メイン

駄作(短編駄作) アーカイブ

2006年04月15日

戦いは終わった

「唐沢!一杯やってくか?」
「ああ・・・・いいですよ」
「高村!お前も来るか?」
「はっ、はい!」

「さてと。それじゃあ、乾杯!」
「乾杯」
「おつかれさんです!」
「ぷわー!!んん?高村、なにしてるの?」
「いやあ、今日の三局目を検討しようと思いまして」
「お前なあ!いくら何でも、そのチェスセットは大きすぎるよ!こっちにしろ」
「ああ、ありがとうございます」
「それだったら、目立たないから」
「う~ん、こういうの、一個欲しいですねえ」
「二セット買っとくんだよ!!」
「予備でね、失くしたときのために。俺もそうしてるよ」
「ああ、なるほど」
「外に持ち歩くとな、いくら気をつけてても、ピース失くしたりするんだよ!」
「郡山さん!俺なんか、前泊した(大会などの前日に試合会場近辺に宿泊すること)ホテルに携帯セット丸々置き忘れたことがありましたからねえ」
「俺も一回やったよ!まあ、俺の場合はネットカフェだけど」
「一局目が終わってから気づいたからなあ。あのときは、顔面蒼白になったなあ」
「俺も、郡山さんや唐沢さんみたいに、あっちこっち遠征する実力をつけないとなあ」
「そんなの関係ないよ!!時間に余裕があるんだったら、どんどん行け!!」
「高村君、もう少し頑張ったら、俺なんかには、すぐに勝てるようになるよ!!」
「まだ唐沢さんはキツイなあ。郡山さんだったら、ともかく」
「おい!それは、どういう意味だ?」
「唐沢さん、さっきの局なんですけど」
「何かな?」
「おい!高村!!」

「唐沢、電車、大丈夫か?」
「そろそろ行きます」
「唐沢さん、あとでメール送りますね」
「うん。じゃあ、おつかれさま」
「おつかれ~」
「おつかれさまです」

「唐沢さん、だいぶ元気になったみたいですね」
「・・・・どうかなあ?」
「以前に比べたら、全然違ってましたよ?」
「俺たちに気遣ってたんじゃないか?」
「まさか唐沢さんみたいな良い人が、奥さんに逃げられちゃうなんてねえ・・・・」

半年前の出来事

<あの爺の言った通りになるとは・・・・>

続きを読む "半年前の出来事" »

教えてあげる

「あと、コップ、コップ」
「ちょっと!」
「何?」
「誰・・・・あの娘?」
「あっ??」
「さっきの人」
「ああ、学校の先輩」
「どんな人?」
「うるせえなあ!どうでもいいだろ!!今、急いでんだからよお」
 秀明はポテトチップスとコップ二つを抱えて二階へ駆け上がっていった。
「あの娘・・・・そういえば前にもウチに来たことあったなあ」
「そうなの?」
「何かさあ・・・・かなり勉強できるみたいね。『千日前、受けます』とか、言ってたよ」
「千日前って、あの、千日前総合大学?」
「うん」
「あそこは・・・・関西で一番入るのが難しいとこでしょ?」
「予備校に勤めてる友達に聞いた話だと、今はあたしたちの頃より厳しいんだって!」
「そうなの?」
「もしかしたら・・・・全国で一番難しいかもしれない」
「ええー?」
「だってさあ、あたしが知ってる一番勉強のできた子でもダメだったんだよ!!」
「・・・・」
「それにさあ・・・・秀明、最近、変わったよね?」
「秀明が?」
「顔つきも、男らしくなったしさあ」
「・・・・」
「ねえ、お母さん・・・・心配?」
「何、言ってんのよ」
 娘の美沙をたしなめはしたが、雅代は心が落ち着かなかった。無意識のうちに二階に上がり秀明の部屋の前まで来てしまった。
<真面目に勉強してんのかしら?>
 耳をすませると、かすかに声が聞き取れた。

続きを読む "教えてあげる" »

隣にいたサラリーマンの会話

「もう一杯、頂戴!」
「おいおい!飲み過ぎじゃねえか?」
「飲まなきゃ・・・・うっ、うううう」
「安西・・・・泣いてるのか?」
「村田さん・・・・話、聞いてくれる?」
「何があった?」

続きを読む "隣にいたサラリーマンの会話" »

プレイ スタイル

「さっき・・・・言い忘れてたんですけど」
「何ですか?白石さん」
「近い将来・・・・あたしが結婚したいと思う男性が現れたとしても・・・・あたしは、今の仕事、ずっと続けていきたいんです!!」
「・・・・」
「黒澤さんは・・・・専業主婦になってくれる女の人が・・・・良いですか?」
「・・・・」
「・・・・」
<おい!何か、言えよ!!>
「必ずしも、そうではありません!私が尊敬できる女性でしたら≪仕事に全力を尽くして頂きたい!≫と考えます。勿論、私もバックアップをすることを、お約束します!」
<『趣味は料理です!』と、ぬけぬけと、ほざきやがった三十一のババアだったから≪三食昼寝付を狙ってやがるのか?≫と警戒したが・・・・少しくらいは、話を聞いてやるか>
「そうですか!」
<まだ二十四なのに、見合いに来る男だったから≪マザコンか?≫と思ってたけど>
「人は・・・・自分のしたい事をしている時が、一番、輝いていると思います!!」
「その通りだと思います・・・・話は変わりますけど・・・・『趣味はチェス』と仰ってましたけど、本当ですか?」
「ええ・・・・大した実力では、ありませんが」
「あたしも・・・・時々、和歌山チェスサークルの例会に参加するんです!」
「そうなんですか!ちなみに・・・・白石さんが黒番のとき、d4プレーヤーには、どのようなディフェンスを採用されているんですか?」
「ブダペストです」
「あっ・・・・はいはい」
「黒澤さんは、何をされてるんですか?」
「クイーンズ・ギャンビット・ディクラインド」
「ああ~」
「今度は、白石さん、e4プレーヤーには?」
「スカンジナビアンです」
「おお!」
<ギャンビット・プレーヤーかよ・・・・>
「黒澤さんは?」
「カロカンです」
「あっ・・・・はい」
<堅いのが・・・・好きなのね>
「・・・・」
「・・・・」
「白石さん・・・・白番は?」
「e4・・・・です」
「ああ・・・・私はd4・・・・です」
「・・・・」
「・・・・」
「白石さんが・・・・好きなチェスプレーヤーは誰ですか?」
「          です」
「ああ~」
<やっぱ、そうか!俺の嫌いな奴だ!!>
「黒澤さんは?」
「          です」
<最悪!退屈な奴だわ!若いくせに>
「・・・・」
「・・・・」
「チェスに・・・・罪は無い!」
「オープニング自体は・・・・悪くないの!」
「波長が・・・・合わんなあ」
「・・・・そうみたいね」

プランニング

「高野君!昨日、君が出した企画書なんだが、やってみる価値はあるな!」
「ありがとうございます」
「有能な部下をもって、私も心強いよ!」
 肩を叩いてエレベーターに乗り込んだ課長の背中を、高野直樹は軽蔑して見つめた。
<ケッ!馬鹿が!!テメエみたいな無能な上司に言われたかねえよ!!>
 高野直樹の人生は順風満帆そのものだ。同期で誰よりも早く係長になり、社内でも、結婚するなら一番良い女、と言われた島村晴美と三年前に一緒になった。
 仕事を終えた金曜日の夜、直樹は沢野千鶴のマンションに寄った。
「もうすぐ、御飯できるわ!」
「ああ。風呂沸いてる?」
「ええ」
 千鶴との関係も一年になる。いい加減、単調な結婚生活に飽きてきた直樹には、良い刺激となった。可もなく不可もない毎日で満足する奴は能無し、と常々思っている直樹は、浮気しても気づかないと判断して、晴美と結婚したのだ。
 食事の後、直樹と千鶴は二十分チェスを一局してから、快楽の時間を過ごした。
 帰りがけに、千鶴が直樹に話しかけた。
「おととい、晴美が来たの」
「何か、言ってた?」
「そろそろ子供が欲しい、って」
「ふ~ん、そう」
 直樹はマンションを出た。
<女なんて馬鹿な生き物だ!一人は浮気なんて頭になく、もう一人は友達のダンナと良い関係になっている自分に酔いしれてるんだからな!」
 直樹が自宅のリビングに着いた頃、晴美は丁度、電話を終えたところだった。
「あら?おかえりなさい」
「ただいま」
「ご飯は?」
「すませてきた。風呂、入るよ」
「お風呂あがったら、一緒に飲まない?」
 晴美はワインを手に微笑した。
 ワインを飲み干し、晴美とブリッツ(通常は持ち時間五分の快速チェス)を始めた。いつもならブリッツで負けることのない直樹が続けて三局落とした。
<あれっ、酔いがまわったのか?千鶴の家でも少し飲んだからかな?>
 気を取り直そうとした直後に、激痛がはしった。
「うっ、あっ、あっ」
 直樹は口をおさえて倒れた。
「やっと、効いてきたみたいね」
「はっ、晴美!」
「直樹!楽しかったわ」
「なっ、な・・・・」
「千鶴に、手出してたの、知ってるのよ!」
「えっ・・・・」
「だって、前に比べたら、千鶴のチェスが良くなってたし。それと、彼女は昔、駒取りのときは相手の駒を取ってからだったのが、この頃は、自分の駒を掴んでても出来るようになったからねえ」
「・・・・」
「あなた、いつも私に言ってたわね『チェスで大事なことは、しっかりプランを立てること。まあ、チェスに限ったことじゃないけど』て・・・・すぐに千鶴も送ってあげるから、安心して死になさい!!」

旅先の出来事

 <奴は何者だったんだ?>

続きを読む "旅先の出来事" »

大一番

「先生、村井さんが参りました」
「うむ、ここに通しなさい」
 家政婦を退け、衆議院議員の橋爪勘九朗は、政策秘書の村井晋平が来るのを待った。
「お休みのところ、すみません」
「こうやって自宅で、のんびりできるのも、君のおかげだ!さあ、座って一杯やりなさい!」
 橋爪は村井に日本酒を勧めた。十二畳の和室には、橋爪と村井の二人だけだ。
「村井君・・・・『大事な話がある』と言ってたね?」
「は、はい・・・・」
「何だね?」
「はあ・・・・」
「どうしたんだ?んん?いつもの君らしくないじゃないか?遠慮なく、言いたまえ!」
「先生・・・・私と先生のお嬢さんとの結婚をお許しして頂けませんか?」
「はっ??」
「私は、お嬢さんを、恭子さんを愛してます!必ず、幸せにする自信があります!」
「ほ、本気で言っとるのか、君は?」
「先生、お願いします!どうか!」
「村井君、頭を上げなさい!しかし議員が秘書に縁談を持ち掛けることはあっても・・・・」
「・・・・」
「村井君。そういえば、以前『趣味はチェスです』と言っておったなあ?」
「はい」
「実は、昔、私も少しやってたんだよ!」
「初めて聞きました」
「私と対局して、君が勝てば許そう」
「えっ?!しかし・・・・」
「私に勝てる自信が無いのか?」
「・・・・」
「村井君!男はな、勝算が無くても腹をくくって勝負しなければならんときもあるんだよ!」
「・・・・わかりました」

 白:村井晋平  黒:橋爪勘九朗
1.d4 g6 2.c4 Bg7 3.Nc3 f5 4.Nf3 Nf6 5.g3 d6 6.d5 0-0 7.Bg2 Na6 8.0-0 Qe8 9.Be3 c6 10.dc6 bc6 11.Nd4 Bd7 12.Qa4 Nc5 13.Qc2 Rb8 14.Nb3 Nb3 15.ab3 c5 16.Ra7 Ng4 17.Bg5 h6 18.Bd2 Ne5 19.Nd5 Nc6 20.Rd7 Qd7 21.Bc3 Nd4 22.Qd1 e5 23.b4 Ne6 24.b5 f4 25.Bh3 g5 26.Qd3 fg3 27.hg3 Qe8 28.b6 Rb7 29.Qe4 g4 30.Bg4 Ng5 31.Nf6+ Bf6 32.Qb7 Qb8 33.Qd5+ Kg7 34.b7 Nf7 35.Ra1 Nd8

 白三十六手目Bf3で、橋爪は自分の負けを村井に告げた。
「先生、まだRf7とすれば」
「いや、それでも白が優勢なことに変わりない。黒二十手目Rd7、ポジショナル・エクスチェンジ・サクリファイスだな」
「・・・・」
「・・・・約束だったな。健治、出てきなさい!お前も私たちの話を聞いてたんだろ!」
「オヤジ・・・・いや、お父さん!今はアタシ、恭子よ!!」
 隣の部屋から、恭子が入ってきた。
「恭子、私からは何も言うことは無い!あとは二人で、よく話し合え」
「お父さん、ありがとう!!」
「まあ、村井君なら恭子を安心して任せられるよ!どうした、村井君?顔色が悪いぞ!まさか『性転換手術で女になった奴は愛せない』とか、言うんじゃないだろうな?」

よりによって・・・・

<からだ、壊してなきゃいいけど・・・・>
 藤野恵美は遠沢綾乃の身を案じながら、駅の階段を降りた。昨日、梅雨明け宣言がされたのに朝からの雨はやみそうにない。

「恵美!あんた、チェス詳しかったよね?」
「う、うん。少しだけ」
 会社で同期の綾乃から『チェスを教えてほしい』と頼まれたのは今年の一月だった。綾乃の彼氏が、チェスクラブに通ってる話を綾乃にしてたので興味をもったようだ。でも綾乃の彼がチェスを趣味にしてたのは、彼が、まだ大阪にいたときから綾乃は知ってたはずだ。
「何で、そのとき、彼に教えてもらわなかったの?」
「だって、難しそうだったし。まさか、彼が東京に行くことになるなんて、考えてもいなかったから」
「彼はあと半年で、大阪に帰ってくるんじゃなかったっけ?」
「だからさあ、そのときまでに相手ができるようになりたいの!」
 恵美は戸惑っていた。綾乃の彼氏とは何度かネットでチェスをしたことがある。彼の実力は初段くらいだ。将棋の経験者であれば、半年で初段クラスになることは可能だが、綾乃は将棋をやったことが無いからだ。
「綾乃、結構大変だよ?」
「あたし、頑張るから!」
 その日から、猛特訓が始まった。一生懸命に技術を吸収しようとする綾乃に、恵美は自分の持っている全知識をそそいだ。
 三月の終わり頃。綾乃の実力は恵美が真剣に考えてゲームをしないと負ける状態にまでなっていた。
「綾乃、すごいわ!!こんな短期間で、ここまで強くなるなんて!」
「えへへ。私だって、やればできるもん!!」
「たぶん、彼とゲームしても勝てるよ!」
「そう言ってもらえるなんて嬉しいわ!」
 いつものように、綾乃の家でゲームをこなした後、ショートケーキを食べ談笑していた。
「これ見て!!恵美」
「あっ!これ、最新型のデジタル・クロックと試合用のチェスセットじゃない!!このチェスセットって・・・・かなりの値段したでしょ?」
「前に、彼が『これ欲しいなあ~』て、言ってたの!」
「でも、綾乃の彼、吃驚するだろうね!内緒で綾乃がチェスを覚えたのと、セットまで買ってくれたのを知ったら!!」
「ふ、ふふ~ん」
「羨ましいなあ」

 手続きを済ませて、恵美は拘置所の面会室に入った。
 拘置所を出た恵美は、駅まで急いだ。雨は激しさを増し、雷鳴が轟いている。
<彼の帰りが待てず、東京に行った綾乃。綾乃が一番ショックだったのは、綾乃が買ったのと同じ対局時計とチェスセットで、彼と浮気相手が楽しそうにゲームをしてたことだ!彼と女が寝てる現場だったら、まだ・・・・>

戦いがはじまった

「あら?まだ、起きてたの?」
「・・・・」
「どうしたの?電気もつけないで」
「・・・・」
「明日はチェスの例会でしょ?朝、早いんじゃなかった?」
「・・・・」
「何で・・・・黙ってるの?」
「・・・・どこ、行ってたんだ?」
「えっ??」
「どこ、行ってたんだよ??」
「朝、言ったでしょ!!今日は朋美と逢うから遅くなるって」
「ああ?」
「何よ?」
「本当のこと、言えよ!!」
「・・・・どうしたの?」
「だから『本当のことを言え』て、さっきから言ってんだろうが!!」
「何で・・・・怒ってるの??」
「・・・・誰と、いたんだよ??」
「だから朋美と」
「おい!!もう一回訊くぞ!!誰と、どこに、行ってたんだよ??」
「ちょっと・・・・どうしたの??」
「じゃあ・・・・これは何だよ??」
「何、これ?」
「ここに写ってるのは、誰だ??」
「誰?これ?」
「じゃあ・・・・こっちは??」
「・・・・」
「お前を・・・・尾行してたんだよ!!」
「・・・・」
「ふざけやがって!!」
「・・・・アンタも、暇ねえ」
「はあ??」
「最初から、そう言えばいいじゃない!!」
「なんじゃ、そりゃあ?逆ギレか??」
「言っとくけど・・・・あたしと『一緒になりたい』て、言ったのはアンタの方でしょ!!」
「それが??」
「あたしはね・・・・アンタみたいな安い男に、ずっと縛られたくないの!!」
「・・・・テメエ」
「アンタ・・・・チェス、やってんでしょ?」
「それが、今、何の関係があんだよ??」
「あたしみたいな女王様が、アンタみたいな小物ひとりで、満足できるわけないでしょ!!」

続きを読む "戦いがはじまった" »

2006年05月01日

序盤研究

「う~ん・・・・」
「横島、どうしたの?」」
「対e4のディフェンス、考えてんだよ!」
「おまえ・・・・スカンジナビアン、やめるのか?」
「あれはダメだ!」
「なんで?」
「何かなあ・・・・いきなりe4にd5と絡みにいくだろ」
「ああ」
「前から思ってたんだが・・・・どうもチンピラみたいで嫌なんだよ」
「なに、それ?」
「だって、いきなりPをぶつけてよお、喧嘩売りにいくんだからなあ!チンピラ以外の何者でもないだろ!!」
「じゃあ、どうすんだ?前みたいにe5と合わせるか?」
「e4e5なあ・・・・個人的には、やりてえんだが・・・・」
「やりゃあ良いじゃねえか!」
「準備が大変なんだよ!」
「そんなもん、どれ採用しても大変なことに変わりねえぞ!」
「てめえ、シシリアンしか、しねえじゃねえか!」
「いいだろ、別に」
「死んだ親父に言われたんだ『チェスでシシリアン・ディフェンスをする奴はロクデナシだ!!信用してはならん』と」
「はっ?」
「e4に対抗する強力なディフェンスだが・・・・やっぱりあれは、人の道から外れてるよ!!」
「ああ・・・・なんか・・・・おまえと真面目に話をする気がなくなってきたよ」
「ピルツとモダンも試してはみたんだが・・・・」
「何が不満なんだよ?」
「先に中央を取られちまうからなあ」
「じゃあ、フレンチは?」
「白桝Bが使いにくい」
「カロカンは?あれなら」
「なんか・・・・つまらないんだよ」
「ああ、もう我儘な奴だなあ」
「あっ!良い事、思いついた!!」
「何だよ?」
「初手に限りPを三桝進めるように、規則変えればいいんだよ!!うんうん、これで良い!俺の嫌いなアレキンも撲滅できるしな!」

2006年10月01日

序盤研究再考

「う~ん・・・・」
「横島、何やってんだ?」
「対d4のディフェンス、考えてるの!」
「なんだ、またか?」
「前はe4だったろ!」
「ダッチ、やめんのか?」
「う~ん、なんかなあ・・・・このところ、やたらスタントン・ギャンビットになるんだよなあ」
「仕方ねえだろ。わざわざ、eポーンついてください、といってるようなもんだからなあ」
「俺はさあ・・・・スタントン・ギャンビットしたくてダッチしてんじゃねえんだぞ!」
「最初にf5とするからスタントン・ギャンビットになるんだよ。e6としとけば」
「白が2手目にe4としたら?」
「う~ん・・・・」
「前から思ってたんだけどよお・・・・白番がd4とするのは急いで攻めるより陣形を組みてえからだろ?何でわざわざe4と急がなきゃいけねえんだ?」
「クローズド・ダッチ、避けたいからだろ」
「クローズド・ゲームが嫌なら初手d4,やめりゃいいんだよ!!」
「そんなの、お前に言われる筋合いじゃねえだろ?」
「こんな話になったらキリがねえからやめだ!・・・・どうしようかな?グリュンフェルドもチンピラみたいだし」
「キングス・インディアンは?」
「白番からすると脅威でも何でもないだろ」
「ブタペストでもやるか?」
「ギャンビットは・・・・利がないような気がする」
「ああ・・・・そうかい」
「ニムヅォも優秀なディフェンスなんだが・・・・」
「何が不満なんだ?」
「カタランが防げない」
「前にも言ったけど・・・・どれ選んでも一長一短あるんだぞ!」
「仕方ない。こうなったら・・・・」
「おい!また『ルール改正で、初手に限ってPを三桝進めることができる』とか言うんじゃねえだろうな?」

2007年04月08日

もしかして、実話?

「谷沢さん!!話があるんですけど・・・・」
「何?」
「前から考えてたんですけど・・・・今度OTBチェスサークルを作ろうか、と思いまして・・・」
「・・・・ふ~ん」
「それで・・・谷沢さんにも手伝ってもらえないでしょうか?」
「何を?」
「チェスサークルの運営」
「ふ~ん・・・・つまんない冗談だね!!エイプリルフールもとっくの昔に過ぎたのに・・・・」
「いや、冗談じゃないんです」
「はっ??」
「<新しくOTBチェスサークルが増えたらOTBチェスプレーヤーが増えないかな>と思ってるんですけど・・・・」
「訊いて・・・いいか?」
「はい」
「オマエ・・・・馬鹿か?」
「はっ??」
「だから・・・・オマエ、バ・カ・か?」
「・・・・どういう意味ですか?」
「はあ・・・・こりゃあ、どうしようもないバカだな!!」
「・・・・」
「いいか、今から俺のいう話をよく聞けよ!!」
「・・・・」
「なんだ?その態度は!!」
「・・・・バカと言われて怒らない人間はいないでしょ!!」
「はあ・・・・こりゃあもう、どうしようもない男だ・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・谷沢さんに頼んだ私がバカでした」
「サークルを立ち上げるなんてバカげた事はやめといた方が良いよ!オマエのためだ!!」
「・・・・谷沢さん、まだ昔のことに拘ってるんですね」
「はっ??」
「昔、OTBチェスサークル新設しようとして・・・・ダメだったこと」
「・・・・なあ、もうひとつ訊いていいか?」
「なんですか?」
「オマエ・・・・心のそこから、俺のこと、バカにしてるだろ?」

2007年04月21日

全世代憎悪

「次の方、どうぞ」
「三十五歳、男性です」
「お悩みは?」
「職場で・・・職場以外でもそうなんですが、若い連中の考えている事が理解できません」
「若い連中の大体の年齢は?」
「そうですねえ、十歳下かな」
「二十五歳くらいの方ですね」
「なんか・・・異星人と話しているような感覚になるときがあります」
「異星人・・・・ですか」
「そいつ等は、一人でいるときはおとなしいんですが、複数になるとギャングみたいな行動に走りやすいですねえ」
「はあ・・・・」
「自分たちと年齢が近い人間としかコミュニケーションをとりたがらない感じがします」
「そうですねえ・・・・貴方くらいの年齢の方から、よく似た感想を聞くことが多いですねえ」
「連中と、どう接したら良いですか?」
「・・・・この際、考え方を変えてみますか?」
「考え方、とは?」
「基本的に若い年齢の方々は年をめされた方々に比べて教養・人生経験が足りません。ですから、若い人たちを自分の都合の良いように操るんです」
「操る?」
「ええ。だって、貴方ほどの年齢の方々でしたら、ある程度は可能でしょ?」
「なるほどなあ・・・・確かに馬鹿が多いもんな!!若い奴等は」
「やってみますか?」
「やろうと思ったら簡単だよ!!でも、俺はやらないよ」
「どうして?」
「俺はなあ、自分より弱い立場の人間をだなあ騙して泣かせるような恥知らず、じゃあ無いんだよ!!」
「・・・・」
「ああ、オマエみたいなロクデナシと話すのは時間の無駄だ!!帰るか」
「ハハハ」
「何、笑ってんだ?」
「だって、貴方は馬鹿だもん!!」
「なんじゃ、こら」
「だって、自分より弱い奴を叩きのめす、なんてこと、今の時代、当たり前のことじゃあないですか!!」
「はっ?おい、人と話すときは気をつけて話をしろよ」
「なんですか?もしかして・・・・」
「わかるだろ?」
「貴方、ホントに馬鹿だ!!長生き出来ませんよ!!」
「・・・・オマエが今までどんな奴と話をしてきたか知らんが・・・・この俺を、今まで会った人間と一緒にするなよ!!」
「そうですねえ・・・・たまに、貴方の世代の方で貴方と似たような反応はありましたねえ」
「・・・・」
「さて・・・・貴方はどうやら今の時代に珍しく〝心の優しい方〟のようですねえ」
「別に」
「いや、今時あまりいないんです!!」
「・・・・」
「平気な顔をしてですねえ『自分より劣った人間から財産を巻上げて何が悪い?』と言う人がいますからねえ」
「・・・・まあ、いるだろうな」
「さてと・・・すみませんが、お昼休みの時間になりました。話の続きは・・・・」
「・・・・わかった。どうしたらいい?」
「お時間は、よろしいですか?」
「今日は休みの日だから・・・時間はある」
「そうですか・・・・では、また一時間後に」

「ああ、すみません。それでは、さきほどの続きです」
「ああ」
「お尋ねしたいのですが・・・・貴方は、もしかして自分より年上の方にも不満はありませんか?」
「上の連中か・・・・ああ、あるよ」
「やはり、そうですか」
「だってよお、偉そうに俺たちに説教垂れながら、アイツ等だって大したことねえんだから」
「・・・・」
「だからといって、俺と同い年の連中も偉人なんざあ、いないけどな」
「・・・・以前から思ってたことがあります」
「何だ?」
「貴方たちの世代は、まだ体育会系の名残りがありますねえ」
「ああ、そうだねえ」
「前時代的な体育会系だと、変な先輩がいたら後輩は堪ったもんじゃないですね」
「ああ」
「あまりにも年功序列的なことがあると、基本的に上の世代を憎むようになります」
「まあね」
「これを私は〝前世代憎悪〟と定義しているんですが・・・・果たして、今はどうなんでしょうか?」
「今の若い奴等なんか、まだ恵まれてるぜ!!俺たちに比べれば」
「どういう点で?」
「俺たちのときなんて・・・メチャクチャだったよ!!問題の先送りばかりしてたし、情報操作だって今より派手にやってやがったし」
「でも、それは今でも同じじゃあ、ないですか」
「便利なツールなんて無かったからなあ。情報を手に入れるのが今より大変だった」
「でも、同時代を知っている方なら条件は同じではないですか」
「・・・・まあ、そうかもしれんが・・・・ある意味、今の若い連中が羨ましいよ」
「でも、さっき貴方は若い連中のこと、嫌ってませんでしたか?」
「嫌いなことは嫌いなんだが・・・・何で若い連中は、こんな便利な世の中で短絡的なことしか発想が浮かばないんだろう?」
「短絡的とは?」
「忍耐なんか、全然しらんだろう。想像力なんてカケラも無いんじゃないか」
「まあ、それは若いですからねえ」
「・・・・」
「この頃、思ってたんです。〝前世代憎悪〟は〝全世代憎悪〟じゃないか?って。ゼンが全のゼン」
「全員か」
「ええ」
「全ての世代で憎悪ですか」
「年寄りを敬う気持ちなど無く子供を守る心など無い。ただ、自分以外は敵。自分にとって都合の良い人だけが味方。ただ、自分にとって都合の良い人が苦境に陥ったときは遠慮なく陵辱する」
「ふっ、世も末だな」
「しかし・・・考えてみれば、全世代憎悪など次の三点に比べればマシな方かもしれません」
「次の三点というのは?」
「厄介な順に、身分差別、人種差別、既得権争奪」
「全世代憎悪なんて、この三つのうちのひとつでも改善されたら、少しはマシになります。ただ、この三つのうちの一つが改善されるなんてこと、たぶん私も貴方も生きているうちには、ないでしょうね」
「既得権争奪なあ・・・・しかし、その言葉だけだと、勘違いする奴はいないか?」
「勘違いしてくれる人はまだ良心的な人です。悪意に満ちた人なら、私が意味することは瞬時にわかりますよ。悪事を働いている輩ほど、自分の後ろめたさは、よく承知しているはずです」

2007年04月28日

お嬢さまのために(前編)

「お嬢さま」
「何?」
「お手数ですが、こちらをお読みください」


 

   局後検討                                           HAWK
「ドローオファー」
 谷沢憲二の声が喫茶アイソレート ポーンの店内に響いた。
<残り時間三分……ドローで良し、とするか>
 棋譜用紙の白三十五手目の欄にR×g7+(=)と記すと、谷沢は対戦相手である熊野勝久を見つめた。
<ドローなら、黒も不満はないはず>
 谷沢は両手を膝の上に置き姿勢を正した。熊野が谷沢の提案を受諾して握手を求めた時に備えるためだ。
 十秒後、熊野は黒三十五手目を指した。35...K×g7。
<はっ??オッサン……>
 熊野が提案を拒否するなど全く想像していなかったので、谷沢は驚いた。
<はあ……やること決まってるのに>
 すぐに平静を取り戻し谷沢は白三十六手目を指した。そのあと、白黒双方ノータイムの着手が続いた。黒三十八手目を指した直後、熊野が呟いた。
「……」
「んん?」
 熊野が発した言葉が聞き取れなかったので、谷沢は思わず声を上げて熊野の目を見た。
「ドローオファー」
「ああ。ドローアグリード」
 熊野が今度はじっかりと言った。谷沢も意味を理解し提案受け入れの意思を告げた後、右手を差し出した。握手を交わして引き分けが成立した。
「え~と、他の局は終わってるのかな?」
「うん……終わってるね」
 小声で訊いた谷沢に、熊野も小声で答えた。
「はあ……途中で時間使いすぎたなあ」
 試合の緊張から開放された谷沢は手を頭の後ろに組んで背を反らして叫んだ。熊野は棋譜用紙を見つめている。
「最初から……いきますか」
「はい」
 谷沢と熊野は手元にある相手の駒を返して、駒を初期配置にならべ直した。それから局後の検討を始めた。
1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cd4 4.Nd4 Nf6 5.Nc3 e5 6.Ndb5 d6 7.Bg5 a6 8.Na3 b5 9.Nd5 Be7 10.Bf6 Bf6 11.c3 0-0 12.Nc2 Bg5 13.a4 ba4 14.Ra4 a5 15.Bc4 Rb8 16.b3 Kh8 17.h4 Bh6 18.Nce3 Be6
 熊野が首をかしげて呟いた。
「これが良くなかったなあ」
「ここはBe3を予想してたんですが…」
「やっぱ、それしか無いのか」
「この後、NでBを取って黒がNe7としたときに、白がどうするか?ですねえ……」
 咳払いをしてから、谷沢が続けた。
「昨日下調べしましたけど、ここから白の手も悩みますねえ。とりあえず事前に考えた手はありましたけど…」
19.Nf5 Bf5
「d5のNを取ったら、どうなんだろ?やっぱ、危ないかな」
 谷沢の問いかけに、熊野は右手で頭を掻きながら、テーブルにある棋譜用紙を見つめた。
「ここは、迷ったけどねえ」
「でも、やっぱりf5の方が良いか……ちょっと、やってみますか?」
「やってみる」
 三分ほど、二人は黒19手目にBd5とした場合の変化手順を指し示したみた。
「う~ん……これはこれで、ややこしいな。実戦手順に戻りますか」
「そうだね」
20.ef5 e4
 e4のPを掴みながら熊野が言った。
「うっかりしてたなあ。白の次の手が見えてない」
「そうですねえ」
21.g4 Ne5 22.g5 Nf3 23.Kf1 Bg5 24.hg5 Qg5 25.Ne3
「谷沢くん。実戦中に<白にNe3と、うまい受けがあるなあ>と思ったんだよ」
「そうですねえ。Qのダイヤゴナルを止めてf5のPを守る。これがぴったりか」
25…Qf6 26.Bd5
 谷沢がテーブルの端を右手中指で叩き、左手で頬杖をついた。
「ここなあ…とりあえずe4のPを取りにいくのを優先させたけど…」
「いや、良いんじゃないかな」
「黒の次の手で、マテリアルはイーブンになりますよ」
26...Qc3 27.Be4 Nd2 28.Kg2 Rb3 29.Qc2 Ne4 30.Qe4 Rb4 31.Rb4 ab4 32.Qe7
「いちおう、これで黒に脅しをかけたんですが……」
「f6の方が良かったんじゃない?」
 それまで隣のテーブルで検討を見ていた富樫賢吾が、立ち上がり谷沢に告げた。
「そっちの方が良かったかな?」
 谷沢が盤面を黒31手目の局面に戻した。
「黒がg6としたらQをh4にまわすでしょ、そこで黒がh5としたらQg5とすれば」
「う~ん…」
「いや、待って。f6のときに黒がh6としたら?」
 熊野が感想を述べると、谷沢も富樫も言葉に詰まった。
「h6なあ」
 読みに入ってなかった手なので、富樫も腕組みをして頭をひねった。
「とりあえず、今はまた実戦手順に戻りましょう。後でまた検討で」
「はいはい」
 谷沢がとりあえず促して熊野と二人で白32手目の局面を再現した。
32…Qc6 33.Kh2 Kg8 34.Rg1 Qf3
「谷沢くん。次、Ng4で白の勝ち、じゃないか?」
「えっ?」
「……うん、白が勝ってんじゃない」
 熊野に指摘され、しかも富樫も支持したので、谷沢は盤面を食い入るように見つめた。
 十分後、変化手順の出尽くした感が見えたので、谷沢は気持ちの整理をつけ、検討が終了のときにする挨拶を熊野にした。
「ありがとうございました」
 谷沢は頭を下げた。
「ありがとうございました」
 熊野も頭を下げた。
 熊野はジュースを買いに外に出たが、谷沢は勝ち局を逃したからか、しばらく呆然としていた。
                                          (初出:メイトスレッド3号)


「……ふ~ん、はいはい」
「あっ、読まれましたか」
「……しかし、これ、オチも何もない短編小説というか小話ねえ」
「……」
「真剣な顔して『お嬢さま、こちらをお読み下さい』とか言うから、読んでみたけど」
「なにぶん、私が昔書いた駄作ですから」
「要するに……試合が終わってからの検討の雰囲気がこんな感じ、と伝えたいわけね」
「はい」
「……書かれていたゲームは、随分昔のだけど、シシリアン・スベシュニコフね」
「昔は黒番で採用する人が多かったんです」
「ちょっと、ならべてみるか」
「……」
「……ふ~ん、本当に懐かしいラインねえ。21世紀初頭の香りがするわ」
「……」
「ねえ?」
「はい、何でしょう?」
「白29手目QC2のところ、ここでNd5は考えてなかったの?」
「ここで、ですか……」
「……もう、いいわ。夜も遅いし」
「お嬢さま」
「何よ?」
「申し訳ありませんが、こちらもお読み願います」
「ちょっと、勘弁してよお」
                                                    (つづく)

2008年02月21日

もしかして、実話? 2

「・・・・」
「谷沢さん、どうしたんですか?」
「<OTBチェスクラブ・サークルのリーダーは大変だなあ>って考えてたの」
「はあ?」
「一生懸命運営してるのに・・・・参加してくれるプレーヤーは、なかなか増えないからねえ」
「また、その話ですか」
「全部のクラブ・サークルを見てきたわけじゃないけど・・・・苦労してるとこ、多いからなあ」
「やっぱ・・・・こういうの、トップの責任でしょ?」
「う~ん・・・・」
「トップが交代したら、変わりませんかね?」
「簡単に言うけど、俺には、どうすることも出来ないからねえ」
「それじゃあ、しょうがないでしょう。まあ、せいぜい、考えてください」
「んん?」
「俺は、別にネットで充分だし」
「・・・・」
「だって、わざわざ例会とか大会の開始時間に合わせるの、大変なんですよ!おまけに、『時計やセット持って来い』でしょ・・・・そんなの、<そっちで用意してくれよ!>と思いますね」
「おまえ、道具揃えるのが・・・・」
「行ったら行ったで、変わり映えのしない面子ですからねえ」
「・・・・」
「わざわざね、嫌いな奴のいてるOTBなんかやるより、ネットで自分と合う奴とだけゲームしてる方が気楽ですからねえ」
「まあ・・・OTBは、気、遣うからなあ」
「そういうことで、俺、帰りますね」
「・・・・」
「谷沢さん」
「何?」
「谷沢さんは別にクラブ・サークルのリーダーじゃないんだから、悩むこと無いですよ!そんなの悩んでも、時間の無駄ですよ」

2008年04月16日

女(24歳)と男(28歳)の会話

 1970年某月某日

「何、これ?パスポート・・・」
「今度、西ドイツであるチェスオリンピアードに参加するの」
「ええっ?・・・そっ、そんなの、初めて聞いたよ」
「話したら『行くな!』って言うでしょ」
「男も・・・参加するのか?」
「行くけど・・・チェスの試合なんだから。遊びに行くわけじゃ無いのよ」
「仕事の方は・・・大丈夫なのか?」
「辞めたわ・・・帰ってきたら探すつもり」
「ちょっと待て。仕事とチェス、どっちが大事かくらい、わかるだろ?」
「だって・・・オリンピアード行きたいの」
「おまえ、何言ってんだよ」
 男は女の頬を平手打ちした。
「何すんのよ!」
「おまえが悪いんだろ」
「出てって!早く出ていって!!」
 男は女のアパートから立ち去った。女は洗面台にある鏡で殴られた頬を見た。
<痛かったあ・・・何よ、「これからは女性の時代」とか言ってたくせに・・・自分の思い通りにならない女を殴るなんて、最低な男だわ!!>

 2008年某月某日

「何、これ?パスポート・・・」
「今度、ドレスデンでやるオリンピアードに行くの」
「はあ?・・・聞いてねえよ」
「いちいち、あんたに話す事じゃあ無いでしょ!」
「何だよ、それ?男も・・・行くのか?」
「ふっ、あたしが誰と寝ようと、あんたに関係ないでしょ!!」
「・・・いったい、俺はおまえの何なんだよ?」
「財布。それと・・・ATM」
「なめてんじゃねえぞ、このヤロー」
 男は女の顔を殴ろうとしたが、女にかわされた。女はテーブルにあった果物ナイフで男の頚動脈を刺した。
「ぐわああああああ」
「ああ・・・鬱陶しい」
 男は息絶えた。女は携帯電話のリダイヤルボタンを押した。
「あっ、すぐにあたしんちに来てゴミ始末しといて!!ついでに、部屋汚れたから掃除もやっといてね。あたしはこれからシャワー浴びるから」

2008年04月22日

サクリファイス

  1

「お母さん、おなかすいた~」
「もうすぐ終わるから、ちょっと待って」
「もう~、それさっきも言った~」
「はいはい、もうすぐだからね~」
 三十分近く同じ会話を繰り返しながらも、利恵は、引越の荷物整理をしている。一度は、全ての作業が終了したのだが、やはりここにすれば良かったと配置を変更していた。でも、さすがに疲れた利恵は、
「美咲、じゃあ、外に食べに行こ」
と床に寝転んでふてくされている娘に告げた。
時刻は午後三時半、今日は早めに昼食をとったので、利恵も少し空腹だった。
 玄関を出ると、まだ五月下旬なのに、真夏のような熱気だ。今からこれじゃあと思いながら利恵は、先にエレベーターホールに走っていった美咲の後を追った。
 利恵がこの町に帰ってきたのは、十年ぶりだ。正確には帰省した時に、幼少の頃をすごしたこの辺りをたびたび訪ねてはいるが、その時とは違い、今日からここが再出発の場所となる。今振り返ると、あんなバカと一緒になってしまった自分が情けないが、もう忘れてしまおう。それより、これから美咲と二人で暮らしていくことを考えなければならない。ただ、実家とは歩いて八分の今の環境は利恵には心強かった。
自宅を出て、美咲と駅前に向かって百五十メートル程歩いていた利恵は、思わず足を止めた。左斜め五メートル先にあるコインパーキングの道を挟んだ隣にある店に、見覚えが無かったからだ。気になって近くまでいくと、店の外装は白と黒の市松模様になっていて、看板には、『喫茶 アイソレート ポーン』と書いてある。
 利恵はどんな店か考えていると、店から白シャツと黒スラックスの格好をした四十代の男が出てきた。
「はい、何でしょう」
 男が話しかけてきた。
「あの、営業されてるんですか?」、
「はい、五日前にオープンしたばかりなんです。よろしくお願いします!」
うわずった声で出た利恵の問いかけに、男は元気に答えてから頭を下げた。
 そこまでされると、立ち去りにくくなった利恵は、そこで食事にすることに決めた。
 店内に入ると、十席程のテーブルがある。冷房がきき過ぎていて寒いくらいだ。
「緒方さん、オフィシャルゲームしましょう、しましょう」
紺の背広を着た中年男が大きな声で連呼している。
「しかしね、あなた本当に公式戦好きですね。昨日二局やったばかりじゃないですか!」
カウンター近くのテーブルでスポーツ新聞を読んでいた緒方は呆れていたが、やがて背広の中年がいるテーブルに移った。
 その隣のテーブルでは、髭を生やした男が向かいの学生に、一枚の紙を見ながら、
「白井君、これ答え二通りあるぞ。プロブレムやったら、こんなんあかんで!!」
と指摘していた。
 そんな会話を耳にしながら、利恵たちは空いていた窓際のテーブルを見つけ、利恵は奥の椅子に座った。先客をもう一度よく観察すると、全員に共通しているのはテーブルの上にある白と黒の物体をやたら移動させている事だ。一秒後にはチェスだとわかったが、そんなもの外国の映画やドラマにたまに出てくる程度の認識で、間近に見るのは初めてだった。
 ふと自分達のテーブルに目を向けると、縦横五十センチ位のチェック模様がある。おそらく、この店のテーブル全部がこれと同じなのだろう。変わった店ねと思いながら、利恵はメニューを手にした。
 気をとり直し利恵は、
「美咲ちゃん、何食べたい?」
 美咲は、小声で、
「カレー」
「あんた、こういうお店のは辛いわよ、食べれるの?」
確認した利恵に、
「食べれるもん!」
美咲は少しムキになった。
 この子も小学三年生だから、いつまでも子供じゃないかと、利恵はミートスパゲティーとビーフカレーを注文した。
 料理がくるまで、利恵はあらためて店内を見わたす。隣のテーブルには、金髪の青年と、三十代の黒人男性がいる。詳しくは、利恵の隣が、金髪の青年、美咲の隣が黒人の男。その隣のテーブルには、美咲側に四十代の白人の男、利恵側にやや背の低い二十代の、日本人と思われる男がいた。
 この四人は他のテーブルの人達と違い、ものすごく速く駒を動かし、時計らしき物の上のボタンを叩きあっている。最初は、カチ、カチ、と静かに押していたのだが、次第にパシン、パシンと、なって、そのうちバシン、バシン、バシン、バシンと、間隔も短くなり音も大きくなってきた。そして、一人の男が突然、
「オーウ、シィット!!」
と叫び左手でテーブルを叩いた。
 <一体何なの、この連中は!>
と思った利恵は、もう関わらないでおこうと決めた。美咲の方も不思議な光景と感じたか、カレーがまだ口の中に残った状態で、利恵に尋ねた。
「お母さん、みんな何やってんの?」
美咲の頬についていた御飯粒をとりながら利恵は、
「チェスをしてるの」
「何それ~?」
美咲があたりかまわず発した声は意外と店内に響いた。すると隣の男達がこちらを睨んできた。
「邪魔しちゃ悪いから、静かにしてようね」
利恵はあわてて諭した。
 しばらくして、隣のテーブルの黒人男性が、何やら英語で金髪の青年に話した後で、店外に去った。入れ違いで、寝癖のついた頭をした黒のジャージ姿の男が入ってきた。
「谷沢さん、ブリッツしませんか?」
「今度出るアイソレート通信の原稿持ってきただけですから」
金髪の青年の誘いを断り、店のカウンターに封筒を置くと、店の前にエンジンをかけたままのスクーターに跨り消えていった。
 すっかり暇になった金髪の青年は、鞄の中から本を取り出し、駒を並べ始めた。
しばらくして、金髪の青年は隣のテーブルの少女がレモンティーを飲みながら、じっとこちらを見ているのに気づいた。いつもの彼なら気にはしないが、珍しく少女に声をかけてみた。
「チェス、やってみる?」
「でも、それってむずかしいんでしょ?ウチの娘に出来そうにもないけど」
「そんな事ないです、簡単ですよ」
 利恵は気を使って柔らかく断ったが、青年の方は笑顔で勧めた。
 愛想笑いではなく、自然に出た笑顔で言われたので、美咲も興味津々になってきた。利恵も、それなら少しだけとなると、青年は椅子を利恵たちのテーブルに寄せて、さっきまでゲームをしていた駒をもってきた。
「これは二人でする遊びで、一人が白、もう一方は黒を担当します。それから・・・」
 青年はまずゲームの流れ、駒の種類と移り次に自分で実際に駒を動かし、利恵と美咲にも促した。利恵は、このテのゲームはオセロしかやった事は無い。美咲にいたっては、とてもわかってるとは思えないが、一生懸命青年が教えてくれるので駒を動かしてはいた。
 利恵は青年の説明を頭の中で整理した。

 ゲーム開始前に自分と相手が担当する駒の色を決める。縦横共八桝から成る市松模様の盤を自分の右手前に白桝がくる様に設置する。両者は指定された場所に自分が担当する色の駒を全て並べる。これでゲームは始める準備は整った。
まず白を担当する方が駒を動かす。次に黒を担当する方、そして白とゲーム終了まで、必ず交互に行う。
 規則に違反しない方法で相手のキングを完全に捕まえる、又は相手が降参すれば自分の勝ちとなる。勝敗がつかず、引き分けとなることもある。
次に自分で実際に駒を動かし、利恵と美咲にも促した。利恵は、このテのゲームはオセロしかやった事は無い。美咲にいたっては、とてもわかってるとは思えないが、一生懸命青年が教えてくれるので駒を動かしてはいた。
 利恵は青年の説明を頭の中で整理した。

 ゲーム開始前に自分と相手が担当する駒の色を決める。縦横共八桝から成る市松模様の盤を自分の右手前に白桝がくる様に設置する。両者は指定された場所に自分が担当する色の駒を全て並べる。これでゲームは始める準備は整った。
まず白を担当する方が駒を動かす。次に黒を担当する方、そして白とゲーム終了まで、必ず交互に行う。
 規則に違反しない方法で相手のキングを完全に捕まえる、又は相手が降参すれば自分の勝ちとなる。勝敗がつかず、引き分けとなることもある。
 駒の種類と数は、白黒全く同じで、キング・クイーン各一個、ルック・ビショップ・ナイト各二個、ポーン八個である。
 駒の形だが、キングは一番大きく十字架がついている。クイーンはその次の大きさで、頭にはティアラをつけた感じだ。ルックは西洋の城、ビショップも外国の寺院のようだ。ナイトは馬の横顔。ポーンは一番小さい駒で、下級兵士を連想する。
 駒の動き方。クイーンは縦横斜めに動ける。ただ、味方の駒(自分が担当している色の駒)が通り道にあると、その直前の桝までしか行けない。敵の駒(相手が担当している色の駒)が通り道にある場合、それよりも先に行けないのは味方の駒の時と同じだが、その敵の駒のいる桝まで行き、その駒を取り除き、その桝にクイーンを置くことができる。
 ルックは縦横に動ける。美咲が今持っている駒はビショップで、これは斜めに動ける。
 ルックとビショップは、クイーンと比べて、動ける範囲は限られているが、通り道に味方がいれば直前でストップ、敵の時は、その敵を一つだけ取れるのはクイーンと同じだ。
 キングは縦横斜め一桝だけ動ける。隣の桝に味方がいれば、その桝には動けず、敵の場合は例外を除いて、それを取って進む事ができる。
 キングが他の駒と違う点は、キングが敵に取られる事態になると例外を除いて負けになることだ。だから、ゲーム中はキングの安全を頭に入れておかねばならない。
 なお、自分の駒が動ける範囲に敵の駒があるからといって、必ず取らなければならないことは例外を除き無い。但し相手の駒を取ったら、必ずその桝に動ける自分の駒を置かなければならない。(これも例外がある)確かこんな感じだった。

 気がつくと、もう一時間近く、この青年に教えてもらっていた。いくら何でも青年に悪いと思った利恵は、
「ごめんなさい、そろそろ帰らないと。今日はどうもありがとうございました。美咲、お兄ちゃんにお礼をいうのよ」
「お兄ちゃん、ありがとう」
 元気な声で、美咲はお礼をいった。青年は、
「将棋の場合、礼に始まり礼に終わりますが、チェスでは、握手に始まり握手に終わります」
 そう言って、美咲に右手を差し出した。
 握手を交わし利恵たちは、店のカウンターへ向かった。会計を済ませ帰ろうとする利恵に店員は、
「またよろしければお願いします。水曜と土曜にはチェスプレーヤーが来てますので」
「まだ、子供は小学生ですし」
利恵が難色を示すと、
「遊技料金、子供さんは大人の半額にさせて頂きます。あと、御影にもチェスサークルがあって、そちらには小学生も何人かいます。
詳しい事はこの紙にありますから」
 店員は手帳サイズの紙を利恵に渡した。利恵は礼を言い、店内のポスターに見とれていた美咲に声を掛け帰途についた。

 テレビの騒がしい音で目が覚めた利恵は、しばらく布団から起き上がれなかった。時計を見ると十時五十二分。昨日寝たの何時だったかなと思い出そうとしたが思い出せない。ダイニングには、美咲が朝食べたトーストの食べかすと、アップルジュースが四分の一程残っていた。
 利恵は食器を片付けた後、さて今日はどうしようかなと思案していた。実家にも顔を出さないといけないし、昨日喫茶店から帰ってすぐに電話があった可奈子のところにも連絡しなければいけない。明日から仕事で忙しいからやれる事は今日しなくていけない。のん気にテレビをみている美咲が羨ましい。
 いい天気だったので、利恵は洗濯をすませ、布団を干した。そうしていると十二時少し前になった。
<近所のスーパーに買い物にいってもいいけど、お昼は外で食べよう。いつもいつもの事じゃないし、食べてから実家に寄るか>
予定を決めた利恵は美咲を連れ昨日と同じように駅前を目指し歩いた。
 「あれ?昨日のお兄ちゃんがいるよ」
 美咲が利恵の袖を引っぱり指差した。確かにコンビニから出てきた男は、昨日チェスを教えてくれた金髪の青年だった。向こうもこちらに気付き、美咲も手を振ったので青年が近づいてきた。
「昨日はどうもありがとうございました」
利恵が頭を下げると青年は、
「いえいえ、もしかして、今日もチェスを
しに、これから?」
「いえ、たまたま通りがかっただけです」
利恵は首を横に振って答えたが、
「あたし、この近くに住んでいるの!」
 美咲が余計な事を喋ってくれた!
「えっ、この近くだったんですか」
「はい、ここから三分位のところです」
利恵は、そう答えざるを得なかった。
「そうですか、また良かったら、店に来てください。それじゃ」
と言い残すと、青年は足早に昨日の店の方へ去っていった。
「ねえ、今日も行っていい?」
美咲は上目づかいで強請った。
「お兄ちゃん、忙しそうだったから今度ね」
 美咲を宥めてから、利恵は駅前のバーガーショップに行こうと歩きだした。
 昼食後、近所のスーパーマーケットに寄り、一旦自宅へ戻った利恵たちは一時間後には実家に向かった。本当は利恵一人で行くつもりだったが美咲も行きたいと五月蝿いので仕方ない。
 両親と利恵はこれからの事を話し合った。当面の生活は心配ないと語る利恵の顔を見て父も母も安心したようで、気前よく特上鮨を御馳走してくれた。

夜の十時五十分頃、利恵は電話をかけた。
「はい」
「可奈子、今、大丈夫?」
「ちょっと待って(七秒後)いいよ」
「メールにも書いたけど、とりあえず今、落ち着いたとこ。疲れた~」
「でも、まだ残ってるんでしょ?」
「まあね、いろいろまわんなきゃいけないけど、はあ~」
「明日仕事なんだから早く寝たら」
「何かもう一日位休みたいけどなあ」
「大変だもんねえ」
「まあ、あのバカの顔、もう見なくていいと思うと、せいせいするけど。何かな~、なんであんな奴と、なあ~」
「あんまり考えない方がいいんじゃない?」
「あたしの人生返してほしい!」
「う~ん、あたしもそうだったからな~」
「養育費くらい払えよな~」
「貰えそう?」
「たぶん、ダメ、はあ」
「払わない奴、多いからな~」
「可奈子はどうだった?」
「最初の数回だけ、あとは・・・・」
「なんで、ケチるかなあ?」
「別れた女房に金払うくらいなら、風俗でも行くんじゃない?」
「風俗ねえ、そんな金あるんなら、払えよ!ムカつく!!」
「別れたら、子供なんて、どうでもいいのかな~、なんか思い出してきた」
「面倒はみない、金は出さない、サイテー」
「仕事で疲れてるんだよとか、遊べないからとか、日曜くらい休ませてくれとか、いろいろ理由つけて、こっちばっかりに子供押しつけてくるからな~、男は」
「そんなのこっちも一緒って、言えないのよねえ。子供の事考えると」
「たまに、こっちが遊びにいったりとかしたら、恩着せがましく言ってきたからねえ」
「まあ、当分は美咲と二人でやっていくわ。可奈子、今日はゴメンね」
「ううん、いいよ」
「うん、それじゃあ。あ!あ!可奈子!昔、中学で一緒だった竹野のお父さんが経営してた喫茶店、おぼえてる?」
「ああ、でもあそこ、だいぶ前になくなったでしょ?」
「昨日近くを通ったら、そこの跡地に新しく喫茶店ができてたよ」
「ふうん、そうなんだ。この頃あの辺行ってないからな~」
「実は、美咲とそこに入ってみたらチェスをやってる人が、何人かいたの」
「チェスー?! 何で?」
「テーブルがチェック模様になってて、外人も三人位いたな~」
「そういうたまり場なんじゃない?」
「そこで外人に声かけられて、少しだけやり方教えてもらったの」
「あんた、そういうの興味あったっけ?」
「美咲がやりたそうにしてたから」
「美咲ちゃん、やったことあるの?」
「たまたま、してみたかったんじゃないかな?昨日が初めてだったみたいだったけど」
「あれって、将棋みたいなやつでしょ?」
「うん。少し違うとか、言ってたけど」
「ふうん。それで声かけてきた外人は、どんな感じの人?」
「二十歳くらいかな~。綺麗なブロンドだった。まあかわいい感じだったなあ。声をかけたのは、美咲になんだけど」
「そうなんだ」
「美咲がその人、気に入ったのか今日もその店に行こうって、言われちゃった」
「あれ?外人でしょ!日本語は?」
「きれいな日本語だったよ。あ!もうこんな時間だ!可奈子、今日はありがとうね。それじゃあ、おやすみ」
 電話を終え、利恵は眠りについた。

  2

「うう~ん、もう少し寝かせて~」
寝返りをうった利恵に、男は左手の人差し指と中指を彼女の背中から尻へ這わせていた。
「もう、やめてって、言ってるでしょ!!」
 利恵は足をバタつかせて上体を起こし、男を睨みつけた。
「そんな怒んなくても」
男は右手で利恵の左乳房を持ち上げるように揉みながら哀願した。利恵はその手を払いのけバスタオルをつかむと、風呂場に駆け込んでいった。
<そういえば、あれから四ヶ月か・・・・>
シャワーを頭から浴びながら、利恵は当時の事を思い出していた。

 六月の第三日曜日。朝早く利恵と美咲は家を出た。まもなく、二人を乗せた快速急行は御影に着こうとしている。
 利恵たちは御影駅の改札を出て南西方向へ約二百メートル歩き、目的地の御影区民交流会館に着いた。二階にある第二会議室の前まで行くと、扉は開けっ放しの状態で、室内では男二人が長机を何組か連結させている。利恵が腕時計に目をやると八時五十六分。もうすぐ開場の時間だ。
「おはようございます、少しの間、空いている椅子におかけになってお待ち下さい」
 利恵たちに気づいた谷沢はチェスシートを広げながら話した。もうひとりの男は鞄から対局時計と駒箱を次々と出している。自分たちだけ座ってるのも悪いと思った利恵は、入口付近で男達の作業が終わるまで立っていた。
「朝早くから、御苦労様です」
 午前九時を少し過ぎた頃、会場設営を終了した谷沢は利恵に近づき再び挨拶した。もうひとりの男も挨拶の言葉を述べた。
「おはようございます。本日は御忙しいところを、御影チェスサークルまで足を運んでくださってありがとうございます。代表の笹川と申します」
「田村利恵と申します。この娘は美咲です」
笹川が最敬礼をしたので、利恵も深々と頭を下げた。
「谷沢さんから聞いたんですが、先週、喫茶アイソレート ポーンで御影の紹介を受けられたそうですね?」
「はい。日曜日は公式戦を優先しているので申し訳ないが、ビギナーの指導はできないと店長に言われまして。その時、谷沢さんに」
 笹川の問いに利恵が答えると、笹川は頷いてから話した。
「一つの空間しか無い状況だと、それも仕方ないでしょう。ここでは必ず二つ以上の部屋を借りてます。静かに対局をされたい方と喋りながらチェスを楽しまれる方、それぞれの希望に応えられます」
「子供は騒ぐと思いますから、それだと助かります」
「チェスを楽しむ点では、皆さん一致してますが、年齢・職業さまざまな人が集まる事になるので面白い話を聞けたりします。なかにはチェスそっちのけで、ここを出て左の突きあたりの喫煙所で話ばっかりしてる人もいますけど」
 話の後半、笹川の表情は苦笑いの様に見えた。
「立ち話も何ですから。こちらへ」
 谷沢は木製のチェスボードと駒が置いてある連結机の椅子を二つ引き、利恵と美咲を座らせた。谷沢は二人の対面に席を取ると利恵に尋ねた。
「とりあえず、どの辺りまでルール覚えてますか?」
「三週間前に、喫茶店で外人の方に、キング、クイーン、ルーク、ビショップの動かし方を教えてもらいました。この娘と一緒に」
「外人?誰だろ?まあいいか~。そしたら、今いった四つの駒、動かしてもらえますか」
 谷沢が初形配置にあった駒を全て盤の外へ出し、まずキングを利恵の前に差し出した。
 利恵は覚えていたが、美咲はクイーンと混同してる様だった。それでもすぐに思い出したみたいで、二人とも、クイーン、ルック、ビショップにはきちんと反応した。
 谷沢が一番気がかりだったのは、利恵がどれだけチェスに関心を示しているかだ。子供の付き添いの場合、子供がしたいから来たけど自分はあまりやろうと思わないとの態度の親がいるからだ。しかし、利恵も美咲も、一度だけしか教えてもらっていないのに、駒をちゃんと動かしたので、久しぶりに楽しみな親子に会ったなと、考えていた。そばで見ていた笹川も、感心したような顔だ。
基本的な駒の動かし方をしばらくした後、笹川はチェックの意味や方法の説明に入った。

*ここで読者に覚えて頂きたい事を筆者が記す。記録の方法だ。国によって表記は違うが、本作では国際式を採用する。
 盤の表記は縦の列(ファイル)はa~hのアルファベットを用い、横の列(ランク)は1~8の数字を使う。常に白番から見た左手前の桝はa1、右手前の桝はh1、左の一番奥の桝はa8、右の一番奥の桝はh8だ。
 aファイル~dファイルをクイーンサイド、eファイル~hファイルをキングサイドと呼ぶ。
 駒の表記は、キングをK、クイーンをQ、ルックをR、ビショップをB、ナイトをN、
ポーンはPとする(棋譜記入の時、ポーンはPを省略する)。
 この際だから、棋譜記入で使う記号をいくつか紹介する。キングサイドキャッスリングは0―0、クイーンサイドキャッスリングは0―0―0。チェックは+、チェックメイトは#。×は駒取りが行われた事を表す(紙面の都合上、省略される場合もある)。好手は!、素晴しい手は!!、疑問手は?、悪い手は??。白番が勝つ勢いの状態は+-、黒番が勝つ勢いの時は-+。白の勝ちは1―0、黒の勝ちは0―1、引き分けは1/2-1/2。
 盤上に白黒共六つの駒しかないとする。駒配置は、白がa5にP、c1にR、c8にR、f1にB、f2にK、g1にB。黒がb6にP、d7にK、d8にN、f8にN、g6にQ。次の手番(次に動かす番)が白として、f2のKをe1に動かした時は、Ke1と記す。それではなくてf1のBをb5に動かしたら、黒のd7のKにあたるので、Bb5+となる。もしa5のPでb6のPを取ったら、記録の際には、Pは省かれるので、動かすPのいたファイルと駒を取って移動した地点を書く事となる。よって、a×b6。自分や相手のNとRが、二つ以上盤に残っていると、重複した地点に行ける時がある。その地点にNやRを動かしたら、動かす時にいたファイルやランクを駒記号の後に付ける(R8c5、Nde6)。長い説明になった、本編に戻る*

「チェックは覚えてます?」
「確か、キングを捕まえますよっていう意味でしたよね?」
 笹川に訊かれて利恵が自信なさげにいうと、
「そうです。チェックをかけられたら、かけられた方は必ず対応しないといけません。もし対応できない状態になると、された方が負けになります」
 笹川は、いろいろな形でのチェックをかけ、その時の対応を駒を手にして示した。
「ここで次が白なら、どうなりますか?」
 笹川が盤に駒を並べた。駒は白がb5にB、d2にR、f2とg2とh3にP、g1にK。黒がb8にB、c3にR、f7とg7とh7にP、g8にKとなっている。
「Rをここに持っていけば、いいんですね」
 利恵がd2のRをd8に置いた。
「はい。このRがd8に行くと、黒のKは逃げる所は無いので黒の負けとなり、ゲームは終わります」
 笹川はそう答えてから、d8に置かれたRをd2に戻した。
「同じ局面で手番は黒として、RC1+なら、白はどうしますか?」
 二人に考えてもらっていると、中年の男が会議室に入ってきた。
「戸川さん、こんにちは」
 谷沢が応対すると、
「谷沢君、保険に入らない?」
 持ってきたパンフレットを、谷沢に渡した。
「生命保険ですか~。もしかして、受取人は戸川さん?」
「よく、わかったねえ」
 そのような会話を交わした後、谷沢は、
「笹川君、戸川さんと向こうで公式戦やってもいい?」
「はいはい、いいですよ。ここは私がやりますから」
 笹川の了解を得ると、谷沢と戸川は、隣の第三会議室に消えていった。
「ここに、これを持ってくるの!」
 美咲の声で、盤面に視線を戻した笹川は、
「おお、良くわかったね!白はb5のBをf1に持ってきて、c1のRの通り道を防ぐしかないね~」
「Kが逃げる手はないんですか?」
 利恵が考えていた手を笹川に告げると、即座に笹川は、
「h2にKは逃げれません。b8のBが利いてますから」
「あっ、そうですね。Bがありました」
「Rc1+に対して、白がRd1とすると、一時的には、黒のチェックを防げますが、次に、黒にR×d1とされて、白は駒損になります。一度盤上から消えた駒は補充できませんから、駒を何の代償も得ないで損する事は、避けなくてはなりません」
 笹川の解説が終わった頃、時刻は十時二十分になっていた。
「少し休憩しますか」
 笹川はそう言うと、ペットボトルの麦茶を紙コップ二つに注ぎ利恵たちにすすめた。
「小学生も来てるって、聞いたんですけど」
「すいません。今日はいつも来られてる方が用事があるみたいで。大人しか来ないかもしれません」
 利恵が拍子抜けした様な口調だったので、笹川もすまなそうに弁解した。
「あそこの喫茶店と、ここ以外にチェスができる場所はあるんですか?」
「二ヵ月前に、京都で鳥山さんがチェスサークルを始めたとは聞きました。まだ私は行った事はないんですが・・・・」
「京都は遠いですね」
「う~ん、そうですね」
 しばらく、利恵も笹川も沈黙した。
「この会議室にある盤と駒は、全部笹川さんのですか?」
「はい、そうです」
「それじゃ、いつもこれだけの荷物だと大変じゃないですか?」
「駒と時計はかさばりますけど、シートは丸めるので、それほどではないんです。今使用しているこれは、折りたためますし」
 笹川は、さっきまで利恵たちも使っていた木製の盤を裏むけにした。
「じゃあ、ここに駒を入れれるんですね」
「そうです」
「あの、失礼ですけど、おいくら位、するんですか?」
「これは知り合いから安くで譲ってもらったんです。そうですね、これと同じ試合用サイズの新品だと、一万円を越えますね」
「やっぱり、結構するんですね」
「でも、試合用のビニール製チェスシートとプラスチック駒なら、合わせて三千円から五千円であると思います。チェスシートは木の盤に比べて軽いですし、プラ駒は汚れたら洗えます。ただ、駒の底はフェルトになってますから、まるごと水に沈めるとはいかないんですが・・・・」
「家のテーブルであのシートひくと、意外に幅をとるんじゃないですか?」
「縦横五十センチはありますからね。デパートで小さめのチェスセットも売ってます。主に、一人で研究する時に使いますけど。あっ、あれがあったんだ!」
 笹川は鞄の中からA3サイズの大きさの紙を二枚取り出し、利恵に手渡した。
「これは簡易チェスセットです。破線に沿って鋏で切り、下にボール紙などでのりづけすれば、そこそこ頑丈になります」
「何か、感じが違いますね」
「ネット対局や本の図では、それを使います。普段コンピューターで対局してる人は、逆に立体の駒に戸惑う事もありますね。あと、これもどうぞ」
「これは?」
「初心者の方に、チェスのゲームの進め方、駒の進み方などを簡単に説明する為に、まとめたものです」
 いつのまにか、十時四十五分になった。
「それじゃ、さっき渡した冊子の6ページ目にある、ナイトとポーンの動き方を説明します」
 笹川は講義を再開した。利恵が冊子を見ると、ナイトとポーンの動き方、駒の取り方などが図になっている。
 一時間経ってから、
「それじゃ、白のNがいけるところに黒のPを置いてみて」
 笹川は美咲におさらいのテストをした。盤上にあるのは白のNがf3にひとつだけだ。d2、d4、e1、e5、g1、g5、h2、h4に美咲は十秒位でPを置いた。
「その通りです。Nが跳べる位置に自分の駒があると、そこにはいけなくて、相手の駒があると、取って進めます。但し自分のNが動くと、相手の駒が自分のKにあたる場合は動けません」
 笹川は美咲をほめてから、
「田村さん、Pの動きを説明してください」
 今度は利恵の番だ。
「基本的には、一桝前に進めます。一度進むと、後にはいけません。一番奥のランクまでPは進むと、Pの身分を捨ててK以外の駒に変身します。一度変身した駒はずっとその身分です。Pの真ん前に敵味方の駒があると進めないし取れません。斜め一桝前に敵の駒があると、取って進めます。スタート地点のPを進める時に限って、二桝進めます。別に一桝だけ動いたり敵の駒を取ってもいいけど、動いたPは二桝進める権利はなくなります。アンパサンは、自分のPが第5ランクにいた時に隣接するファイルの相手Pがスタート地点から二桝進むと次の自分の手番の時に限り相手Pを取って進める事ができることです。これはPとPだけの適用です。これでよかったですね?」
 利恵はひとつひとつ思い出す様に答えた。
「いや~、すごいですね!なかなかPは覚えづらいんですけど。オッケーです!」
 笹川は感心というより驚嘆した表情になった。隣の部屋にいた谷沢と戸川が戻ってきた。
「やっぱり、戸川さんにはかなわんな~」
 谷沢が頭を抱えて笹川に棋譜を渡すと、
「谷沢君、強くなってるよ」
 戸川は谷沢の背中を軽く叩き慰めた。
「さて、そろそろお昼の時間ですが、どうしましょう?近くにコンビニ、少し歩いて中華、ファミリーレストランがありますが。お好きな所に案内します」
「この子にしては、珍しく真面目にしてたので、ファミリーレストランにします」
 笹川の提案に、利恵は美咲の頭を撫でながら快諾した。十二時を過ぎると混雑するので、弁当持参の谷沢に留守番を頼み戸川を加えた四人は会議室を出た。
 利恵たちは朝来た道をそのまま戻るように歩いていた。笹川と戸川が先導し一メートル後方に利恵と美咲がいる形だ。
「田村さん、お子さんとも筋がいいですね!本当に今日で二回目なんですか?」
 笹川が振り返って利恵に話しかけた。
「でも、今でもついていくのが必死なんです。これから、もっと難しくなるんですよね?」
「大丈夫ですよ。田村さんだったら、すんなりいけると思います」
「そんな期待されても」
「今日見た感じだと戸川さんの息子さん達に、すぐ追いつけますよ」
「そうなの?こりゃ、あいつらにも、しっかりやらせないと」
 戸川は冗談ぽく言ったが、内心穏やかではないなと笹川は察した。
「普段は、お子さんも来られるんですか?」
「ええ。男ばかり三人なんだけど。今日は上の二人が用事で一番下の奴は、ひとりだと行くのは嫌だと、ダダをこねやがったんですよ。しょっちゅう、ケンカばっかしてる兄貴でも、いないと淋しいもんですかねえ~」
 利恵に呆れた表情で戸川は釈明した。
「男の子三人だと、奥様、今は大変かもしれませんね。でも、先の事考えると、頼りになりますから楽しみじゃないですか!」
「それだったらいいんだけど。今のとこはその可能性は低いなあ。男ばっかだと、ガサツになりますから」
戸川は利恵に答えたのち、深いため息を二度ついた。
「戸川さん、お疲れのようですね」
「君も所帯持ったらわかるよ!笑ってるのは今のうちだけだよ、ねえ?」
 笹川が、やや口元を緩めて訊いたので、戸川は憮然としてから、利恵には同意を求めた。
「はあ・・・・。そ、そうですね」
 利恵は何と答えればいいか、困り果てた。
 昼食を終え、第二会議室に四人が戻ると、谷沢が誰かと対局しているところだった。
「リザイン」
 ゴン、と一瞬大きな音をたてて、谷沢が黒Kを倒した。
「あ~、もう。ブラインドでこれだからな。全く話にならんよ」
「まあ、まあ、谷沢さん。以前よりだいぶ指せてますよ、強くなってます」
 両手で顔を覆いながら落ちこむ谷沢に、男はアイマスクを取ってから励ました。
 笹川と戸川が、谷沢たちのテーブルに近寄る。三分程スコアを再現して、四人で検討していた。戸川が入口で利恵たちをそのままにしてたのに気づき、声を掛けると、谷沢の対局相手が振り返った。
「こんにちは!」
 頭を少しだけ下げ、利恵たちに挨拶した男は、アイソレート ポーンで会った金髪の青年だった。その時と変わらぬ笑顔を見せて。

 シャワーを止めバスタオルを体に巻き、利恵は風呂場から出た。ミックスジュースの缶の蓋を開けていると、若い女の変な声が聴こえてきた。その方向を見ると、テレビに外人らしき女の裸が、アップで映っている。
「あんた、何やってんのよ?!」
「あ、ああ、こ、これ。友達がくれた無修正ビデオ。見て、ほら」
「あんたねえ、いつまで裸でいてるの!今日は京都でしょ!行かなかったら、鳥山さん怒るわよ」
「まだ時間あるよ。ねえ、利恵。して」
「自分でしなさい」
「ねえ、お願い」
 金髪の青年が右手に握っている膨張したブツは、今にも暴発しそうだったが利恵は無視して着がえをはじめた。

  3

「それじゃあ、行こうか!」
 利恵は美咲に声を掛け喫茶 アイソレート ポーンに向かった。
 店には先客が四人いた。利恵はカウンターで手続きをして、入口右の窓際にある一番テーブルに席を取った。
 時刻は午前十時四十五分。第一局開始は十五分後だ。
「すみません。お手数ですけど、一局目が始まるまでに読んでおいて下さい」
 アイソレート ポーン店主の宮村は、利恵に二組の冊子を手渡した。
 急いで利恵は冊子を読んだ。一組は国際競技規則。以前御影で貰ったのと同じだった。もう一組はアイソレート ポーン チェスクラブ ルールブック。国際競技規則に反しない限り、地方ルールはクラブ・サークルに認められている。よく注意して見たが、これも御影のと大差なかった。
 今日は十月二十四日。利恵と美咲は、初めてアイソレート ポーンの公式戦に臨む。御影での戦績は、利恵が一勝二敗、美咲が二勝一敗。さすがに笹川と戸川には負けたが、内容はなかなかのものだった。短期間で上達した利恵たちに笹川は提案した。
「一度、アイソレート ポーンの例会に参加してみませんか?」
「子供が迷惑かけないかしら?」
「対局中に大きな声を出さなければ大丈夫です。御二人とも、ある程度成績は残せると思います。いろいろな人とプレーしていく事で、実力も上がっていきますから。宮村さんには、私から連絡しますよ。私も都合がついたら行くつもりです。久しぶりに」
 笹川にここまで言われたので、それならと、教えてもらうつもりで来店した。
 十時五十七分。笹川と鳥山が入店。エントリー締切三分前なので、挨拶もそこそこに、カウンターに直行した。
 十一時、宮村は第一局目のエントリーを締め切った。二分後、B4サイズの紙がカウンターに掲示される。大きな声で宮村は読み上げていった。
「それでは、第一局目の組み合わせを発表します。緒方さんと田村利恵さん。谷沢さんと田村美咲さん。白井さんと鳥山さん。えー、笹川さんと林さん・・・・以上でよろしいですか?」
 異議を唱える事もできるが、今回は無かった。宮村は続ける。
「御異議が無かったので、これでお願いします。持ち時間は三十手50分+20分。結果報告は白番の人がして下さい。十一時五分より始めます」
 各人、ゲームを行うテーブルを決めて着席した。一番テーブルに美咲と谷沢。七十センチ離れた二番テーブルに利恵と緒方。二番と連結する様に置かれた三番テーブルでは白井と鳥山。三番から六十センチ空けた四番テーブル、林と笹川。美咲、利恵、白井、林は壁を背にして座り、谷沢、緒方、鳥山、笹川は入口側に陣取っている。
 一番・二番テーブルの対局は、初顔合わせなので白番黒番を決めるトスが行われた。
 全てのテーブルで対局前の準備が整った。静かに開始時刻を待つ。
「定刻になりましたので、始めて下さい」
 宮村が第一局目の開始を宣言した。各テーブルで握手が交わされ、黒番が対局時計のボタンを押し作動させた。
 一番テーブル、谷沢が白番だ。初手(第一手)はe4。ほとんどノータイムで、美咲はe5と指した。一分後、谷沢d4。美咲は少し戸惑いながらNc6。3.Nf3 e×d4(白の三手目Nf3 黒の三手目e×d4)、4.Bc4 Nf6と進行した。
 谷沢の五手目はN×d4。美咲は二分考えてBc5。美咲の手は予想の範囲だった谷沢は6.N×c6 b×c6の後、7.e5とした。
 三分後、7...Qe7。
<おお、なかなか気のきいた手を指すじゃないか!>
 谷沢は思わず感心した。白の八手目は0-0。黒Nd5とした後、9.B×d5 c×d5 10.Q×d5 c611.Qd2 0‐0までは、谷沢が八手目に描いたプラン通りだ。白の十二手目Qg5。十一手目Qd2と指したのは、これをしたかったからだ。ここで美咲は考えこんだ。さっきまでは子供らしく愛らしい顔で指していたが真剣な顔になっている。二分経っても美咲が指す気配が無いので、谷沢 は煙草を持って外に出た。公式戦会場は禁煙なので、アイソレート ポーンでは、入口を出てすぐ右が喫煙所となっている。
 一服して気分転換した谷沢が席に戻ったその時、美咲はf6と指した。谷沢は特に考えずにe×f6。間髪入れず、美咲はR×f6として、手洗いに行った。
 谷沢は二分後、自陣が危険な状況に陥っている事に気づいた。白のクイーンサイドの展開が遅いため、次の手で黒番にBa6とされると、速度で負けてしまう。
<何とか・・・・ならんか?>
 谷沢は十五分考え続けた。とうの昔に、美咲は戻ってきている。誰が見てもわかるほど、谷沢の顔は苦渋に満ちていた。
<Ba6、こないでね>
 谷沢は下唇を噛み、祈りながらBf4。美咲は待ちくたびれた様に、Bをa6に置いた。
「リザイン」
 そう言った後、谷沢は白Kを倒した。
「あっち、行こうか?」
 握手をしてから、谷沢が小声で美咲に伝え、トイレ近くの八番テーブルへ案内した。局後の検討をするためだ。美咲を八番へ行かせ谷沢は棋譜用紙を持ち、カウンターにいる宮村に結果報告をした。
 二番テーブルは、同時刻、白二十八手目、緒方の手番だった。
1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bc4 Nf6 4.d3 d6 5.c3 Na5 6.Bb5+ c6 7.Ba4 b5 8.Bc2 c5 9.0-0 Be7 10.Re1 0-0 11.h3 Qc7 12.Nbd2 Re8 13.Nf1 Bf8 14.d4 cd4 15.cd4 Nc6 16.d5 Nb4 17.Bb1 a5 18.a4 ba4 19.Ra4 Bd7 20.Ra3 Rec8 21.Bd2 Nc2 22.Rc3 Ne1 23.Rc7 Nf3+ 24.Qf3 Rc7 25.Ng3 a4 26.Nf5 Bf5 27.Qf5 Rac8 28.f4 Rc1+
29.Bc1
 緒方は大悪手を指してしまった。もし、対戦相手が自分と同程度の実力があれば、ここでリザインだ。 <とりあえず、はっきりするところまで>
 利恵とは初対局だったので、続けた。
29...Rc1+ 30.Kh2 Rb1 31.fe5 de5 32.Qe5
 利恵も黒優勢ということは自覚している。しかし、うっかり間違えると逆転されるので慎重に考えた。局後の検討を終えた谷沢が一番テーブルの入口側の席に座った。美咲は入口すぐ右にある本棚から漫画本を二、三冊出している。利恵を見ようともしない。
五分使って、利恵はNe4、二分してから緒方はQe4。
33...Bd6+ 34.g3 Rb2+ 35.Kh1 a3 36.Qe8+ Bf8 37.Qe5 Rb1+ 38.Kg2 a2 0-1
 三番テーブルは鳥山が白番で、1-0。
 四番テーブル、黒番の笹川は中盤で優位に立ったが終盤間違えてドロー(引き分け)。 両者、持ち時間一分を切る熱戦だった。
 全テーブル対局終了となったので、店内は喧騒につつまれた。二局目の受付締切は午後一時四十五分。開始は五十分だ。喫茶 アイソレート ポーンは、例会やトーナメントが行われる日は単なる試合会場となる。飲食物の持込みは自由。コンビニに行く者、弁当持参の者と様々だ。一局目と二局目、二局目と三局目の間に限り、宮村は通常の喫茶店業務をするので注文する人もいた。少し時間があるので、利恵と美咲はバーガーショップに足を運んだ。
 谷沢は三番テーブルでドライカレーを食べている。コンビニで買い物をしてきた緒方が谷沢の向かいに座った。袋の中から、デラックスのり弁当と烏龍茶を出している。
「さっきの局、三十三手目Qb8としてれば、まだわからなかったんじゃないですか?」
 谷沢が緒方に話しかけた。
「ああ、さっきのね。そうだったかな?とにかく、二十九手目のBc1がひどかったよ。あそこはKh2と逃げとかないと」
 緒方は答えながら、棋譜用紙を谷沢に渡した。谷沢は駒を初期配置にしてならべていく。
「ツーナイト・ディフェンス(e4 e5 Nf3 Nc6 Bc4 Nf6)から、ルイ・ロペス(e4 e5 Nf3 Nc6 Bb5)の戦形に変わってますね」
 谷沢は次に白十四手目へ移ろうとしていた。
「ちょっと待って、ここで止めて!実戦では14.d4としたんだけど、Bg5の方が良かったかなあ?」
「う~ん、一回Bf8としてますからねえ。黒がまたBe7と戻るのはなあ」
 緒方の指摘に谷沢も黒がどう指せばいいか、わからなかった。
 緒方の局を検討した後、谷沢が美咲に負けた局を再現しだした。
「これ結局、ツーナイトなんですよね。最初、ダニッシュギャンビット(e4 e5 d4e×d4 c3)を狙ったんですが、Nc6されたのでNf3。e×d4の時に、すぐにN×d4としてりゃ、スコッチ・ゲームだったんですよ。何でBc4としたんだろ?しかも、ゲーム中はスコッチと勘違いしてましたからねえ」
「何か、5.N×d4変だね~。e5としたいけどね」
「緒方さん、後で本見たんですけど、やっぱ、e5となってましたね」
 谷沢が黒十二手目まで再現する。
「う~ん、このf6は強烈だな~。その前に白がQd2としたとこで、Qd1だったら、どうなんだろ?」
 緒方が見解を述べた頃、一人の女が店に入り谷沢に挨拶した。
「こんにちは」
「ああ」
 律子と知ると、谷沢は盤面に目を戻した。
「今日、田村さん親子来てなかった?」
「今、食事に行ってる。子供の方に俺、負けちまったよ!」
「そう、まあかなり強くなったからね」
 谷沢の発言にも、律子は少しも驚くことは無かった。
「最近御影には行ってなかったけど、まさかここまで強くなってるとは!」
「あんた、大して強くないでしょ!でも、普通、子供は負けると嫌になってやめちゃうんだけど。美咲ちゃんは、何回でもやってきたからねえ~」
「お母さんの方も、なかなかやるなあ!」
「田村さんは頭いいからなあ。一度言った事忘れないし。真面目な人だからね」
「そんな感じだな」
「何回か、家に遊びに行った事あるよ」
「えっ!いいな~、俺もイキてえ!!」
「あんたみたいな変態、美咲ちゃんに近づけたら田村さんに何言われるか!」
「あのな~。人のことを変態とぬかしやがって!勘違いされるやろ!!」
 緒方は谷沢と律子の話を静かに聞いていたが、ここで堪えることができず大笑いしている。
「え~と、誤解されるとまずいので言いますが、別に子供にどうこうしようとは思ってませんから」
「お母さんには、どうこうしたいんでしょ?」
「そりゃ、年も近いんだよ!若い女には無い魅力あるからねえ」
 律子は喋ろうとしたとき、利恵と美咲が店に帰ってきた。美咲が律子を見つけ、やってくる。
「お姉ちゃん、今来たの?」
「うん。さっき、このオジちゃんに勝ったんだよね~」
 律子に言われて、美咲は少し照れながら、頷いた。谷沢は苦笑している。
 二局目、利恵は谷沢に快勝し、美咲も白井を何とか振り切った。
 二局目の全対局が終わり谷沢と律子が外で煙草を吸っている。
「そういえば、今日は外人勢一人も来てないな。どうしたんだ?」
「そうね。一人も来てないのって、無かったもんね」
「田村さん、帰ったの?」
「お母さんはまた戻ってくるよ。駅まで美咲ちゃん送っていっただけだから」
 律子の返答に谷沢は首を傾げた。
「子供が用事あるんだったら・・・・普通、母ちゃんも一緒に帰らねえか?」
「そんな事、あたしに言われてもねえ」
 そう答えた律子だが、五分前に店の入口ですれ違った利恵の様子は確かに変だった。
 三局目開始直前に利恵は戻ってきた。谷沢は利恵をよく観察したが、特に変わったところは見当たらない。
 午後六時十分、三局目終了。利恵は林に敗れたが、収穫のあるゲームだった。
 午後六時三十分、閉店時刻となったので、メンバーはそれぞれ帰途に着く。最後まで店にいた利恵と谷沢と律子も外に出た。帰ろうと自転車を取りにいった谷沢を律子が呼び止めた。
「ねえ、これから田村さんの家で飲むんだけど、あんたも行くでしょ?」
<そうか、律子の奴、いいとこあるじゃん、フッ、へッ、へッ、へッ>
 予期せぬ誘いの言葉に、谷沢は心の中で不気味な笑いをしながらも顔には出さず即座に承諾した。
 近所のスーパーマーケットで買い出した後、利恵の自宅に三人到着。ダイニングテーブルで飲み始めて二十分経過。谷沢はアルコール類からジュースに切り換えた。律子が呆れる。
「あんた、相変わらず安上がりに酔えるのね」
「こんところ、全然、酒飲んでないからな。元々、あんまり飲めんけど」
 谷沢は真っ赤な顔になっていた。
「あたしも久しぶり。この頃そんな暇なくて」
 利恵が一番ピッチがはやい。
「今日は美咲もいないからね。何か、一人でいるのも、と思って付き合わせてごめんね」
 利恵が二人に頭を下げた。
「いいでしゅよ、気をちゅかわにゃくても」
 律子があたりめを口に入れたまま答えた。
「別れた亭主がね、『美咲の誕生祝いしたいから、会わせてくれ』っていきなり今日言いやがって。ひと