5.Bf4 O-O 6.e3

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6...Nbd7

 別の有力な手は 6...c5 で、白が今さら Bg5 でd5の地点に間接的に圧力をかける気にはなれないことを利用しようという手である。

7.c5 c6

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6.Bd3

 例えば 8.h3 として白枡ビショップを動かすのを遅らせるのを好む選手もいる。その理由は 8.h3 の後 8...b6 9.b4 a5 10.a3 Ba6 11.Bxa6 となれば手損をしなくて済むからである。

8...b6 9.b4 a5 10.a3 Ba6

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 黒は白の締め付けに挑みかかると共に最も働きの悪いc8のビショップを交換しようとする。

11.O-O Qc8 12.h3 Qb7

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13.Qc2

 ここでは 13.g4 で黒からd3で駒交換するのを待って手損を避けるのもある。

13...Bxd3 14.Qxd3

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14...Ra7?

 黒はa列を支配しようとするがそこでの侵入口はほとんどない。常識的な手は 14...axb4 15.axb4 bxc5 16.bxc5 Rxa1 17.Rxa1 Ra8 でほぼ互角の形勢だった。

15.Nd2 Rfa8 16.Rab1 axb4 17.axb4 Ra3 18.Qc2

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 黒が得たものは何もなかった。それどころかクイーン翼で白からいつでもb5突きによる突破があるのでそれを心配しなければならない。もし ...b5 でクイーン翼を閉じれば白からの中原での素早い進攻(f3、e4)を考慮に入れなければならない。

18...Bd8 19.Nb3 Bc7 20.Bxc7 Qxc7

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21.b5

 21.cxb6 Qxb6(21...Nxb6 22.Nb5!)22.Na5 も良い手だった。

21...Rc8

 明らかに黒はb5のポーンを取ることができない。

22.Rfc1 Raa8 23.Qe2

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23...Qd8

 23...cxb5 と取るのは 24.Nxb5 Qc6 25.Na7! Rxa7 26.cxb6 で明らかに白が優勢である。

24.bxc6 Rxc6 25.Qb5

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25...Rcc8?

 敗着。25...Rac8 26.Na4 又は 26.Na2 から Nb4 で白が優勢である。しかし本譜の手ではcポーンのために黒が壊滅する。

26.c6! Nb8 27.Na4 Ra6 28.Nd2

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 これで黒のbポーンが落ちそれとともに助かる可能性もなくなる。

28...Qc7 29.Nxb6 Rd8 30.Nf3 Ne4 31.Ne5 Nd6

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32.Qb3 f6 33.Nd3 Ne4 34.Nf4 Nd2

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 しょせん黒の負けだがこの手は白に速やかで鮮やかな決め手を許した。

35.Nxe6 Nxb3 36.Nxc7 Rxb6 37.Nxd5!

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 目前のc7突きが致命的である。

1-0

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(この号続く)

2008年05月23日

「ヒカルのチェス」(70)

「Chess Life」2004年5月号(3/3)

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経験と若さが支配した2004年コーラス(続き)

クイーン翼ギャンビット拒否 [D45]
白 GMヒカル・ナカムラ(2571)
黒 GMチュー・チェン(2495)
GM-B 第5回戦、ベイク・アーン・ゼー、オランダ、2004年1月15日

Y080523A.JPG 白の手番

67.Re5

 中には痛ましい試合もあった。元女流世界選手権者が 66...Nf4 と指した局面が上の図である。実戦ではヒカルが 67.Re5 と指したため黒がfポーンを包囲し取ってしまうことができた。そして約100手後に引き分けに持ち込むことができた。ヒカルが見逃した手順は 67.Rxa6 Bxf5 68.Ra5 Ne2+ 69.Ke3 Ng3 70.Bxf5 Nxf5+ 71.Ke4
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でこれなら白がもう半点加えることができた。1/2 - 1/2

 最後はヒカルがいかに手が見えるかを示す好例である。ヒカルは苦戦に陥っていたが経験豊富な対戦相手のミスにも助けられて形勢を逆転させることができた。

トロンポウスキー攻撃 [A45]
白 GMヒカル・ナカムラ(2571)
黒 GMフリソ・ネイブル(2586)
GM-B 第7回戦、ベイク・アーン・ゼー、オランダ、2004年1月18日

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 ここでは黒が勝勢である。黒は目的を達成するために幾つかの手を選ぶことができる。しかし時にはこれが間違いを引き起こす元となる。

34...Qxc4

 恐ろしくも何ともない手である。決め手としては 34...Bxf5! と 34...Nf6 の二つが有力だった。

35.Bxh6 Bxf5 36.Bxf8 Rxf8 37.Qg5

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 まだ白の敗勢である。しかしまだ投げるには早過ぎるのでもう少し指してみよう。

37...Bg6??

 黒は先に 37...Qd4+! を指しておくべきだった。それなら何も問題なかった。実戦は時間切迫の中で思わぬ手が飛び出した。

38.Re4!!

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 急転直下の黒の敗勢である。黒クイーンの逃げ場がなく 38...Bxe4 は 39.Qxh5+ から Rxg3 で黒キングが詰みにさらされる。

38...Rf5 39.Qxf5

 もちろんこれでも白の勝ちだが 39.Rxf5 Qxc3 40.Rg4 なら即白勝ちだった。

34...Bxf5 40.Rxc4 Nf4 41.Ne4 Bf8 42.Nxg3 Bd7 43.Nh5

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 時間切迫の中のブリッツが終わり意気消沈のネイブルは投了した。ヒカルの見事な挽回である。1 - 0

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(この号続く)

2008年05月30日

「ヒカルのチェス」(71)

「Chess Life」2004年8月号

 5月28日から31日にかけて開催されたシカゴ・オープンでGMナカムラは入賞できませんでしたがシャバロフとの試合が掲載されました。

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 IMジョン・ドナルドソン

 スイス方式ではいつもちょっとした組み合わせの運に左右される。米国の新鋭のヒカル・ナカムラは最終2回戦でどちらも黒番とついていなかった。現米国選手権者に対して彼はグリューンフェルト戦法の16手目で新手を試した。しかしシャバロフはうまく応接しすぐに決定的な優位を得て終盤戦に入った。

グリューンフェルト防御 [D97]
白 GMアレックス・シャバロフ [2701]
黒 GMヒカル・ナカムラ [2632]
シカゴ・オープン、第7回戦、2004年

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.Nf3 Bg7 5.Qb3 dxc4 6.Qxc4 O-O 7.e4 Na6

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 オランダの故GMローデベイク・プリンスが創案したこの手はロシア戦法(5.Qb3)に対する黒の最も激しい応手である。

8.Be2 c5 9.d5 e6 10.O-O exd5 11.exd5 Bf5 12.Be3 Qb6 13.b3 Rfe8 14.Rad1

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 この戦型の重要な局面であるが黒がここでどう指すべきかについてはまだ決まった見解がない。過激な手は 14...Rxe3 だが十分な代償が得られるかについてははっきりしない。カスパロフは2000年のリナレスでのハリフマン戦で 14...Rad8 と指したが最近の実戦では白の方が結果が良い。

14...Ng4

 2004年ソチでのヂャチコフ対アユーポフ戦では 14...Rad8 15.Na4 Qc7 16.d6!(これがこの戦型での白の狙いのポーン突きでナイトがc3からd5に跳べるようにポーン捨てとしてよく指される)16...Qc6 17.Ng5 Be6 18.Nxe6 Rxe6 19.Bf3 で白が有利だった。

15.Bd2

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15...Rad8

 15...Ne5 16.Nxe5 Bxe5 が黒の最善手だったようだ。

16.Rfe1

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16...Bd4

 これが新手である。実戦の進行は当初は有望に見えたが必然の手順をたどってシャバロフに非常に有利な収局になった。これまでに指された手順は1984年テッサロニキ・オリンピアードでのリー対チャンドラー戦での 16...Nb4 17.Na4 Qd6 18.Bf4 Qf8 19.Bc7 Rd7 20.d6 で白が優勢だった。

17.Nxd4 cxd4 18.Na4 Qc7 19.Bxg4 Qxc4

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 ナカムラは不利な収局をむかえることは気付いていたはずだが残念ながら避けようがなかった。

20.bxc4 Bxg4 21.f3 Bd7 22.Nb2 b5 23.Ba5!

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 この手は先を見越した手でシャバロフはポーンを返して自分に非常に有利なルーク+ビショップ対ルーク+ナイトの収局に移行させる。黒の大きな問題は端で遊んでいるナイトである。

23...Rxe1+ 24.Bxe1 bxc4 25.Nxc4 Bb5 26.Rxd4 Bxc4 27.Rxc4 Rxd5 28.Bc3 Rd8 29.Bf6 Re8 30.Bd4

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 ナイトは完全に働きを失い黒は白に勝利への鍵となるパスポーンを作らせることになる。

30...Nb8 31.Bxa7 Nd7 32.Bd4 Ra8 33.Rc7 Nf8 34.Ra7 Rd8 35.Be3 Kg7

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36.a4 Ne6 37.a5 Rd3 38.Kf2 Ra3 39.Bb6 Rb3 40.Ke2 Kf8

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41.Kd2 Ke8 42.Kc2 Rb4 43.Kc3 Rb1 44.Be3 Ra1 45.Kb2 Ra4

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46.a6 Kd8 47.Ra8+ Kd7 48.a7 h5 49.Rb8 Nc7 50.Kb3 Ra1

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51.h4 Ra6 52.Bf2 Ra1 53.Bb6 Kc6 54.Bxc7 Rxa7 55.Bf4 Kd7

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56.Rb6 Ra1 57.Kc3 Rg1 58.Rb2 f6 59.Kd3 Rh1 60.g3 Ke6 61.Rb6+ Kf5 62.Bd2 Rd1 63.Ke2 1-0

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(この号終わり)

2008年06月06日

「ヒカルのチェス」(72)

「Chess Life」2004年11月号(1/4)

 第32回ワールド・オープン(9回戦)でGMナカムラは2-10位に入賞しました。

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 GMナカムラは第105回U.S.オープンにも参加しましたが優勝はできませんでした。

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U.S.オープン(1/3)

 記 ジェリー・ハンケン

 本局はマティコジアンの第8回戦での大きな勝利であった。激しい反シチリア定跡を用いて1ポーンを犠牲に開放列を得た。白の 16.Rb1 の局面で黒は難しい選択を迫られた。黒の最善手は恐らく 16...Qc4 だろうが 17.Bg5 Bxf5 18.Bxf6 Rg8 19.Bxe7 で黒が受け切るのは難しい形勢である。ヒカルはクイーンを捨ててルーク、ビショップ及び1ポーンを取ったがすぐに白の攻撃に耐えられない状況が明らかとなった。

シチリア防御 [B23]
白 アンドラニク・マティコジアン
黒 ヒカル・ナカムラ
U.S.オープン、フォート・ローダーデール、2004年

1.e4 c5 2.Nc3 Nc6 3.Nf3 Nf6 4.Bb5 Qc7 5.O-O Nd4

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6.Re1 a6 7.e5 Nxb5 8.exf6 gxf6 9.Ne4 Bg7 10.d4 f5

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11.Nxc5 Nxd4 12.Nxd4 Qxc5 13.Be3 Bf6 14.b4 Qxb4 15.Nxf5 d5 16.Rb1

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16...Qxe1+ 17.Qxe1 Bxf5 18.Rxb7 O-O 19.Bc5 Rab8 20.Qb4 a5

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21.Qb3 Rxb7 22.Qxb7 Bxc2 23.Qxd5 Rc8 24.Be3 a4 25.h4 e6

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26.Qf3 Be5 27.Qg4+ Kf8 28.Bh6+ Ke7 29.Qg5+ Kd6 30.Qe3 Bf6

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31.Qb6+ Kd7 32.Bf4 Be7 33.Qb7+ Kd8 34.Bd2 1-0

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(この号続く)

2008年06月13日

「ヒカルのチェス」(73)

「Chess Life」2004年11月号(2/4)

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U.S.オープン(2/3)

 記 ジェリー・ハンケン

 本局は既に米国選手権戦への参加資格を得た者同士の激闘である。ナカムラのキングは一度も中央列から出なかった。実際中盤戦でe3とd1の間をうろうろしていた。

準スラブ防御 [D45]
白 ヒカル・ナカムラ
黒 ブラス・ルゴ
U.S.オープン、フォート・ローダーデール、2004年

1.d4 d5 2.c4 c6 3.Nc3 Nf6 4.e3 e6 5.Nf3 Nbd7

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6.Qc2 Bd6 7.g4 dxc4 8.Bxc4 Qe7 9.g5 Nd5 10.Bd2 b5

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11.Be2 Bb7 12.Ne4 Rc8 13.Rc1 O-O 14.Nc5 Nxc5 15.dxc5 Bb8

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16.Rg1 Rce8 17.e4 Nf4 18.e5 Nxe2 19.Kxe2 b4 20.Bxb4 Ba6+

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21.Ke3 Rd8 22.Rcd1 Rd5 23.Rxd5 exd5 24.Qf5 Qb7

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25.a3 Qb5 26.Nd4 Qb7 27.f4 Qc7 28.Kd2 Bc8

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29.Qd3 a5 30.Bc3 Qa7 31.Nxc6 Qxc5 32.Qd4 Qxc6

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33.e6 Bxf4+ 34.Kd1 Qxc3 35.exf7+ Rxf7 36.bxc3 Bf5

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37.Qxd5 g6 38.Rf1 Bxg5 39.Rxf5 gxf5 40.Qxa5 h6

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41.Qa8+ Kg7 42.Qf3 f4 43.a4 Kg6 44.a5 1-0

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(この号続く)

2008年06月20日

「ヒカルのチェス」(74)

「Chess Life」2004年11月号(3/4)

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U.S.オープン(3/3)

 記 ジェリー・ハンケン

 ヒカルが圧倒的に白の駒を操る様はまるで絵に描いたように完璧な光景だった。黒が投了した時黒陣は内部崩壊寸前だった。

イギリス布局 [A18]
白 ヒカル・ナカムラ
黒 ネルソン・カスタネダ
U.S.オープン、フォート・ローダーデール、2004年

1.c4 Nf6 2.Nc3 e6 3.e4 d5 4.e5 Nfd7

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5.d4 dxc4 6.Nf3 Nb6 7.Be3 Be7 8.Nd2 f5

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9.Nxc4 Nd5 10.Be2 O-O 11.O-O b6 12.Nxd5 exd5

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13.Na3 Bb7 14.Nb5 Qd7 15.Rc1 Nc6 16.Nc3 Nd8

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17.f4 Ne6 18.a3 a6 19.b4 c6 20.g4 g6

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21.gxf5 gxf5 22.Rf3 Kh8 23.Bd3 Rf7 24.Rh3 Rg8+

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25.Kh1 c5 26.Qh5 Nd8 27.Ne2 c4 28.Bb1 Bc8

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29.Ng3 Bf8 30.Re1 h6 31.Qf3 Qe6 32.Rh5 Qg6

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33.Rg1 Qh7 34.Qf1 Be6 35.Qh3 1-0

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(この号続く)

2008年06月27日

「ヒカルのチェス」(75)

「Chess Life」2004年11月号(4/4)

 当時ニューヨーク・マスターズという競技会が頻繁に催されていてGMナカムラの試合も取り上げられていました。40手以内の合意引き分け禁止なども行なわれていました。

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マスターズに引き分けなし

 記 モーリス・アシュリー

 一方で将来のスーパースターのGMヒカル・ナカムラと闘将ストリプンスキーが賞金700ドルと名誉を賭けてまたもや激突した。

準スラブ=メラン戦法 [D45]
白 ヒカル・ナカムラ(2580)
黒 アレグザンダー・ストリプンスキー(2553)
第102回ニューヨーク・マスターズ、第4回戦、ニューヨーク、2004年5月18日

1.d4 d5 2.c4 c6 3.Nf3 Nf6 4.Nc3 e6 5.e3 a6 6.Qc2 c5 7.dxc5 Bxc5

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8.Be2 dxc4 9.O-O Nbd7 10.a4 b6 11.Bxc4 Bb7 12.Qe2 Qc7 13.e4 Ng4 14.h3

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 自然な手である。この試合を観戦しながらのんびりと 14...Nge5 を予想していた。そこへストリプンスキーの次の手が指されてちょっとびっくりした。

14...h5! 15.Ba2

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 c列でのトリッキーな筋からビショップを避難させた。私が 15...Nde5 を考え始めたところへストリプンスキーの爆弾が投下された。

15...Qg3!!

 やあ。次の 16...Nde5 がものすごい威力になる。突如白陣がつぶれているように見える。ヒカルが幻覚を企んでいる時私は 16.Be3 で切り抜けられるのではと思っていた。(私の 15...Nde5 は 16.Bf4)

16.Nd1 Nde5 17.Kh1!!

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黒クイーンが突然捕まってしまった。私は本物のチェス選手たちがものすごい手を次から次へと繰り出すのを見ている魚のような感じがした。ストリプンスキーの表情をちらりと見たが彼もこの手を見逃していたことが分かった。しかし彼も戦士なので負けと決まったわけではなく攻撃が続くことにすぐ気がついた。

17...Bxf2!

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18.Rxf2

 この手は仕方がない。18.Nxf2 は 18...Nxf3 19.Nxg4(19.gxf3 は 19...Qh2#)19...hxg4 20.Rxf3 gxf3 21.Qxf3 Rxh3+ 22.Kg1 Qe1+ 23.Qf1 Rh1+ でお休みなさいになってしまう。

18...Rd8!

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 私にも少なくとも1手先は見えた。狙いはこのルークをd1の地点で切ってf2のルークを取ることである。

19.Be3

 対局終了後見るからに憔悴したヒカルはこの手を叱った。そして代わりに 19.Bd2 なら何とか凌げたのではないかと言った。なるほど 19.Bd2 か。以下のような主要な変化で1局のチェスになるように思える。19...Rd3! 20.Bb1 (a) 20.Rf1 Nxf3 21.gxf3 Rxf3!! 22.Rxf3 Bxe4!! 23.Bd5 Bxd5 24.Raa3 Ne5 25.Qg2 Bxf3 26.Rxf3 Qxf3; B: 20.Rc1 この手は 20.Bb1 を少し改良 20...Rxf3 (b) 20...Nxf3 21.gxf3 Qxh3+ 22.Kg1 Nxf2 23.Kxf2 (23.Nxf2 Qg3+ 24.Kf1 Rxf3 25.Rc3 Bxe4 26.Bb1 Rxc3 27.Bxe4 Rb3) 23...Qh2+ 24.gxf3 Nxf2+ 25.Qxf2 Qxh3+ 26.Qh2 Qf1+ 27.Qg1 Qxg1+ 28.Kxg1 Nxf3+ 29.Kf2 Nxd2 30.Rc7 Nxe4+ 31.Ke3 Nd6; 20...Rxf3! 21.gxf3 Nxf2+!! 22.Nxf2 (22.Qxf2 Qxh3+ 23.Qh2 [23.Kg1 Nxf3+] 23...Qxh2+ 24.Kxh2 Nxf3+ 25.Kh3 Nxd2) 22...Nxf3 これでh2とg1の二つの詰みを逃れるために白はクイーンを切らなければならない。家に帰ってFritzでチェックした時シリコンの狂気の長い沈黙の後にコンピュータ特有の変化が現れた。

訳注 この段落は棋譜が乱れていて整理・編集しようとしましたができなかったのでそのまま掲載しました。例えば「B:」は意味不明だし「23...Qh2+ 24.gxf3」は手のつながりが明らかにおかしいです。

19...Bxe4

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 今や全軍が群がった。h8のルークを含めれば黒の6個の駒全てが攻撃態勢にある。盤面を見ればすぐ気がつくが白は役駒を1個得している。

20.Kg1 Nxf3+ 21.Rxf3 Bxf3

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 もう難しいところはない。22.Qxf3 なら Qe1+ 23.Qf1 Qxf1+ 24.Kxf1 Rxd1+ 25.Rxd1 Nxe3+ で終わっている。

0 - 1

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(この号終わり)

2008年07月04日

「ヒカルのチェス」(76)

「Chess Life」2005年1月号(1/2)

 2005年10月15日から17日にかけてネバダ州レノ市で開催された Sands Regency Western States Open でGMナカムラが優勝しました。

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大会報告 サンズ・リージェンシー西部州オープン(1/2)

 記 IMジョン・ドナルドソン

 グランドマスターのヒカル・ナカムラはネバダ州レノ市で10月15日から17日にかけて開催された第22回サンズ・リージェンシー西部州オープン大会で優勝し、なぜ彼が現在最も話題の才能の一人なのかを証明した。16歳のナカムラは最終戦でGMアレグザンダー・イバノフに引き分けを許す前に3人のグランドマスターと一人のインターナショナルマスターと一人のFIDEマスターをなぎ倒し1点の差をつけて5000ドルの優勝賞金を獲得し2620のFIDEレイティングも上昇させた。ナカムラはこの大会のほんの数日前にGMアレックス・ウォイトキーウイッツを破りガータ・カームスキーと引き分けてニューヨーク・マスターズに優勝していた。明らかに彼は今年の11月にサンディエゴで開催される米国選手権戦の優勝候補の一人となるだろうし、自分の潜在能力を発揮させるのに全力を尽くしている。ヒカルは絶えず戦いに全力を傾け、用いる序盤定跡は広く多様で研究熱心で、盤上では断固とした態度で対局している。チェス界で彼がどこまで伸びていけるかを見守るのは楽しみである。

ルイ・ロペス マーシャル・ギャンビット[C89]
白 GMヒカル・ナカムラ
黒 FMマイケル・カセラ
西部州オープン第1回戦、2004年

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Be7 6.Re1 b5 7.Bb3 O-O 8.c3 d5 9.exd5 Nxd5 10.Nxe5 Nxe5 11.Rxe5 c6 12.d3 Bd6 13.Re1 Qh4 14.g3 Qh3 15.Re4 Qf5 16.Nd2

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16...Qg6

 16...Nf6 ならヒカルは 17.Re1 Qxd3 でポーンを返し 18.Ne4 Qxd1 19.Nxf6+ gxf6 20.Rxd1 で陣形的に優位に立っただろう。

17.a4

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17...Bf5

 黒の最善は1993年ポドゴリカでのゾンタフ対パブロビッチ戦の 17...Nf6 18.Re1 Bg4 19.f3 Bh3 20.Nf1 Rae8 21.Be3 h5 22.d4 h4 23.Bc2 Qh5 24.Bf2 Rxe1 25.Bxe1 c5 のようである。17...f5 18.Rd4 f4 もあるが 19.Ne4 で白が優勢である。

18.axb5

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18...axb5

 他の手は白が有利である。例えば 18...Bxe4 は 19.dxe4、18...Nf4 は 19.bxa6 Nh3+ 20.Kf1 Ng5 21.Rea4 Bxd3+ 22.Kg2 である。

19.Rxa8 Rxa8 20.Re1

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20...Bxd3

 20...Nf4 なら 21.Ne4 である。

21.Nf3 h6 22.Nd4

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22...Ra1?

 黒はとにかく 22...Be4 23.Nxb5 Bc5 24.Nd4 Rb8 としなければいけなかった。もし 25.Nxc6 と取ってくれれば 25...Qxc6 26.Rxe4 Nxc3 でうまくいく。しかし白は 25.Bc4 で明らかに優勢である。

23.Nxc6 Nf4 24.Bxf4 Rxd1 25.Rxd1 1-0

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(この号続く)

2008年07月11日

「ヒカルのチェス」(77)

「Chess Life」2005年1月号(2/2)

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大会報告 サンズ・リージェンシー西部州オープン(2/2)

 記 IMジョン・ドナルドソン

シチリア防御 マロツィ縛り [B36]
白 GMヒカル・ナカムラ
黒 GMアレックス・ウォイトキーウィッツ
西部州オープン第3回戦、2004年

1.e4 c5 2.Nf3 g6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nc6 5.c4 Nf6 6.Nc3

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6...d6

 この手順の工夫は当然である。すぐに交換するのは次のように白に理想の構えを許してしまう。6...Nxd4 7.Qxd4 d6 8.Bg5 Bg7 9.Qd2 O-O 10.Bd3 で f2-f4 が来る。

7.Be2

 白の手はこの手と 7.f3 及び 7.Nc2 のいずれかである。いずれにせよ白は理想の構えにしたいならば手損を受け入れなければならない。

7...Nxd4 8.Qxd4 Bg7

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 黒の駒組みはグルジアのGMブフティ・グルゲニゼの考案したシステムである。展開の構想は ...O-O、...Be6、...Qa5、...a6、...Rfc8 である。目標は ...b5 で、マロツィ縛りにおける黒の三つのポーン突きのうち最も現実的である(...d5 は通常は実現不可能で ...f5 はしばしば自陣を非常に弱体化させる)。グルゲニゼ・システムは「縛り」に対するボビー・フィッシャーの得意戦法だった。

9.Bg5

 9.O-O O-O 10.Qe3 Be6 11.Bd2
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ここでチェコのGMブラスティミル・ヤンサの2試合が非常に参考になる。黒にとって不可能に思われる基本的な狙い筋の (1)...a4 から ...Nb3! 及び (2)...b5 の実現が見られる。

(A) 11...Nd7 12.Rac1 Qb6 13.b3 Qxe3 14.Bxe3 Nc5 15.f3 a5 16.Rfe1 Rfc8 17.Nd5 Bxd5 18.cxd5 a4 19.b4? Nb3! 20.Rxc8+ Rxc8 21.Bb5 (21.axb3 a3) 21...a3 22.Ba4 Nd4 23.Bxd4 Bxd4+ 24.Kf1 Rc4 25.Rb1 Bb2 26.Ke2 Kg7 27.Bb3 Rxb4 28.Bc2 Kf6 29.g3 Rc4 30.Bd3 Rc5 31.f4 b5 32.Kd2 b4 33.Bc2 Kg7 34.Rf1 f5 35.Rf3 Kf6 36.h3 Bc3+ 37.Kd1 fxe4 38.Bxe4 b3 39.Bb1 Rxd5+ 40.Ke2 Rd2+ 41.Ke1 Rb2+ 0-1(マツロビッチ対ヤンサ、ニーシュ、1977年)
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(B) 11...Qb6 12.Qxb6 axb6 13.f4 Rfc8 14.b3 b5! 15.cxb5 Nxe4 16.Nxe4 Bd4+ 17.Kh1 Bxa1 18.Rxa1 Rc2 19.a4 Bf5 20.Bd1 Bxe4 21.Bxc2 Bxc2 22.Ra3 Be4 1/2-1/2(マツロビッチ対ヤンサ、ブルシャツ、1979年)
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 この実戦から得られる教訓はマロツィ縛りに対して黒は積極的に動かなければならないということである。さもないと白は陣地の広さの優位を固める時間が得られ、そうなれば黒は長期に渡って苦闘を強いられる。

9...O-O 10.Qe3

 10.Qd2 の方が良く指されていて 10...Be6 11.Rc1 Qa5 12.f3 Rfc8 13.b3 a6 14.Na4
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が基本的な局面である。ここで 14...Qd8(白のビショップがe3の位置だったらこの手はない)なら 15.O-O である。この局面は非常に穏やかに見えるが二人の偉大なチェス戦士のアレグザンダー・ベリャフスキーとアレグザンダー・シャバロフとの難解な戦いをご覧頂こう。1992年マニラ・オリンピアードでの最優秀局賞はロジャーズ対ミロス戦とカスパロフ対ニコリッチ戦で争われた。しかし私は常々本局もその候補に値すると思っていた。多分シャバロフがマニラでGMイリア・スミリンとの別のすごい試合に勝っていたので本局が見過ごされたのであろう。本局は手数が長いがぜひ並べてみて欲しい。内容があまり理解できなくても楽しむことができるであろう。
15...Bd7 16.Nc3 b5 17.Rfd1 Be8 18.e5 dxe5 19.Qxd8 Rxd8 20.Rxd8 Rxd8 21.cxb5 axb5 22.Nxb5 h6 23.Be3 Nd5 24.Bf2 Nf4 25.Bc4 Rd2 26.a4 Bc6 27.Kf1 Rb2 28.Nc3 e4 29.Nxe4 Kh7 30.a5 f5 31.Nc3 e5 32.Nd1 Rd2 33.Be3 Rxg2 34.Bxf4 Bxf3 35.Be3 f4 36.Bg1 e4 37.Nc3 Rd2 38.Be2 Bh1 39.a6 e3 40.a7 Rb2 41.Nd1 Rxb3 42.Rc7 Ra3 43.h4 g5 44.Bg4 h5 45.Bf5+ Kh6 46.Re7 gxh4 47.Nxe3 Bf6 48.Rh7+ Kg5 49.Nc2 Rc3 50.Bd4 Rxc2 51.Bxc2 Bxd4 52.Rd7 Be3 53.Rg7+ Kf6 54.Rg6+ Ke5 55.Rg5+ Kd6 56.Ra5 f3 57.Bd3 Bg2+ 58.Ke1 f2+ 59.Kd1 h3 60.Rxh5 Bxa7 61.Rh6+ Ke5 0-1 ベリャフスキー対シャバロフ、マニラ、1992年
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 黒のより普通の応手がレノで試された。14...Qxd2+ 15.Kxd2 Nd7 16.g4 f6 17.Be3 f5 18.gxf5 gxf5 19.Rhg1 Kh8 20.Rg2 fxe4 21.Rcg1 Rg8 22.fxe4 引き分け、グレビッチ対ドナルドソン、西部州オープン、2004年
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この試合で白のビショップはg5でなくe3に置かれた。

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10...Qb6?!

 10...Be6 の方が正確に思われる。白にクイーン交換の意志があるのなら多分 O-O や Rac1 とは指したくないだろう。11.f3 は f2-f4 の可能性をかなり早く捨てるので少し白の指し難い手である。実戦例がある。10...Be6 11.O-O Qb6 12.Qxb6 axb6 13.b3 Nd7 14.Rfc1 Rfe8 15.Bd2 Nc5 16.f3 Rec8 17.Kf1(クリスチャンセン対ドナルドソン、ロング=ビーチ、1989年)
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ここで目に付く 17...b5 の代わりに 17...f5 なら黒の面白い形勢だった。

11.Qxb6

 11.Qd2 Qa5 なら本線に戻る。

11...axb6

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12.f3

 12.Kd2 Be6 13.a4 Rfc8 14.b3 Ra5 15.Bxf6 exf6(黒はすぐに ...f5 と突けるように例外的に二重ポーンの形にする)16.Bd3 f5 17.Rad1 Bxc3+ 18.Kxc3 fxe4 19.Bxe4 引き分け、アレンシビア対アンツネス、シエンフエゴス、1991年
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12...Be6 13.Kd2

 キングはg1よりもここにいる方がはるかに良い。

13...Rfc8 14.b3

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14...Kf8

 残念ながら積極策はうまくいかないようである。14...h6 15.Bh4 g5 16.Bf2 Nh5 17.Bxb6 Nf4 18.Bf1 d5 19.g3 dxc4 20.gxf4 cxb3 が私の期待手順だが実際は 15.Be3 Nd7 16.a4 Nc5 17.Rab1 f5(恐らく 17...b5 18.Nxb5 f5 と指さなければならないのだろうがそれで良いという保証はない)18.Nd5! Bxd5 19.exd5 で黒に反撃の余地がない。
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15.a4

 この手は ...b5 に基づいたいかなる策動も排除している。私の見るところここからはウォイトキーウィッツの改良策を見つけるのは容易でない。

15...Nd7 16.Bd3 Ne5 17.Rac1 Nxd3 18.Kxd3

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 白枡ビショップは交換されても惜しくない駒である。黒の問題は未解決のままである-陣地が狭く反撃策がない。

18...Bxc3

 ここでもまた 18...f5 は 19.Nd5 Bxd5 20.exd5 でe7の地点の弱さが目立つ。本譜の手で毎年のグランプリ王者は異色ビショップの局面に持って行くが二組のルークが盤上に残っているので引き分けは望み薄である。

19.Kxc3 Ke8 20.Kb4 Kd7 21.Rhd1 f6 22.Be3 Kc7 23.g4 h5 24.g5 Rf8 25.Rc3 Kc6

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26.gxf6 Rxf6 27.Bg5 Rf7 28.h4 Raf8 29.f4 Ra8 30.Re3 Bg4 31.Rd5 Be6 32.Rd2 Ra5 33.f5!

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 このポーン突きが決め手である。

33...Bd7

 33...gxf5 は 34.exf5 Bxf5 35.Bxe7 でdポーンが落ちる。

34.f6 Rxg5

 勝負を長引かせるにはこうするしかない。34...exf6 は 35.Bf4 Re5 36.Red3 で消灯ラッパが鳴る。

35.hxg5 exf6 36.Red3 fxg5 37.Rxd6+ Kc7 38.Rxg6 g4

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39.Rh6 Bc6 40.Re2 Rg7 41.Rxh5 g3 42.Rh1 Rg4 43.Rh7+ Kd6 44.e5+ Ke6

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45.Rh6+ Ke7 46.Re1 g2 47.Rg1 Rg3 48.Ka3 Rg5 49.b4 Rg3+ 50.Kb2 Bxa4

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51.b5 Rb3+ 52.Kc1 Rc3+ 53.Kd2 Rxc4 54.Rxb6 Rc5 55.Rxb7+ Ke6

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56.b6 Kxe5 57.Re7+ Kd6 58.b7 Rb5 59.Rh7 Bb3 60.Rxg2 Bd5

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 最終的に白が勝った。1-0 61.Rg6+ Kc5 62.Rg5 Kc6 63.Rhh5 が一つの想定手順である。

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(この号続く)

2008年07月18日

「ヒカルのチェス」(78)

「Chess Life」2005年2月号(1/2)

 16歳のGMナカムラが米国選手権者になりました。

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表紙について・・・
スルダン・ゴレティアーニとヒカル・ナカムラが偉大なる米国選手権戦の頂上へのそれぞれの戦いを進める-史上最高賞金額を賭けて

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米国チェス基金のエリク・アンダーソン(中央)が優勝者に賞金を小切手で手渡す
写真 ジョン・ヘンダーソン

ナカムラ、ゴレティアーニ 米国選手権の頂上に上る(1/2)

 記 IMジョン・ドナルドソン、IMジョン・ワトソン

 米国チェス基金の組織と資金でカリフォルニアのラ・ホーヤで開催された劇的な2005年チェスマスター米国選手権戦は若さが勝利を収めた。16歳のヒカル・ナカムラの信じられないような高いレベルの連勝は優勝決定戦でアレグザンダー・ストリプンスキーを破って優勝と賞金25,000ドルを獲得するまで続いた。彼はボビー・フィッシャー以来の本大会の最年少優勝者となる。既に米国チェス史上最年少のグランド・マスターの記録はフィッシャーを上回っている。(ナカムラは昨年15歳二ヶ月でGMになった。)異論もあろうが彼の選手権優勝はフィッシャーよりもはるかに勝る偉業である。それは世界のトップ選手たちと互角に渡り合う専業のチェスのプロたちと戦ったからである。例えば今回のオリンピアードの男子と女子のチームの成績を見てみると良い。
・・・
 ストリプンスキーは7点でナカムラと並んだが、持ち時間25分で1手10秒加算の優勝決定戦で2-0で負けて2位(17,000ドル)になった。
・・・
特報
ヒカル・ナカムラとルスダン[ルーサ]・ゴレティアーニはどの年と比べても最年少のチャンピオンの二人組であるだけでなく、最も息が合っている。米国チェスマスター・チェス選手権戦の開催よりもずっと前に二人は既に米国アマチュア団体選手権戦東部地区で同じチームで指すことを約束していた。2月19-21日のパーシッパニー・ヒルトンで二人の活躍が見られる。
・・・
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・・・
 ナカムラはほとんどの試合をチャンピオンらしく楽々と勝った。そこで彼が手こずった試合を見てみることにしよう。究極の栄冠のうちで最も厳しかった試合の一つは第5局の凌ぎだった(もう一局は第9局である)。

グリューンフェルト防御 [D82]
白 GMヒカル・ナカムラ
黒 GMセルゲイ・クドリン
米国選手権戦、第5回戦、2004年

1.d4 Nf6 2.c4 g6 3.Nc3 d5 4.Bf4 Bg7 5.e3 c5

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6.dxc5 Qa5 7.Rc1 Ne4 8.cxd5 Nxc3 9.Qd2 Qxa2 10.Rxc3

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 ここまでは全て教科書どおりである。10.Rxc3 の主眼点は 10...Bxc3 と取ってくれば 11.Qxc3 と取り返してh8のルークに当たり全ての黒枡を制圧することにある(多くの場合 Bh6 が強手となる)。

10...O-O 11.Bc4

 そうら行った。前の回戦のノビコフ対クドリン戦では次のように進んだ。11.Nf3 Nd7 12.Rc2 Qa1+ 13.Qd1 Qa5+ 14.Qd2 Qa1+ 15.Qd1 Qa5+ 16.Qd2 1/2 - 1/2

11...Qa1+ 12.Rc1 Qxb2 13.e4!

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 白は1ポーン損もしていないのに素早く展開し中原の厚みを誇っている。意外なことにグリューンフェルト防御の使い手たちはこのような局面を苦にしないのである。

13...Qa3

 クラセンコフは2003年米国選手権戦のサイラワン対ナカムラ戦の解説でこの手を推奨していた。ヒカルはあまり納得していないようだった。サイラワンの試合は 13...a5 14.Ne2 a4 15.Rc2 Qa1+ 16.Rc1 Qb2 17.Rc2 Qa1+ 18.Nc1 Na6 19.Be3 Qb1 20.Ba2 Qb4 21.f3 Qxd2+ 22.Kxd2 Nb4
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と進み黒が良かった。しかし白はここに至るどこかで優勢になることができたはずである。

14.Nf3 Qxc5 15.d6

 非常に強硬な手である。キャッスリングも良い手だがあまり痛烈でない。

15...Qa3 16.Bxf7+!

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 非常に気持ちの良い手である(そしてここまでほんの数分しか使っていないのでヒカルの研究してきた手のようである)。他に良い手は 16.dxe7 Qxe7 17.Ng5! で、黒は Nxf7 と Bd6 を受けなければならない。これも白の勝勢であろう。

16...Kh8

 16...Rxf7 は 17.Rxc8+ Bf8 18.d7 で白の簡単な勝ちである。華麗な手順(そして覚えておくと役に立つ着想)は 16...Kxf7 17.Ng5+ Kg8 18.Rxc8! Rxc8 19.Qd5+ Kh8 20.Nf7+ Kg8 21.Nh6+ Kh8 22.Qg8+ Rxg8 23.Nf7# である。

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17.Bg5?

 この手はほとんど手拍子で指された。しかし本筋の手ではなく白の優位のほとんどを失った。ナカムラには多くの選択肢があった。簡明な手順は 17.dxe7 Qxe7 18.Ng5! Nc6 19.Bd6 Qf6 20.Bc4!(他にも色々手がある)20...Re8 21.Nf7+ Kg8 22.e5
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から O-O で黒は投了しかない。17.Ng5 は 17...Nc6 18.h4 となるならもっと強い手かもしれない。最後に、カームスキーの推奨する 17.h4! も黒に h5 に対するうまい受けがないので白の勝勢に違いない。例えば 17...Nd7 は 18.Ng5 e5?! 19.Be3 で黒は絶望的である。

17...Nc6

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18.dxe7

 白は他に指しようがない。ヒカルは 18.Rxc6 bxc6 19.dxe7 で良いと考えていた。しかし 19...Ba6 20.exf8=Q+ Rxf8 の結果の単なる駒得は ...Bc3 や ...Rxf7 の狙いの前には価値がないことに気がつくべきだった。白はキャッスリングできないのでこの後の最善の手順は 21.Be3 Rxf7(21...Bc3?? 22.Bd4+ Bxd4 23.Qxd4#)22.Bd4 c5! 23.Bxg7+ Kxg7
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だろうが黒の攻撃がきつ過ぎる。

18...Nxe7 19.Rc7 Qa1+ 20.Rc1 Qa3 21.Rc7 Qa1+

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 引き分けのように見えるがヒカルはわずかな可能性に賭ける。形勢が悪くなるのに引き分けをしばしば拒否したり避けたりするアメリカ人選手はフィッシャー以来である。

22.Ke2!? Qxh1 23.Bxe7

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23...Bg4!?

 悪い手ではないが 23...b6 から ...Ba6+ を狙う手も考えられただろう。

24.Bxf8 Rxf8 25.h3

 黒は ...Qxg2 を狙っていた。

25...Bxf3+ 26.gxf3

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26...Qxh3!?

 26...Qb1 でbポーンを取らせない手もある。

27.Rxb7 Qc8 28.Bd5 Qc5

 形勢はほぼ互角のようである。しかし自分の信条に忠実なヒカルはまたも自殺手のような手を放つ。

29.e5??

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 気が狂ったような滅茶苦茶な手である。

29...Bxe5?

 これはポカの類ではない。しかし両対局者は簡単な 29...Rd8! を見逃がしていてこれならすぐに黒の勝ちになるところだった。例えば 30.Qa2(30.e6 は 30...Rxd5 31.Rb8+ Bf8 32.Rxf8+ Kg7 でルークが落ちる)30...Rxd5(又は 30...Bh6 31.Be4 Rd2+)31.Rb8+ Bf8 32.Rxf8+ Kg7 である。ここは本大会の最も重要な分岐点の一つとなった。

30.Qh6 Bc7!

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31.Kf1?

 31.Rxc7? は 31...Re8+ 32.Kf1 Qxc7 でだめである。だから白は 31.Qd2 と指すべきだった。

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31...Rb8?

 今度は時間切迫の中で先を見通すことはほとんど不可能だった。しかし軽妙な 31...Rf4!! に気付いていればほとんど白を投了に追い込むことができた。白は ...Qc1+ から ...Rg4+ を防げない。32.Rxc7 Qxc7 としても意味がない。黒は戦力に勝る上に安全なキングとaポーンがパスポーンとなっている。

32.Qh4 Qc1+ 33.Kg2 Qf4 34.Qxf4 1/2 - 1/2

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 異色ビショップなのでこれ以上指し続ける理由がない。

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(この号続く)

2008年07月25日

「ヒカルのチェス」(79)

「Chess Life」2005年2月号(2/2)

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ナカムラ、ゴレティアーニ 米国選手権の頂上に上る(2/2)

 記 IMジョン・ドナルドソン、IMジョン・ワトソン

 最終第9回戦はイブラギモフにとって見るのもつらく痛ましい試合だった。優勝した相手を押しまくったが勝ちきることができなかった。

フランス防御 /突き越し戦法[C02]
白 GMヒカル・ナカムラ
黒 GMイルダル・イブラギモフ
米国選手権戦、第9回戦、2004年

1.e4 e6 2.d4 d5 3.e5 c5 4.c3 Nc6 5.Nf3 Nge7

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6.Na3 cxd4 7.cxd4 Nf5 8.Nc2 Qb6 9.Be2 Bb4+ 10.Kf1 Be7

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11.g3 Bd7 12.Bd2 O-O 13.h4 f6 14.g4 Nfxd4!

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 思い切ったナイト切りで、1役駒の代わりに2ポーンを得て中原にポーンの厚みを築きf列に沿った攻撃も可能になる。十分に成立している。

15.Ncxd4 fxe5 16.Nxc6 bxc6 17.Bc3 Bd6 18.Rh3

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18...Rab8

 18...e4! と指していれば 19.Qd4 Qxd4 20.Nxd4 e5 21.Nc2 Rf4 で3個目のポーンが取れた。

19.Bd3 Qc7 20.Ng5!

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 白は中原で押しまくられる前に反撃を画さなければならない。

20...h6 21.Bh7+ Kh8 22.Qc2 Rf4!

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23.Qg6?!

 この手は指し過ぎだった。23.Bd2 Rf6 24.Bd3 と指す方が良かった。

23.Rf6 24.Nf7+?

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 この手は駒割りも戦闘隊形も放り捨ててしまう。クイーンを引くしかなかった。

24...Rxf7 25.Qxf7 Kxh7 26.g5

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26...Be8?!

 良い手ではあるが必殺ではない。26...Rf8! はちょっと見ると 27.g6+ Kh8 28.Bxe5!? という手段で黒が危なそうだが実際は 28.Rxf7 29.gxf7 Qb8! で黒の必勝形である。だから白は 27.Qh5 Be8! 28.Qe2 と頑張るが 28...e4 で敗勢である。イブラギモフがスーパースターの若者を葬り去る機会を何回か逃がしたうちの最初であった。

27.g6+ Kh8 28.Qxc7 Bxc7 29.h5

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 非常にアンバランスな局面である。白ポーンは黒陣を拘束しているが黒の双ビショップには太刀打ちできない。

29...d4 30.Rf3 Kg8 31.Be1 c5

 31...Rxb2 も良い手だった。

32.Rc1 Bd6

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33.Rb3

 33.b3 Bb5+ 34.Kg1 Be2 も良くない。形勢は黒の勝勢である。

33...Rxb3 34.axb3 Bb5+ 35.Kg2

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35...Kf8?

 これはひどい間違いだった。黒は 35...e4! 36.b4(36.Ra1 a6)36...c4 37.Rd1 e5 で有利を揺るぎないものにできた。

36.f3 Bd3 37.Bg3 Ke7 38.b4

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38...cxb4

 38...c4 は手遅れで 39.Ra1 Bb8 40.Ra5 で白が動き回れる。

39.Rc8 e4 40.Rg8

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40...Bxg3!?

 ここで持ち時間の必要手数に達した。40...exf3+ でも同様で 41.Kxf3 Bxg3 42.Rxg7+ Kf8 43.Rf7+ Kg8 44.Kxg3 Be2 45.Kh4 d3 46.Rd7 e5
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で白は Rd8+ から永久チェックで引き分けにするしかない。

41.Rxg7+ Kf8 42.Rf7+ Kg8 43.Kxg3 e3

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44.Rd7?

 44.Rxa7 なら 44...Bxg6! 45.Rd7 d3 46.Rd8+(46.hxg6?? d2)46...Kg7 47.Rd7+
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で引き分けのはずだった。この後は 47...Kf6 48.hxg6 d2 49.g7 e2 50.g8=Q e1=Q+ でまた永久チェックになる。

44...e5

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45.f4?!

 45.Rd8+? Kg7 46.Rd7+ Kf6 47.Rf7+ Kg5 も良くない。しかし 45.Rd5 ならしばらくの間事なきを得ていただろう。

45...exf4+ 46.Kxf4 e2 47.Re7 Kf8! 48.Re5

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48...a5??

 とうとうイブラギモフは疲労に屈した。ナカムラは若さのエネルギーで1点をものにした。黒は 48...Bb5! で断然勝っていた。白はそこで投了してもおかしくない。以下は例えば 49.Kf5(49.Kf3 d3)49...d3 50.Kf6 Ba4! で e1=Q と d2 があるので黒が勝つ。

49.Kf3 a4 50.Kf2 a3 51.bxa3 b3 52.g7+!

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52...Kxg7 53.Re7+ Kf6 54.Rb7 Bc4 55.Rb4

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55...Bf7

 黒は指したくない手の選択を迫られている。55...b2 を選べば 56.Rxb2 d3 57.Ke1! Kg5 58.a4 Kf4(58...Kxh5 59.Rb5+ Kg6 60.Rb4)50.Kd2! Kg3 60.Rb6
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で白の勝ちになる。

56.a4

 56.Kxe2 の方が簡単だった。

56...d3 57.a5 Bxh5 58.Ke1 Ke5 59.a6

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59...Bf3

 59...b2 は 60.Kd2! の後 Rxb2 と取られる。

60.a7 h5 61.Rxb3 Kd4 62.Rb8 h4

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63.Rd8+ Kc3 64.Rc8+ Kd4 65.Kd2 h3 66.a8=Q 1-0

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 この乱戦を制したナカムラが優勝決定戦に進みストリプンスキーに一方的に勝った。ナカムラの粘り強さが勝利の要因だったように思われる。イブラギモフは素晴らしい試合を指し勝つに値する内容だった。来年は優勝を争える位置に来るだろう。

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(この号終わり)

2008年08月01日

「ヒカルのチェス」(80)

「Chess Life」2005年4月号

 「オール・アメリカ」チームが発表されGMナカムラも当然含まれています。このチームは年齢ごとの基準レイティングを上回った子どもが選ばれ表彰されます。今回は全部で58名でした。

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 52 ヒカル・ナカムラ 2666(ニューヨーク)はボビー・フィッシャーの1958年の記録を破り米国最年少でグランドマスターの称号を獲得した。彼は2004年に米国チャンピオンになり、2004年にリビアで開催されたFIDE世界チェス選手権で最終16人に残り、ドミニカ共和国で開催されたデカメロン国際チェス大会で単独優勝し、ネバダ州レノ市で開催された第21回西部州オープンで優勝した。趣味はテニスと音楽鑑賞で好きな科目は歴史である。「米国最強」となった彼の目標はチェスの世界チャンピオンになることである。

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(この号終わり)

2008年08月08日

「ヒカルのチェス」(81)

「Chess Life」2005年5月号

 第78回のナカムラ対クドリン戦の解説について読者から疑義が寄せられました。原文には図がありませんが適宜挿入しました。

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誤った解説
ナカムラ対クドリン戦

 「Chess Life」2005年2月号16ページでナカムラ対クドリン戦の29手目 29.e5 が 29.e5?? と表記されている。
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その裏付けとして次のような解説がある。『29...Rd8 30.e6 Rxd5(30...Qxd5 ならば白はルークとキング翼ポーンを除いて総交換することができる)31.Rb8+ Bf8 32.Rxf8+ Kg7! でルークが落ちる。』
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 しかし単純に 33.Rf7+ でこのルークは取られない。33...Kg8 の後白は 34.Qb2 でg7とb8での詰みを狙って引き分けに持ち込むことができるようである。[訳注 34...Re5+ で黒の勝勢です。]

 だから 29...Bxe5 は「?」には値しないようである。

 それから実際の手の代わりに 31...Rf4 なら白が投了に追い込まれるとのことだが
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32.Qh3 でどうしてそうなるのか分からない。黒に一本道で勝つ手順があるのか私には分からない。[訳注 32...Rf5 で黒の勝勢です。]

デービド・バキル
カリフォルニア州ロスアンゼルス市

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(この号終わり)

2008年08月15日

「ヒカルのチェス」(82)

「Chess Life」2005年6月号

 2005年2月19日から21日にかけてニュージャージー州パーシッパニーで開催された米国アマチュア団体選手権東部地区大会にGMナカムラも参加しました。GMナカムラを始め10名以上のGMやIMも参加しました。しかし彼らの所属するどのチームも入賞の対象となる5位以内に入れませんでした。GMナカムラ自身の成績は6戦全勝でした。

(この号終わり)

2008年08月22日

「ヒカルのチェス」(83)

「Chess Life」2005年7月号

 GMナカムラがフォックスウッズ・オープンで優勝しました。掲載の棋譜は「CHESS通信」1325ページの「メモラブルゲーム(第14回)」にも的確な解説があります。

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表紙について・・・
 写真家のドン・コルバートがフォックスウッズ優勝トロフィーを受け取ったヒカル・ナカムラをとらえた。

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ナカムラがフォックスウッズで優勝

記 アレックス・ベタネリ

試合会場と入賞者たち
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 理由は簡単である。ヒカル・ナカムラは群を抜いていて一度も脅かされることなく優勝賞金(8千ドル)を獲得して逃げ切った。ナカムラはスタートから5連勝を飾った。しかし第6回戦を不戦にして足踏みした。この「足踏み」の理由はナカムラが土曜日午前の名高いICCの大会で優勝しようとしたためだった。崇高な目標は達成できなかったがフォックスウッズ優勝はその無念を補って余りあった。GMナカムラの対局成績は9戦して7.5点だった。
・・・・・

自戦解説 GMヒカル・ナカムラ

 4戦4勝で重要な第5回戦を迎えて相手はGMスミリンで私の白番だった。直前にシャバロフとストリプンスキーを相次いで倒して3人目のSを倒せないことなどあるものか。

ピルツ防御/オーストリア攻撃 [B09]
白 GMヒカル・ナカムラ (2734)
黒 GMイリア・スミリン (2812)
フォックスウッズ、2005年

1.e4 d6 2.d4 g6 3.Nc3 Bg7 4.f4!

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 オーストリア攻撃。ピルツに対するいつもの好きな対応策である。ピルツは手堅い防御でスミリンは何年もこの戦法で好結果を収めている。

4...Nf6 5.Nf3 O-O

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6.e5

 普段は 6.Be2 又は 6.Bd3 と指している。

6...Nfd7 7.h4

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 白でこの過激な戦法を指したのはこれがわずかに2回目である。狙いは駒が展開できていないうちに黒のキング翼に速攻をかけることである。

7...c5

 私の側面攻撃に対してスミリンは正しく中央から反撃してきた。

8.h5

 この手を指して席を立った時何人かの人が近づいて来て「気が違ったか」と聞いたのをはっきりと覚えている。もちろん彼らは私が研究してきたものと思い込んでいた。実際は第4局が長引いたのでこの対局の前に研究していなかった。この戦型の膨大な変化を考えればこれは大変な冒険だった。しかし私の棋風から推測できるように私はあえて危険を冒す方である。結局のところ最も大きな危険は危険を避けることである。

8...cxd4

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9.hxg6!?(9.Qxd4 dxe5 10.Qf2 e4 11.Nxe4 Nf6 =)

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9...dxc3(9...hxg6 10.Qxd4 dxe5 11.Qf2; 9...fxg6 10.Bc4+ Kh8 11.Ng5 +-)

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10.gxf7+(10.gxh7+ Kh8 は敵キングに迫れなくなる)

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10...Rxf7(10...Kh8 11.Qd3 h6 12.Ng5)11.Bc4

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11...Nf8(11...e6 12.Ng5 cxb2 [12...Nf8] 13.Bxb2 Qa5+ 14.Ke2 Nb6 15.Bd3)12.Ng5 e6 13.Nxf7

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13...cxb2

 この手は新手だが真似する人はあまりいないだろう。他には次のような手がある。13...Kxf7 14.Qh5+(編集部注 14.f5 cxb2 15.Qh5+ Kg8 16.fxe6 d5 17.Qf7+ Kh8 18.e7 Qxe7 19.Qxe7 bxa1=Q 20.O-O Qd4+ 21.Kh1
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21...Nbd7 22.Bb2 Qxb2 23.Bxd5 Qxe5 24.Qf7 Nf6 25.Rxf6 Be6 26